山城 萬年山 等持院 | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

イメージ 1①中門

イメージ 2②庫裏

イメージ 3③方丈から石庭

イメージ 4④霊光殿と庭園

イメージ 5⑤庭園と清漣亭


訪問日:2013年3月

所在地:京都市北区

 
 足利将軍家の菩提寺である等持院の庭園は以前は衣笠山を借景とした雄大なものだったそうだが、大学のキャンパスの拡張で見えなくなってしまった。

 

 それでもここの庭園は美しいが、この寺の見どころはやはり足利歴代将軍の木像が安置されている霊光殿だろう。ただし、5代将軍の義量と14代の義栄のものはなく、徳川家康のものがある。

 幕末の文久3年(1863)その中から尊氏・義詮・義満三代の木像の首と位牌が持ち出されて賀茂川に晒されるという事件が起こり、平田派国学の門人たちが逮捕、処罰されている。

 

 京都守護職の松平容保は、この事件以降これまでの宥和政策を改め、新撰組などを用いた取締り強化路線に変更したと云われている。


以下、パンフレットより

等持院由来

 暦応四年(西暦1341年)のこと、足利尊氏将軍が、天龍寺の夢窓国師にお願いして、衣笠山の南麓に創建されたのが、この等持院である。義満・義政両将軍のような金閣・銀閣で有名な人達が、全力を尽くして立派にされた禅宗十刹の筆頭寺院であり、更に、尊氏・義詮将軍当時の幕府の地の近くにあった等持寺もこちらに移されて、足利将軍歴代の菩提所となったものである。
 応仁の乱などの戦乱に見舞われたが、豊太閤も秀頼に立て直させたほど、この寺を重んじられたのである。その後も移り変わりはあるが、等持院が皆様に、足利十五代、二百三十余年の歴史を語るだけの貴重な文化財が、今なお充分に保存されている。