①積善寺城
訪問日:2011年5月
所在地:大阪府貝塚市
秀吉の紀州征伐⑥
9500人もの根来衆が籠城していたということでかなり大きな城郭だったであろうが、城跡には立ち入れない。しかし、落城しなかったとはいえ1~2日の籠城で和睦交渉に応じたということは、かなり追い込まれていたか、戦意が高くなかったかのどちらかであろう。千石堀城が落とされたところで決着がついていたのかもしれない。
以下、現地案内板より
積善寺城跡
永禄元年(1558)、根来衆が岸和田の三好氏と戦った際、その砦として築かれた。その後、近木川沿いの畠中城や千石堀城などとともに、根来衆の出城として整備された。熊野街道に沿った近木川の南岸部に位置し、交通・戦略上の要地であった。天正13年(1585)、豊臣秀吉の根来攻めの際には、三十間(約60m)四方の本丸に一部三重の濠をめぐらした強固な城内に、出原右京を大将として総勢9500名の根来衆が立て籠もったといわれる。秀吉方の攻撃にも落城せず、最後は貝塚寺内の卜半斎了珍の仲介により、和談開城した。
平成4年3月 貝塚市教育委員会