美濃 岐阜城 | ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

イメージ 1①模擬天守

イメージ 2②模擬天守

イメージ 3③模擬天守

イメージ 4④金華山

イメージ 5⑤長良川

イメージ 6⑥木曽川

訪問日:1980年11月

所在地:岐阜県岐阜市

 古い写真をスキャナして修正を試みたが、なかなかうまくいかない。ネガが見つかればいいのだが、汚い写真ですいません。

 源頼家のころ二階堂氏が稲葉山に砦を築いたのが始まりといわれるが、城としては15世紀の半ばの美濃守護代斎藤利永がここを取り立て、斎藤道三(利政)が本格的に築城した。


 その後、斎藤義龍、龍興父子、そして織田信長、信忠父子が城主となったのは有名だが、本能寺の変後織田家の家臣となっていた道三の息子斎藤利尭が一時的に城を乗っ取っている。しかし、明智光秀が滅びると織田信孝に降伏し、清須会議により信孝が城主となった。


 信孝が秀吉に滅ぼされると池田元助が、元助が小牧・長久手合戦で討死すると弟の輝政、次に羽柴秀勝が、秀勝が朝鮮で病死すると信忠の嫡男秀信が城主となるが、関ヶ原の前哨戦で落城し、秀信は高野山へ入った。こう見ると池田輝政以外はあまりいい死に方はしていないようだ。

 関ヶ原の後、岐阜に入った奥平信昌は加納城を築城し、岐阜城は廃城となり、天守は加納城の御三階櫓として移築された。