摂津 補陀洛山 総持寺 | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

イメージ 1①本堂

イメージ 2②薬師堂

イメージ 3③大師堂

イメージ 4④閻魔堂

イメージ 5⑤開山堂

イメージ 6⑥山門

 

訪問日:2016年8月

 

所在地:大阪府茨木市

 

 総持寺は開基の藤原北家魚名流の藤原山蔭が従四位上参議に叙任され、公卿に列した元慶3年(879)頃に創建された。

 

 仁和2年(886)山蔭は63歳で従三位中納言に昇叙した。同年、料理好きの光孝天皇の勅命により、これまでとは異なる新たな鯉の庖丁式を編み出し、後に日本料理中興の祖と呼ばれた。

 

 庖丁式とは庖丁師により執り行われる儀式で、大きなまな板の前に座り、右手に庖丁、左手に真魚箸(まなばし)を持ち、食材に一切手を触れずに食材を切り分け、並べるものである。

 

 山蔭は仁和4年(888)に死去、総持寺の伽藍は山蔭の三回忌である寛平2年(890)に完成したと伝わり、現在も毎年4月18日に山蔭流庖丁式が執り行われている。

 

 その後、山蔭の確立した庖丁式は、魚名流の別流である四条家に家職として伝えられ、「四条流庖丁式」と呼ばれている。

 

 四条流はさらに分派を出し、園流・大草流・進士流などが現れ、徳川家康に仕えた園部和泉守の「四条園部流」は幕府の台所を預かり、各藩へも普及していった。
 
 
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