丹波 高見城 | ゆめの跡に

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On the ruins of dreams

イメージ 1①本丸

イメージ 2②二の丸から本丸

イメージ 3③本丸石積

イメージ 4④三の丸から二の丸

イメージ 5⑤亀井戸

イメージ 6⑥遠景

 

訪問日:2015年5月

 

所在地:兵庫県丹波市

 

 気温も上昇して思ったよりハードな攻城戦となったが、息も絶え絶え何とか頂上までたどりつく。本丸では多くの蜂が外敵の侵入を警戒していたが、無視していると襲撃されることはなく、無事攻略した。四方の景色は抜群のひとこと。

 

 黒井城が陥落した10日後の天正7年8月19日、赤井氏本家当主忠家の本拠である高見城も奮戦むなしく落城し、忠家は城から脱出する。

 

 遠江二俣に逃れた忠家は文禄元年(1592)豊臣秀吉に仕えるようになり、翌文禄2年(1593)には播磨国美嚢郡に1000石を与えられた。

 

 しかし、豊臣家との折り合いは悪かったようで、二度にわたり仕官を辞めている。関ヶ原では東軍に与して、戦後、大和国十市郡に1000石を加増される。

 

 慶長10年(1605)伏見にて57歳で死去、子孫は旗本として存続する。
 
 

以下、現地案内板より

 

高見城跡

 

高見城は嘉暦二年(1327)丹波国守護職にあった仁木頼章が築いたもので、本丸は高見山の山頂にある。
室町時代の後期には赤井家清が城主となったが、天正七年(1579)織田信長の命を受けた明智光秀の兵火によって落城した。

 

昭和四十一年 柏原町指定文化財