ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

①宇治萬福寺

台湾から帰国し、いったん関西の実家で羽根を休め、春節間近のこの日はまず宇治の萬福寺へ。日本に戻っても中華の雰囲気を味わう。

②宇治川

宇治川に架かる隠元橋を越えて向島へ。さらにもう一度宇治川の観月橋を越えて伏見へ。

③大阪駅

夜は旧友らに会うために梅田へ。それにしても大阪駅周辺は行くたびに大きく変わっており、どこを歩いているかわからなくなる。

④池上本門寺

そしてまだ寒かろう東北へ向け旅立つ。新横浜で途中下車して娘らと食事した後、池上本門寺へ。寒桜がすでに咲き始めていた。

⑤池上実相寺

浅草新寺町にあった寛保3年(1743)江戸日本橋大伝馬町に進出した呉服商「大丸」の下村彦右衛門の帰依を受けたという。大正12年(1923)池上に移転。

⑥池上梅園

西馬込方面に向かうと、梅園のきれいな梅が見えたので、立ち寄ることにする。

⑦池上梅園

桜もよいが、色とりどりの梅も捨てがたい。

⑧和室

こんな庭のある家でのんびり暮らせたら、、、。

⑨梅とメジロ

梅に鶯かと思ったが、メジロだった。鶯はもう少し灰色がかった緑だそう。

⑩黄梅

馬込城跡とされる場所に立ち寄り、東京駅で深川弁当を買って新幹線はやぶさで北へ。

 

撮影日:2026年2月

①湯殿公園②湯殿神社③湯殿神社④土塁状の地形

 

訪問日:2026年2月

所在地:東京都大田区

 

 池上本門寺から徒歩圏内にあり、立ち寄ってみた。後北条氏の家臣・梶原助五郎の城と伝わるというが、特に遺構も案内板も見あたらず、新幹線の時間も考え、早々に撤退した。

 

 後になり、すぐ近くの萬福寺(曹洞宗)には梶原景時の墓、その子・梶原景季の愛馬の墓とされる磨墨塚が存在することに気づく。もう少しよく調べておけばと、また後悔する。

 

 萬福寺の年譜によると、承久年間(1219-22)景季の子・景望が武蔵国大井村を領して大井梶原氏初代となり、元応2年(1320)6代・景嗣が居城と寺を馬込に移したとされる。

 

 景望については、梶原一族滅亡(1200)後も宇都宮氏を頼って生き残り、下野梶原氏の祖となったとも伝わるが、鎌倉からそう遠くない大井を領したというのはやや疑わしい。

 

 馬込の梶原助五郎については、永禄2年(1559)の『小田原衆所領役帳』に、太田康資ら江戸衆の一人として見える。また近くの新井宿には梶原日向守という人物もいた。

 

 品川区大井には、萬福寺の鎮守社だったと伝わる梶原稲荷神社があり、梶原助五郎や日向守の一族を祀る梶原塚がある。ここが梶原氏館跡とも伝わっている。

 

 景時・景季の裔を称したであろう助五郎が大井から馬込に移った(直線距離で3kmほど)ことが、いつしか鎌倉時代のことに置き換えられたと考えられる。

 

 萬福寺の景時墓については、江戸時代にはすでに疑問視されていたようで、恐らく助五郎かその関係者のものだろう。日向守については、助五郎の兄と想像する。

 

 大井から馬込と新井宿(1km余)に分かれたが、馬込の地名が残ったのに対し、新井宿(現・大田区中央など)の名は入新井などとして残るのみである。

①本堂②本堂③御臨終の間④諸堂⑤赤門⑥全景

 

訪問日:2026年2月

所在地:東京都大田区

 

 池上家の由緒書によれば、関白太政大臣・藤原忠平の3男で、平将門の乱(939-940)鎮圧のため関東に派遣された藤原忠方が、その後も武蔵国千束池の上手に留まり池上氏を称したとする。

 

 池上宗仲は、父が鎌倉幕府の作事奉行・池上左衛門大夫(康光か)、母が印東祐昭の娘で、母方の叔父に日昭(浜門流祖)、従兄弟に日朗(池上門流祖)・日像(四条門流祖)が伝わる。

 

 宗仲は、叔父の影響を受けてか、日蓮(1222-1282)の信徒(檀越)となり、弟の池上宗長も勧誘し、二人は「池上兄弟」と呼ばれるようになった。

 

 しかし父が真言律宗の忍性(1217-1303)の熱心な信徒だったため、建治2年(1276)宗仲を勘当し、宗長に家督を譲るとの条件で宗長に改宗を迫ったという。

 

 これを聞いた日蓮が、池上兄弟やその夫人に宛て、長文の手紙を出し、兄弟を励ました。これは『兄弟抄』と呼ばれ、池上本門寺に現存(国重要文化財)している。

 

 宗仲は翌年も勘当されたが、兄弟は結束して法華経を捨てず、弘安元年(1278)勘当は解け、後に父も日蓮に入信したという。

 

 弘安5年(1282)体調を崩した日蓮は、湯治のため身延から常陸国へ向かう途中、宗仲の館に立ち寄るが、衰弱が進み旅の継続が不可能となり、この館で入滅した。

 

 宗仲は館の背後の山上の地を寄進し、日蓮を開山として池上本門寺を建立。館の地も弘安6年(1283)に日朗の弟子・日澄に寄進され、池上三院家の筆頭・本行寺となった。

 

 七回忌の正応元年(1288)宗仲は日朗とともに日蓮の御尊像(国重要文化財)を造り、本門寺に安置した。この時、宗仲は意図は不明ながら大中臣氏を称している。

 

 池上兄弟の生没年などの詳細は不明だが、池上家はその後も存続し、宝暦11年(1761)多摩川河口に池上新田を完成させた豪農・池上幸豊は宗仲から数えて24代目とされる。

 

 

以下、現地案内板より

 

東京都指定旧跡

日蓮上人入滅の旧跡

 所在地 大田区池上2の10の5

 標識 昭和11年3月4日

 指定 昭和30年3月28日

 

 日蓮上人(聖人)(1222-1282)は、日蓮宗の開祖であり、「立正安国論」等の著作で知られています。日蓮は、文永11年(1274)に鎌倉を去り、甲斐国身延山に宗教活動の場を移していましたが、弘安5年(1282)、病の悪化により常陸国へ湯治療養へ向かう途中、武蔵国千束郡池上右衛門大夫宗仲の館(現本行寺境内)で示寂しました。

 なお、病中の日蓮が、身延山を発って池上の地へ移ったのは、法華経を説いた釈尊が霊鷲山から艮、すなわち北東の方角に当たる純陀の家で入滅した故事にならったとする説もあります。

 

平成24年3月建設 東京都教育委員会

 

 

大坊本行寺

 縁起

弘安5年(1282)日蓮聖人が入滅された池上宗仲公の館跡。日蓮聖人入滅後まもなく宗仲公が館を寄進して本行寺が開創された。日蓮聖人が最後の講義をされたときの「お寄り掛かりの柱」や、亡くなられるとき一斉に花が咲いたと伝えられる「お会式桜」が境内にある。

 なお、「大坊」という呼び名は、池上本門寺の支院並びに末寺を代表するお寺であるという意味の尊称である。

①五重塔②大堂(祖師堂)③経蔵④宝塔⑤仁王門⑥総門

 

訪問日:2026年2月

所在地:東京都大田区

 

 岡部局(本名不明)は、大永5年(1525)駿河今川氏家臣・岡部貞綱の娘として生まれた。兄弟に岡部長綱・貞次が伝わる。岡部正綱(1542-84)は従弟にあたる。

 

 同じく今川氏家臣の川村重忠に嫁ぎ、川村(岡部)荘八、岡部長起が生まれた。重忠はかつて今川氏の人質であった徳川家康(1543-1616)の世話役だったという。

 

 永禄12年(1569)今川氏真衰退後、氏真が身を寄せた北条氏、次いで穴山梅雪に仕えたとされる。重忠死後、岡部局は生家ゆかりの駿河国岡部に暮らした。

 

 その後、母・西郷局(?-1589)を亡くした徳川秀忠(1579-1632)の乳母として徳川家に仕える。すでに還暦を過ぎていたので、乳母といっても養育係を意味する。

 

 天正10年(1582)より正綱が徳川家に仕えたこと、秀忠には氏真の妹(武田義信未亡人)・貞春尼(1541?-1612)も上臈(後見役)として仕えていたことが所縁かもしれない。

 

 慶長2年(1597)息子の荘八が本多政重(本多正信の次男)と戸田為春との諍いの末に殺害されたというが詳細は不明。政重・為春は、その後徳川家を出奔した。

 

 武蔵国内に化粧料2000石を与えられ、幕府草創期の江戸城大奥で権勢を振るった。慶長13年(1608)には、池上本願寺の五重塔(国重要文化財)を寄進する。

 

 大姥局の侍女・静(浄光院1584-1635)が恐妻家の将軍・秀忠の子を身籠ると、静を庇護して慶長16年(1611)無事に出産(保科正之)させ、見性院(武田信玄次女)に預けた。

 

 同年、今川氏真の嫡孫・今川直房(1594-1662高家今川家初代)が秀忠に拝謁。慶長17年(1612)貞春尼(嶺松院)が、翌慶長18年(1613)大姥局が89歳で死去した。

 

 

以下、現地案内板より

 

大田区文化財 経蔵

 

 構造・形式は、方三間裳階付き、宝形造、銅板瓦棒葺、輪蔵形式。

 経蔵内部に、心柱を軸に回転する八角形の書架(輪蔵)があり、かつては一切経(区指定文化財)が収められていた。

 経蔵内部の柱等には、工事に関係した職人をはじめ、講名や氏名、住所等が刻まれ、経蔵建立時の寄進者が広範囲に及んだことがうかがえる。『新編武蔵風土記稿』によれば、天明4年(1784)に再建されたものと伝えられる。

 昭和46年(1971) 境内整備により現在地に移築されたが、江戸期の輪蔵形式の経蔵は都内でも残存例が少なく貴重である。

 

昭和49年2月2日指定 大田区教育委員会

 

 

重要文化財

池上本門寺多宝塔

 

 宗祖日蓮大聖人の御尊を茶毘に付した霊蹟に建つ供養塔。建立は宗祖五百五十遠忌を期して行われ、江戸芝口講中の本願により、文政11年(1828)に上棟、同13年(天保元年)に開堂供養を修している。石造の方形基壇に築いた円形蓮華座の上に建つ木造宝塔形式の建物で、内外ともに漆や彩色によって華やかな装飾が施されている。塔内中央には金箔や彩色で装飾された華麗な木造宝塔を安置し、日蓮大聖人御所持の水晶念珠を奉安している。

 宝塔形式の木造塔婆は極めて現存例が少なく、当山多宝塔はその中でも最大規模を誇る本格的な宝塔として、極めて貴重な建物である。

 なお、「多宝塔」の名称は建立当初から呼称されているのものであり、文化財としての名称は「池上本門寺宝塔」である。

 

平成23年3月 池上本門寺

 

 

大田区文化財 加藤清正供養塔

 

 山内最大級の宝篋印塔であり塔身・笠・相輪が完備している。

 この供養塔は加醸清正(1562〜1611)の息女で紀伊徳川頼宣の室(夫人)瑤林院(1601〜1666)が、父清正の満38年目の忌日にあたる慶安2年(1649)、その供養のために造立したものである。

 加藤清正は、安土桃山時代の武将として有名であるが、熱心な日蓮宗信者でもあった。清正父娘の信仰心と孝養心がうかがえる供養塔である。

 

昭和49年2月2日指定 大田区教育委員会

 

 

大田区文化財 前田利家室の層塔

 

 この塔は、前田利家の側室、寿福院が、元和8年(1622)に、自身の逆修供養のために建てた十一重の層塔である。このことは本門寺十五世(復歴)日間の銘文でわかる。

 寿福院は、第三代加賀藩主、利常の生母で、豊臣秀吉没後、徳川家との微妙な臣従関係を解決するために江戸に差し出され、人質となった。

 現在、相輪と上部の数層を失って、わずか五重を残すのみである。屋蓋の反り具合からみて様式的に古い形を示し、注目される。

 なお、天保4年(1833)の修復銘もある。

 

昭和49年2月2日指定 大田区教育委員会

 

 

大田区文化財 総門と扁額

 

 総門は、主柱間5.3メートル、高さ6.4メートル。総欅素木造。一間一戸の高麗門である。江戸時代に編さんされた『新編武蔵風土記稿』によれば元禄年間(1688~1704)に建造された。池上本門寺山内に現存する古い建造物の一つで、歌川広重の「江戸百景」などにも描かれ、著名である。

 扁額に浮彫りされた「本門寺」の文字は、熱心な法華経信奉者で、また名筆家として知られた本阿弥光悦(1558~1637)の書を彫刻したもので

ある。背面銘文から、寛永4年(1627)、本阿弥一族が父母の供養のため三堂(総門・楼門・祖師堂)に掲げた額の一つであることがわかる。本阿弥一族の日蓮宗とのかかわりを伝える貴重な遺品である。

 

昭和49年2月2日指定 大田区教育委員会

 萬福寺大雄宝殿

 

令和5年(2023)通潤橋が、令和6年(2024)京都府宇治市の萬福寺(大雄宝殿・法堂・天王殿)が新たに国宝に指定された。

 

(岩手県)
中尊寺     金色堂

 

(宮城県)
大崎八幡宮   本殿・石の間・拝殿(1棟)
瑞巌寺     庫裏及び廊下・本堂(元方丈)

 

(山形県)
羽黒山     五重塔

 

(福島県)
願成寺    阿弥陀堂(白水阿弥陀堂)

 

(栃木県)
東照宮     本殿・石の間・拝殿・正面唐門・背面唐門・東西透塀・陽明門・東西廻廊
●輪王寺     大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿
鑁阿寺     本堂

 

(群馬県)
●旧富岡製糸場   繰糸所、東置繭所、西置繭所
 
(東京都)
正福寺   地蔵堂
旧東宮御所 (迎賓館赤坂離宮)

 

(神奈川県)
円覚寺     舎利殿

 

(埼玉県)
●歓喜院     聖天堂(本殿)

 

(山梨県)
●清白寺     仏殿
●大善寺     本堂

 

(長野県)
●仁科神明宮   本殿・中門(前殿)
安楽寺     八角三重塔
善光寺     本堂
大法寺     三重塔
松本城     天守、乾小天守、渡櫓、辰巳付櫓、月見櫓

●旧開智学校   校舎

 

(静岡県)
久能山東照宮  本殿・石の間・拝殿

 

(岐阜県)
●安国寺     経蔵
永保寺     開山堂・観音堂

 

(愛知県)
●金蓮寺     弥陀堂
犬山城     天守
●如庵

 

(三重県)
専修寺     御影堂・如来堂

 

(富山県)
瑞龍寺     仏殿・法堂・山門
勝興寺     本堂・大広間及び式台

 

(福井県)
明通寺     三重塔・本堂
 
(滋賀県)
御上神社    本殿
大笹原神社    本殿
日吉大社    西本宮本殿・東本宮本殿
苗村神社    西本殿
園城寺     金堂・新羅善神堂・勧学院客殿・光浄院客殿
延暦寺     根本中堂
金剛輪寺     本堂
常楽寺     本堂・三重塔
西明寺     本堂・三重塔
石山寺     本堂・多宝塔
善水寺     本堂
長寿寺     本堂
宝厳寺     唐門・都久夫須麻神社本殿
彦根城     天守、附櫓及び多聞櫓

 

 

(京都府)
宇治上神社   拝殿・本殿
賀茂御祖神社   東本殿・西本殿
賀茂別雷神社   本殿・権殿
豊国神社     唐門
北野天満宮    本殿・石の間・拝殿・楽の間
石清水八幡宮   本殿、摂社武内社本殿、瑞籬、幣殿及び舞殿、楼門、東門、西門、廻廊
八坂神社    本殿
海住山寺     五重塔
教王護国寺   金堂・五重塔・大師堂(西院御影堂)・蓮花門・観智院客殿
清水寺     本堂
高山寺     石水院(五所堂)
光明寺     二王門
広隆寺     桂宮院本堂
浄瑠璃寺    本堂(九体寺本堂)・三重塔(九体寺三重塔)
大徳寺     方丈及び玄関・唐門・龍光院書院・大仙院本堂
大報恩寺    本堂(千本釈迦堂)
醍醐寺     金堂・五重塔・薬師堂・清滝宮拝殿・三宝院表書院・三宝院唐門
知恩院     三門・本堂(御影堂)
東福寺     三門・龍吟庵方丈
南禅寺     方丈
仁和寺     金堂
平等院     鳳凰堂(中堂、両翼楼、尾楼)
法界寺     阿弥陀堂
本願寺     唐門・御影堂・阿弥陀堂・黒書院及び伝廊・書院(対面所及び白書院)・飛雲閣・北能舞台
妙法院     庫裏
蓮華王院    本堂
慈照寺     銀閣・東求堂
萬福寺     大雄宝殿・法堂・天王殿
妙喜庵     茶室(待庵)
二条城     二の丸御殿(遠侍及び車寄・式台・大広間・蘇鉄之間・黒書院(小広間)・白書院(御座の間)

 

 

(大阪府)
桜井神社    拝殿
住吉大社    本殿
観心寺     金堂
孝恩寺     観音堂
慈眼院     多宝塔

 

 

(奈良県)
宇太水分神社  本殿
春日大社    本社本殿
石上神宮    拝殿・摂社出雲建雄神社拝殿
圓成寺     春日堂・白山堂
秋篠寺     本堂
栄山寺     八角堂
海龍王寺    五重小塔
元興寺     極楽坊五重小塔・極楽坊禅室・極楽坊本堂
金峯山寺    二王門・本堂(蔵王堂)
興福寺     五重塔・三重塔・東金堂・北円堂
十輪院     本堂
新薬師寺    本堂
當麻寺     本堂(曼荼羅堂)・西塔・東塔
長弓寺     本堂
唐招提寺    金堂・講堂・経蔵・鼓楼・宝蔵
東大寺     南大門・金堂(大仏殿)・鐘楼・転害門・二月堂・法華堂(三月堂)・開山堂・本坊経庫
正倉院     正倉
長谷寺     本堂
般若寺     楼門
法起寺     三重塔
法隆寺     南大門・金堂・五重塔・中門・廻廊・経蔵・鐘楼・大講堂・綱封蔵・三経院及び西室・食堂・聖霊院・東室・西円堂・東大門・東院鐘楼・東院伝法堂・東院夢殿
室生寺     金堂・五重塔・本堂(灌頂堂)
薬師寺     東院堂・東塔
霊山寺     本堂

 

(兵庫県)
一乗寺     三重塔
浄土寺     浄土堂(阿弥陀堂)
太山寺     本堂
朝光寺     本堂
鶴林寺     太子堂・本堂
姫路城     大天守・乾小天守・西小天守・東小天守・イ・ロ・ハ・ニの渡櫓

 

(和歌山県)
●金剛三昧院  多宝塔
金剛峯寺    不動堂
根来寺     多宝塔(大塔)
善福院     釈迦堂
長保寺     本堂・多宝塔・大門

 

(鳥取県)
三仏寺     奥院(投入堂)

 

(島根県)
出雲大社    本殿
●神魂神社    本殿
松江城      天守

 

(岡山県)
吉備津神社   本殿及び拝殿
旧閑谷学校   講堂

 

(広島県)
厳島神社   本社本殿・幣殿・拝殿、本社祓殿、摂社客神社本殿・幣殿・拝殿、摂社客神社祓殿、東西廻廊
向上寺     三重塔
浄土寺     本堂・多宝塔
 
不動院     金堂
明王院     本堂・五重塔

 

(山口県)
住吉神社    本殿
功山寺     仏殿
瑠璃光寺    五重塔

 

(香川県)
神谷神社    本殿
●本山寺     本堂

 

(愛媛県)
石手寺     二王門
●太山寺     本堂
●大宝寺     本堂

 

(高知県)
●豊楽寺     薬師堂
 
(長崎県)
崇福寺     大雄宝殿・第一峰門
大浦天主堂

 

(熊本県)
●青井阿蘇神社  本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門

 

(大分県)
宇佐神宮    本殿 3棟
富貴寺     大堂
 
(鹿児島県)
●霧島神宮    本殿・幣殿・拝殿