摂津 佐保栗栖山砦 | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①標柱と案内板

イメージ 2②標柱と案内板

 

訪問日:2011年10月

 

所在地:大阪府茨木市

 

 標柱と案内板は発見したが、城跡はその背後の山ではなく、道路を挟んだ向かい側の山だという。攻略はおろか不覚にも山容さえ撮影できていなかった。

 

 栗栖山は以前から城郭の存在が指摘されていたが、史料には全く記載がなく、平成になって都市再生機構(UR)が開発する国際文化公園都市(彩都)造成に伴い発掘調査が行われ、城跡が確認された。

 

 この城跡に関する史料がないので、城主が誰でなんと呼ばれていたのかも不明である。南西約1kmばかりのところの履正社のグラウンドあたりに福井城跡があり、それとの関係もあったと思われる。

 

 発掘調査で出土した遺物は少なく、常に大人数が生活していたわけではなさそうだが、ところどころに石垣が積まれ、竪堀が掘られ、礎石建物とそれを囲む土塁を備えているといい、有事の実戦的なまさに砦であったと思われる。

 

 

以下、現地案内板より

 

佐保栗栖山砦

 

 佐保盆地の南を画する山脈が、茨木川(旧佐保川)によって切断された東側の突端、標高184mの栗栖山頂に築かれた連郭式の砦で、東西200m南北100mの範囲に、城の遺構が今も残っています。
 尾根続きの東を除く三方は急斜面で囲まれた要害の地であります。
 城への通路は、佐保から福井に通ずる旧道より分かれて佐保川の枝流大谷川を渡って山上へ尾根沿いの道と、国見街道より尾根伝いの道が東から通じ、途中郭の手前約60mのところに、長さ25mにわたって幅0.5mの通路が造られ通行を制限しています。これを過ぎて少し進んだところで、佐保の谷からの道と合流して郭の入口になります。
 入口正面に高さ4m、上面の径14m位の背後に土塁を持つ矢倉台状の少郭が入口の守りとなっています。
 この郭から南東へと尾根に沿って六郭があり、それに伴って竪堀・土塁や石垣の残っているところもあります。
 また城の北側に井戸ヶ谷と称する谷があり、以前八角形の石積み井戸が残っていたと伝えられていますが、今は埋没していて見ることはできません。構造からすれば戦国時代頃に築かれたと考えられていますが、築城者についてはわかていません。
 国見街道と佐保より福井に通ずる道路の双方を押える位置からみえ摂津と丹波を結ぶ連築城とみられ福井城との関係が考えられる遺跡です。

 

茨木市教育委員会