山城 東山 慈照寺(銀閣) | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

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イメージ 6①~⑥銀閣

 

訪問日:1996年5月

 

所在地:京都市左京区

 

 文明5年(1473)息子・義尚に将軍職を譲った8代将軍・足利義政は、応仁の乱で焼亡した浄土寺跡に文明14年(1482)東山殿の造営を開始した。

 

 翌年に移り住んだ後も造営工事は継続され、現在に残る銀閣(観音堂)・東求堂の他、会所・常御所・龍背橋・泉殿・西指庵・漱蘇亭・超然亭などが建ち並んでいた。

 

 しかし、義政は延徳2年(1490)東山殿の完成を待たずに死去し、同年その菩提を弔うためこれを相国寺の末寺として慈照寺と改めた。

 

 天文19年(1550)慈照寺の裏山に中尾城を築城した12代将軍・足利義晴と三好長慶の戦いで銀閣と東求堂を残し悉く焼失し荒廃した。

 

 晩年の前関白・近衛前久は無住となった慈照寺東求堂に隠棲し、慶長17年(1612)の前久の死後、再び相国寺の末寺として、慶長20年(1615)には宮城豊盛が奉行となり再興された。

 

 銀閣は創建時は外壁に黒漆が塗られていたが、銀箔は貼られていなかったことが明らかになっている。また、江戸時代中期までは屋頂には鳳凰ではなく宝珠が置かれていたようだ。

 

 平成20年(2008)からの修復工事で老朽化防止も兼ねて黒漆を塗ることが提案されたが実現はしなかった。

 

 

 
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