近江 長浜城 | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

イメージ 1①模擬天守

イメージ 2②模擬天守

イメージ 3③模擬天守

イメージ 4④石垣

イメージ 5⑤石垣

イメージ 6⑥旧大手門(大通寺)


訪問日:1994年5月 2002年8月

所在地:滋賀県長浜市

 浅井長政の小谷城攻略の功でその旧領を与えられた羽柴秀吉が初めて築いた居城で、本能寺の変で明智光秀についた京極高次に攻略されるが、山崎の合戦の後奪還し、秀吉は無事家族との再会を果たしている。


 清洲会議の結果、柴田勝家の甥勝豊が入るが、間もなく勝家と対立した秀吉に攻略される。賤ヶ岳の戦いの後、山内一豊が城主となるが、天正13年の大地震で城は全壊し、一豊は6歳の娘与禰を失う。

 

 元和元年廃城となり、資材は彦根城の築城に流用される。


以下、入場券より

長浜城は、古くは今浜城といい、南北朝時代、足利氏の謀将で「バサラ大名」として有名な京極道誉の家臣今浜六朗左衛門が創築し、その後、上坂氏が守将として在城したといわれている。天正の始め、一国一城の主となった羽柴秀吉がこの地に城を築き、地名を長浜と改め、城下町を経営して数年間居城した。天正11年(1583)4月の賤ヶ岳の戦いには、ここを根拠地として大勝し、偉名を天下にとどろかせた。
天正13年から同18年まで山内一豊が在城したが、慶長11年、内藤信成が入城し、その子信正が元和元年摂津の高槻城に移ってからは廃城となり、建築物および石垣の大半は彦根城に移されたらしい。市内大通寺の台所門、知善院の表門、彦根城の天秤櫓は、長浜城の遺構と伝えられる。