①五重塔
②大堂(祖師堂)
③経蔵
④宝塔
⑤仁王門
⑥総門
訪問日:2026年2月
所在地:東京都大田区
岡部局(本名不明)は、大永5年(1525)駿河今川氏家臣・岡部貞綱の娘として生まれた。兄弟に岡部長綱・貞次が伝わる。岡部正綱(1542-84)は従弟にあたる。
同じく今川氏家臣の川村重忠に嫁ぎ、川村(岡部)荘八、岡部長起が生まれた。重忠はかつて今川氏の人質であった徳川家康(1543-1616)の世話役だったという。
永禄12年(1569)今川氏真衰退後、氏真が身を寄せた北条氏、次いで穴山梅雪に仕えたとされる。重忠死後、岡部局は生家ゆかりの駿河国岡部に暮らした。
その後、母・西郷局(?-1589)を亡くした徳川秀忠(1579-1632)の乳母として徳川家に仕える。すでに還暦を過ぎていたので、乳母といっても養育係を意味する。
天正10年(1582)より正綱が徳川家に仕えたこと、秀忠には氏真の妹(武田義信未亡人)・貞春尼(1541?-1612)も上臈(後見役)として仕えていたことが所縁かもしれない。
慶長2年(1597)息子の荘八が本多政重(本多正信の次男)と戸田為春との諍いの末に殺害されたというが詳細は不明。政重・為春は、その後徳川家を出奔した。
武蔵国内に化粧料2000石を与えられ、幕府草創期の江戸城大奥で権勢を振るった。慶長13年(1608)には、池上本願寺の五重塔(国重要文化財)を寄進する。
大姥局の侍女・静(浄光院1584-1635)が恐妻家の将軍・秀忠の子を身籠ると、静を庇護して慶長16年(1611)無事に出産(保科正之)させ、見性院(武田信玄次女)に預けた。
同年、今川氏真の嫡孫・今川直房(1594-1662高家今川家初代)が秀忠に拝謁。慶長17年(1612)貞春尼(嶺松院)が、翌慶長18年(1613)大姥局が89歳で死去した。
以下、現地案内板より
大田区文化財 経蔵
構造・形式は、方三間裳階付き、宝形造、銅板瓦棒葺、輪蔵形式。
経蔵内部に、心柱を軸に回転する八角形の書架(輪蔵)があり、かつては一切経(区指定文化財)が収められていた。
経蔵内部の柱等には、工事に関係した職人をはじめ、講名や氏名、住所等が刻まれ、経蔵建立時の寄進者が広範囲に及んだことがうかがえる。『新編武蔵風土記稿』によれば、天明4年(1784)に再建されたものと伝えられる。
昭和46年(1971) 境内整備により現在地に移築されたが、江戸期の輪蔵形式の経蔵は都内でも残存例が少なく貴重である。
昭和49年2月2日指定 大田区教育委員会
重要文化財
池上本門寺多宝塔
宗祖日蓮大聖人の御尊を茶毘に付した霊蹟に建つ供養塔。建立は宗祖五百五十遠忌を期して行われ、江戸芝口講中の本願により、文政11年(1828)に上棟、同13年(天保元年)に開堂供養を修している。石造の方形基壇に築いた円形蓮華座の上に建つ木造宝塔形式の建物で、内外ともに漆や彩色によって華やかな装飾が施されている。塔内中央には金箔や彩色で装飾された華麗な木造宝塔を安置し、日蓮大聖人御所持の水晶念珠を奉安している。
宝塔形式の木造塔婆は極めて現存例が少なく、当山多宝塔はその中でも最大規模を誇る本格的な宝塔として、極めて貴重な建物である。
なお、「多宝塔」の名称は建立当初から呼称されているのものであり、文化財としての名称は「池上本門寺宝塔」である。
平成23年3月 池上本門寺
大田区文化財 加藤清正供養塔
山内最大級の宝篋印塔であり塔身・笠・相輪が完備している。
この供養塔は加醸清正(1562〜1611)の息女で紀伊徳川頼宣の室(夫人)瑤林院(1601〜1666)が、父清正の満38年目の忌日にあたる慶安2年(1649)、その供養のために造立したものである。
加藤清正は、安土桃山時代の武将として有名であるが、熱心な日蓮宗信者でもあった。清正父娘の信仰心と孝養心がうかがえる供養塔である。
昭和49年2月2日指定 大田区教育委員会
大田区文化財 前田利家室の層塔
この塔は、前田利家の側室、寿福院が、元和8年(1622)に、自身の逆修供養のために建てた十一重の層塔である。このことは本門寺十五世(復歴)日間の銘文でわかる。
寿福院は、第三代加賀藩主、利常の生母で、豊臣秀吉没後、徳川家との微妙な臣従関係を解決するために江戸に差し出され、人質となった。
現在、相輪と上部の数層を失って、わずか五重を残すのみである。屋蓋の反り具合からみて様式的に古い形を示し、注目される。
なお、天保4年(1833)の修復銘もある。
昭和49年2月2日指定 大田区教育委員会
大田区文化財 総門と扁額
総門は、主柱間5.3メートル、高さ6.4メートル。総欅素木造。一間一戸の高麗門である。江戸時代に編さんされた『新編武蔵風土記稿』によれば元禄年間(1688~1704)に建造された。池上本門寺山内に現存する古い建造物の一つで、歌川広重の「江戸百景」などにも描かれ、著名である。
扁額に浮彫りされた「本門寺」の文字は、熱心な法華経信奉者で、また名筆家として知られた本阿弥光悦(1558~1637)の書を彫刻したもので
ある。背面銘文から、寛永4年(1627)、本阿弥一族が父母の供養のため三堂(総門・楼門・祖師堂)に掲げた額の一つであることがわかる。本阿弥一族の日蓮宗とのかかわりを伝える貴重な遺品である。
昭和49年2月2日指定 大田区教育委員会