摂津 江口城 | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

イメージ 1①大隈神社

イメージ 2②狛犬に江口の文字

イメージ 3②狛犬に江口の文字

訪問日:2014年7月

所在地:大阪市東淀川区

 

三好長慶⑪

 息子政勝救援のため出陣した政長は三宅城から江口城へ移り、ここで援軍の近江六角定頼軍の到着を待った。しかし、三好長慶軍に四国から弟安宅冬康と十河一存の軍が加わり江口城を孤立させる。

 

 六角軍が摂津の手前山崎まで到着したところで三好軍は江口城を総攻撃、政長をはじめ800人ほどを討ち取る大勝利を得た。こうして長慶は父のもうひとりの敵を討ち取った。

 

 天文18年(1549)6月、長慶28歳のことであった。三宅城にあった細川晴元は戦わずして帰京し、将軍義晴・義輝父子を伴い近江阪本へ避難した。7月、長慶は細川氏綱を伴い入京、京都を掌握する。

 将軍義晴は京都奪回をめざし慈照寺の裏山に中尾城を築くが翌天文19年5月に急死、息子義輝と晴元が中尾城に入り徹底抗戦するが、敗れて近江堅田へ逃れる。

 天文20年、京都を支配する長慶に対し、2度に渡って刺客が襲い、手傷を負う。その混乱に乗じて逃れていた政勝や香西元成といった義輝方が京都をうかがう。

 

 そうした中、長慶の岳父・遊佐長教が自ら帰依していた僧侶・珠阿弥に暗殺されてしまう。

 

三好長慶をとりあげているのに江口城に行ってなかったので、大阪での会議のあと少し寄ってきました。