信濃 荒砥城 | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

イメージ 1①本郭を見る

イメージ 2②見晴

訪問日:2000年11月

所在地:長野県千曲市(旧更級郡上山田町)

 戸倉上山田温泉の温泉街からすぐ上がったところにある城跡、当時のふるさと創生事業により、戦国時代の雰囲気で整備され、「風林火山」や「江~姫たちの戦国」といったNHKの大河ドラマのロケ地としても使用された。近くには信濃村上氏の本拠だった葛尾城もある。


以下、パンフレットより抜粋

 甲斐・武田信玄と越後・上杉謙信両雄の戦い「川中島合戦」は今から400有余年前の戦国時代、信州信濃・川中島の地で繰り広げられた約10年に亘る戦いで、永禄4年の第4次川中島合戦の総大将同士の直接決戦はとても有名な史実です。
 この歴史の発端は信州東北の雄、葛尾城主の村上義清が武田信玄に攻められ敗退し、援軍を上杉謙信に頼んだことから始まります。その支族「山田氏」は平安時代末期から続く在地の豪族であったようです。立木仏と言われる十一面観世音菩薩を本尊とします古刹清源山智識寺大御堂の建立、荒砥城などの築造は山田氏ゆかりの遺構と思われます。山田氏の滅亡後、荒砥城は「屋代氏」に属するものとなりましたが、その間、地方豪族による城番管理がなされた事は興味ある事です。
 天正11年、上杉方であった松代城副将の屋代英正は徳川家康と通じ荒砥城籠城の上、後に上杉諸将に攻められ落城したと伝えられています。
 遥か古に秘められたこの城の歴史絵巻であります。