パリ ルーブル宮殿(Palais du Louvre・ルーブル美術館) | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①シテ島越しに宮殿

イメージ 2②セーヌ川と宮殿

イメージ 3③ポンデザールと宮殿

イメージ 4④遠景

イメージ 5⑤逆ピラミッド

イメージ 6⑥モナ・リザ

 

訪問日:2013年8月

 

所在地:フランス パリ

 

 現在のルーブル美術館は西暦1200年頃にフランス王フィリップ2世が要塞として建設したルーブル城を起源としたルーブル宮殿を使用している。不覚にもそうとは知らず外観の写真は撮らなかったので、遠景の画像しかない。

 

 ただ、やはりルーブルは収蔵品が見事で、美術にあまり詳しくない私でも知っている作品が数多くあり、時間がいくらあっても足りないくらいの展示品の数々である。

 

 やはり一番人気はモナ・リザだが、朝一番に行けば比較的空いていて、このように写真も撮ることができた。昼前にもう一度通りかかった時には人だかりになっていた。

 

 残念ながら高1バレーボール部の娘はモナ・リザ以外はあまり興味がないらしく、つまらなそうにしている。しかしここに来て見たいものを見逃すわけにはいかない。自由の女神が見当たらなかったのが残念。

 

 さて、ルーブル城は14世紀にシャルル5世により城塞から華やかな城館へと変貌を遂げ、1546年からはフランソワ1世によりルネサンス様式の宮殿の建設が始まった。

 

 その後も増改築が繰り返されたが、1678年にルイ14世がパリを去ってヴェルサイユ宮殿に移り、ルーブルは王宮としての役割を終え、王室の美術品コレクションの収蔵・展示場所となった。

 

 そしてフランス革命下においてルーブルは美術館として使用されることが決定し、ルイ16世やマリー・アントワネットが処刑された1793年に正式に開館した。

 

 そして皇帝ナポレオン1世が登場すると諸国からの戦利品が集まり、その名も「ナポレオン美術館」と改められたが、1815年その失脚とともにこれらは返還された。

 

 しかし、王政復古・第二共和制・第二帝政の為政者たちはいずれも大金を投じてコレクションを増やしていったのである。

 

 セーヌ川に架けられたポンデザールの起源は、1802年にナポレオン1世の命によるものだが、1979年船の衝突により崩壊、1984年に新たに完成されたものである。2008年頃から「愛の南京錠」として無数の南京錠が取り付けられたが、昨年その重みにより欄干の一部が崩壊、先月45tもの南京錠は撤去された。