陸奥 朝日館 | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

イメージ 1①朝日館跡

イメージ 2②館跡碑

 

訪問日:1999年5月

 

所在地:宮城県気仙沼市(旧本吉郡唐桑町)

 

 葛西氏は奥州藤原氏の滅亡後に奥州総奉行として所領を得て石巻を本拠とした。この時、同族の千葉氏も同行し、葛西氏の家臣の多くはこの千葉氏の分流であり、星氏もそのひとつである。

 

 南北朝期には星勝胤が南朝に付き、延元元年(1336)北畠顕家の上洛軍に従って和泉阿倍野の戦いに参陣している。また、永享11年(1439)星胤行は大崎氏との戦いで討ち死にしている。

 

 朝日館の星氏もこの星氏の一族であることは間違いないだろうが、よくわからない。館跡碑に出てくる浜田広綱は葛西氏と不和となり討たれたようだが、それ以外の人物については調べきれなかった。

 

 

以下、現地館跡碑より

 

東西30間、南北18間で城主は小原木右京進星忠元先祖、星右京太夫忠国と言われる。
天正元年(1573)9月10日唐桑城主「阿部四郎左衛門頼為」との戦いで、朝日館は敗北を喫し、城主「星小法師弾正」が討死し落城した。その時、遺子千代丸(11歳)は母とともに城を逃れて、気仙沼郷鹿折城主「下折壁石見守盛次」の許へ落ちた。7年の後元服して、名を星右京進忠元と改めた。千代丸の姉が気仙浜田の城主「千葉安房守広綱」の3男「千葉三郎綱盛」の妻の関係で綱盛が忠元に加勢して、仇敵唐桑城主「頼為」との数度の激戦の末、今度は「頼為」を討ち滅ぼすとある。(賀茂神社所蔵 館主代々 井由緒より)(築城年代)元亀天正の頃と思われる。(築城者)星右京太夫忠国   
唐桑町教育委員会