①鎧坂と国宝五重塔
②国宝五重塔
③国宝灌頂堂
④国宝金堂
⑤表門
⑥室生川と太鼓橋
訪問日:2009年8月
所在地:奈良県宇陀市
小さいが美しい五重塔をはじめ、金堂、灌頂堂といった3棟の国宝の伽藍や仏像など多くの文化財を有する室生寺は、もともとは興福寺の法相宗で、江戸時代の元禄11年(1698)に独立して真言宗寺院となる。
高野山が明治37年(1904)まで女人禁制としていたのに対し、女性の参詣が許されていたので「女人高野」と呼ばれている。
五重塔は西暦800年頃の建立で、屋外の木造五重塔としては法隆寺のものに次いで古く、高さは16mあまりで、興福寺の1/3程度と小さい。
1998年の台風7号により破損し、修理されたときに西暦794年頃に伐採された木材を使用していることが判明した。
金堂は9世紀後半の平安時代前期の建立だが鎌倉時代の末期に多くの部材が取り替えられる大修理を受けている。
灌頂堂(本堂)は鎌倉時代後期、延慶元年(1308)の建立である。
以下、パンフレットより
室生寺略縁起
奥深い山と渓谷に囲まれた室生の地は、太古の火山活動によって形成された室生火山帯の中心部で、こうした幽邃な場所は古くから神々の坐ます聖地と仰がれていた。やがて奈良時代の末期、この聖なる地で皇太子山部親王(後の桓武天皇)のご病気平癒の祈願が興福寺の高僧賢憬など五人の高徳な僧によって行われ、これに卓効があったことから、勅命により国家のために創建されたのが室生寺である。だが建立の実務に当たったのは、賢憬の高弟修円であった。修円は最澄や空海と並んで当時の仏教界を指導する高名な学僧であった。以来室生寺は、山林修行の道場として、また法相・真言・天台など、各宗兼学の寺院として独特の仏教文化を形成するとともに、平安前期を中心とした数多くの優れた仏教美術を継承する一方、清冽な渓流は竜神の信仰を生み、雨乞いの祈願も度々行われて来た。そのほか厳しく女人を禁制してきた高野山に対し、女人の済度をもはかる真言道場として女性の参詣を許したことから『女人高野』と親しまれている。
![](https://ssl-stat.amebame.com/pub/content/9477400408/amebapick/item/picktag_autoAd_302.jpg)