ゆめの跡に

ゆめの跡に

On the ruins of dreams

①天橋立ビューランドより②傘松公園より③成相山を望む④成相山より⑤成相山より⑥丹後国分寺跡より

 

訪問日:2000年2月(①②③) 2000年5月(④) 2021年5月(⑤⑥)

所在地:京都府宮津市

 

 天橋立は、全長3.6kmの湾口砂州で、宮津湾と阿蘇海の間を南北に架かる橋のように隔てるが、南側の切戸と文殊水道(天橋立運河)の2ヶ所で両水域はわずかに繋がっている。

 

 西国三十三所二十八番・成相寺が開山した8世紀には名勝地として知られたというが定かではない。平安時代の小式部内侍(?-1025)が詠んだ和歌がよく知られている。

 

  大江山 いく野の道の遠ければ まだふみもみず 天の橋立

 

 松島・厳島と並ぶ日本三景とされたのは、寛永20年(1643)儒学者・林鵞峰(春斎1618-80)が『日本国事跡考』において、これらを「三處奇観」と紹介したのが初見である。

 

 鵞峰は林羅山の3男で、父とともに幕府に仕え、『本朝通鑑』『寛永諸家系図伝』などの編纂を主導。また林家の私塾を幕府公認の昌平坂学問所に発展させた人でもある。

 

 また、福岡藩の儒学者・貝原益軒(1630-1714)も元禄2年(1689)『己巳紀行』にて、成相寺から見下ろした天橋立を「日本の三景の一とするも宜也」と記した。

 

 その後も天橋立には多くの文化人が訪れた。宝暦4年(1754)から3年余り宮津に暮らした与謝蕪村(1716-84)の句碑や、与謝野寛(鐡幹)・晶子夫妻の歌碑などが建つ。

 

 昭和27年(1952)日本三景がそれぞれ特別名勝に指定され、平成16年(2006)には鵞峰の誕生日(和暦では元和4年5月29日)である7月21日が「日本三景の日」と定められた。

①万里の長城と双頭寺②双頭寺③天安門広場④兵馬俑坑⑤兵馬俑⑥エトワール凱旋門

 

訪問日:2004年2月

所在地:兵庫県姫路市

 

 物価高、円安、厳しい国際情勢の今日この頃、海外旅行に行きたいけれど行けないという人へオススメとして、かつて幼い息子と訪れたここがあるここがラジオ番組で紹介されていた。

 

 社会福祉法人が1992年にオープンし、障害者雇用の場でもある。他にもピラミッドやモアイ像などが再現されており、2009年にはドイツのノイシュヴァンシュタイン城を模した「白鳥城」も加わったそうだ。

 

 インバウンドの観光客で混雑するタイプの施設ではないと思われるので、今でもゆっくり見てまわることができるだろう。

 

 実物を見ていないので何とも言えないが、兵馬俑はそれなりに迫力があった。万里の長城は限られた敷地での再現であり、「うーん」といった感じだったと記憶している。

 

 結論)海外旅行に行きたい人がここを訪れると、より実物を見たくなる。

 

 

 

 

 

 

 

令和8年5月22日、文化審議会文化財分科会は、箱木家住宅主屋1棟(神戸市)、旧古井家住宅1棟(姫路市)の2件の建造物を国宝に、6件の建造物を重要文化財に新規に指定することを文部科学大臣に答申した。官報告示を経て、国宝・重要文化財(建造物)は、2,611件、5,612棟(うち国宝235件、305棟を含む。)となる。

 

箱木家は訪れていたが、古井家は存在も知らなかった、、、。

 

(岩手県)
中尊寺     金色堂

 

(宮城県)
大崎八幡宮   本殿・石の間・拝殿(1棟)
瑞巌寺     庫裏及び廊下・本堂(元方丈)

 

(山形県)
羽黒山     五重塔

 

(福島県)
願成寺    阿弥陀堂(白水阿弥陀堂)

 

(栃木県)
東照宮     本殿・石の間・拝殿・正面唐門・背面唐門・東西透塀・陽明門・東西廻廊
●輪王寺     大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿
鑁阿寺     本堂

 

(群馬県)
●旧富岡製糸場   繰糸所、東置繭所、西置繭所
 
(東京都)
正福寺   地蔵堂
旧東宮御所 (迎賓館赤坂離宮)

 

(神奈川県)
円覚寺     舎利殿

 

(埼玉県)
●歓喜院     聖天堂(本殿)

 

(山梨県)
●清白寺     仏殿
●大善寺     本堂

 

(長野県)
●仁科神明宮   本殿・中門(前殿)
安楽寺     八角三重塔
善光寺     本堂
大法寺     三重塔
松本城     天守、乾小天守、渡櫓、辰巳付櫓、月見櫓

●旧開智学校   校舎

 

(静岡県)
久能山東照宮  本殿・石の間・拝殿

 

(岐阜県)
●安国寺     経蔵
永保寺     開山堂・観音堂

 

(愛知県)
●金蓮寺     弥陀堂
犬山城     天守
●如庵

 

(三重県)
専修寺     御影堂・如来堂

 

(富山県)
瑞龍寺     仏殿・法堂・山門
勝興寺     本堂・大広間及び式台

 

(福井県)
明通寺     三重塔・本堂
 
(滋賀県)
御上神社    本殿
大笹原神社    本殿
日吉大社    西本宮本殿・東本宮本殿
苗村神社    西本殿
園城寺     金堂・新羅善神堂・勧学院客殿・光浄院客殿
延暦寺     根本中堂
金剛輪寺     本堂
常楽寺     本堂・三重塔
西明寺     本堂・三重塔
石山寺     本堂・多宝塔
善水寺     本堂
長寿寺     本堂
宝厳寺     唐門・都久夫須麻神社本殿
彦根城     天守、附櫓及び多聞櫓
 
(京都府)
宇治上神社   拝殿・本殿
賀茂御祖神社   東本殿・西本殿
賀茂別雷神社   本殿・権殿
豊国神社     唐門
北野天満宮    本殿・石の間・拝殿・楽の間
石清水八幡宮   本殿、摂社武内社本殿、瑞籬、幣殿及び舞殿、楼門、東門、西門、廻廊
八坂神社    本殿
海住山寺     五重塔
教王護国寺   金堂・五重塔・大師堂(西院御影堂)・蓮花門・観智院客殿
清水寺     本堂
高山寺     石水院(五所堂)
光明寺     二王門
広隆寺     桂宮院本堂
浄瑠璃寺    本堂(九体寺本堂)・三重塔(九体寺三重塔)
大徳寺     方丈及び玄関・唐門・龍光院書院・大仙院本堂
大報恩寺    本堂(千本釈迦堂)
醍醐寺     金堂・五重塔・薬師堂・清滝宮拝殿・三宝院表書院・三宝院唐門
知恩院     三門・本堂(御影堂)
東福寺     三門・龍吟庵方丈
南禅寺     方丈
仁和寺     金堂
平等院     鳳凰堂(中堂、両翼楼、尾楼)
法界寺     阿弥陀堂
本願寺     唐門・御影堂・阿弥陀堂・黒書院及び伝廊・書院(対面所及び白書院)・飛雲閣・北能舞台
妙法院     庫裏
蓮華王院    本堂
慈照寺     銀閣・東求堂
萬福寺     大雄宝殿・法堂・天王殿
妙喜庵     茶室(待庵)
二条城     二の丸御殿(遠侍及び車寄・式台・大広間・蘇鉄之間・黒書院(小広間)・白書院(御座の間)

●琵琶湖疏水関連施設 第一隧道・第二隧道・第三隧道・南禅寺水路閣・インクライン

 

(大阪府)
桜井神社    拝殿
住吉大社    本殿
観心寺     金堂
孝恩寺     観音堂
慈眼院     多宝塔

 

(奈良県)
宇太水分神社  本殿
春日大社    本社本殿
石上神宮    拝殿・摂社出雲建雄神社拝殿
圓成寺     春日堂・白山堂
秋篠寺     本堂
栄山寺     八角堂
海龍王寺    五重小塔
元興寺     極楽坊五重小塔・極楽坊禅室・極楽坊本堂
金峯山寺    二王門・本堂(蔵王堂)
興福寺     五重塔・三重塔・東金堂・北円堂
十輪院     本堂
新薬師寺    本堂
當麻寺     本堂(曼荼羅堂)・西塔・東塔
長弓寺     本堂
唐招提寺    金堂・講堂・経蔵・鼓楼・宝蔵
東大寺     南大門・金堂(大仏殿)・鐘楼・転害門・二月堂・法華堂(三月堂)・開山堂・本坊経庫
正倉院     正倉
長谷寺     本堂
般若寺     楼門
法起寺     三重塔
法隆寺     南大門・金堂・五重塔・中門・廻廊・経蔵・鐘楼・大講堂・綱封蔵・三経院及び西室・食堂・聖霊院・東室・西円堂・東大門・東院鐘楼・東院伝法堂・東院夢殿
室生寺     金堂・五重塔・本堂(灌頂堂)
薬師寺     東院堂・東塔
霊山寺     本堂

 

(兵庫県)
一乗寺     三重塔
浄土寺     浄土堂(阿弥陀堂)
太山寺     本堂
朝光寺     本堂
鶴林寺     太子堂・本堂
姫路城     大天守・乾小天守・西小天守・東小天守・イ・ロ・ハ・ニの渡櫓
箱木家住宅   主屋
●旧古井家住宅

 

(和歌山県)
●金剛三昧院  多宝塔
金剛峯寺    不動堂
根来寺     多宝塔(大塔)
善福院     釈迦堂
長保寺     本堂・多宝塔・大門

 

(鳥取県)
三仏寺     奥院(投入堂)

 

(島根県)
出雲大社    本殿
●神魂神社    本殿
松江城      天守

 

(岡山県)
吉備津神社   本殿及び拝殿
旧閑谷学校   講堂

 

(広島県)
厳島神社   本社本殿・幣殿・拝殿、本社祓殿、摂社客神社本殿・幣殿・拝殿、摂社客神社祓殿、東西廻廊
向上寺     三重塔
浄土寺     本堂・多宝塔
 
不動院     金堂
明王院     本堂・五重塔

 

(山口県)
住吉神社    本殿
功山寺     仏殿
瑠璃光寺    五重塔

 

(香川県)
神谷神社    本殿
●本山寺     本堂

 

(愛媛県)
石手寺     二王門
●太山寺     本堂
●大宝寺     本堂

 

(高知県)
●豊楽寺     薬師堂
 
(長崎県)
崇福寺     大雄宝殿・第一峰門
大浦天主堂

 

(熊本県)
●青井阿蘇神社  本殿、廊、幣殿、拝殿、楼門

 

(大分県)
宇佐神宮    本殿 3棟
富貴寺     大堂
 
(鹿児島県)
●霧島神宮    本殿・幣殿・拝殿

 

本薬師寺跡(2009年)

 

かねてよりユネスコの世界遺産(文化遺産)登録を目指していた、奈良県高市郡明日香村・桜井市・橿原市の1村2市に所在する19ヶ所(2025年推薦段階)から構成される「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」について、2026年6月6日諮問機関から登録勧告が出された。未訪のものも多い。

 

明日香村 

●飛鳥宮跡 2012年1月、2024年5月訪問

●飛鳥京跡苑池(未訪)外国使節などの饗応の場か

●飛鳥水落遺跡 2012年11月、2024年5月訪問

 

 

 

 

●飛鳥寺跡 2012年1月、2024年5月訪問

 

 

●橘寺境内 2012年1月、2024年5月訪問

 

 

●川原寺跡 2024年5月訪問

 

●檜隈寺跡(未訪)

●石舞台古墳 2012年1月訪問

 

●牽牛子塚古墳(未訪)皇極・斉明天皇陵の可能性が高い八角墳

●大官大寺跡(未訪)

●天武・持統天皇陵(未訪)野口王墓とも、八角墳

●中尾山古墳(未訪)文武天皇の真陵といわれる八角墳

●キトラ古墳 2020年3月訪問

●高松塚古墳 2012年1月訪問

 

桜井市

●山田寺跡 2019年2月訪問

 

橿原市

●藤原宮跡 2009年11月訪問

 

●菖蒲池古墳(未訪)精巧な家形石棺2基を据えた方墳
●本薬師寺跡 2009年11月訪問、天武天皇が皇后(持統天皇)の病気平癒を祈願して建立された

①第16利丸②第16利丸③鮎川港④甲板⑤船首の捕鯨砲⑥船尾

 

訪問日:2026年5月

所在地:宮城県石巻市

 

 江戸時代の鮎川浜は小さな漁村で、外国船を監視する唐船番所が置かれ、金華山への参詣道として一ノ鳥居と茶屋が設けられていたが、戸数は81(1772年)ほどであった。

 

 仙台藩は、天保8年(1837)捕鯨取開方を設けて牡鹿半島沖で試験的に捕鯨を行ったが、芳しい結果は得られないまま明治を迎えていた。

 

 日本近海におけるロシアやアメリカなどの外国捕鯨船の活発化を懸念した明治政府は明治31年(1898)遠洋漁業奨励法を施行して国内捕鯨の近代化を求めた。

 

 これに応えて成功した下関の東洋漁業株式会社(後の日本水産→ニッスイ)が、明治39年(1906)鮎川浜に事務所を設けて金華山沖でノルウェー式による捕鯨を始める。

 

 次いで明治40年(1907)高知県の土佐捕鯨合資会社(後の大洋漁業→マルハニチロ)などが次々に鮎川浜やその周辺に進出し、さらに鯨油やゼラチン、鯨肥工場も創業され、鯨の町として栄えた。

 

 第二次世界大戦を経て、欧米諸国が鯨油から植物性油脂や牛脂にシフトして捕鯨を縮小・撤退したのに対し、鯨肉の需要が多い日本は、昭和34年(1959)捕獲頭数世界一となった。

 

 国際捕鯨委員会(IWC)は、昭和37年(1962)から捕獲頭数の国別割当を実施して、鯨類の保護を図り、昭和57年(1982)商業捕鯨停止を決議する。

 

 日本はノルウェー・ペルー・ソ連とともに異議申し立てをしたが、後にこれを受け入れ、昭和63年(1988)大型捕鯨船の操業が停止され、調査捕鯨が行われることとなった。

 

 鮎川浜における捕鯨は衰退の一途をたどり、IWCの規制対象外である小型捕鯨船によるゴンドウクジラやツチクジラの捕鯨が細々と続けられた。

 

 東日本大震災では、震源地に最も近く、三方を海に囲まれた鮎川浜に最大8.6mの津波が襲い、死者8名、行方不明5名などの壊滅的な被害を受けた。

 

 令和元年(2019)日本はIWCを脱退し、領海とEEZ内における大型鯨類の商業捕鯨が再開され、鮎川港を拠点としたミンククジラの商業捕鯨が32年ぶりに再開された。

 

 

以下、現地案内板より

 

捕鯨船 第16利丸

 

船歴

 1959年(昭和34年)日本は南氷洋捕鯨で捕獲頭数世界一となりましたが、大洋漁菜(株)(現マルハニチロ(株))はその前の年に、所有する3つの捕鯨船団に最新鋭の大型高速捕鯨船を“指揮船”として、それぞれの船団に投入し競争力を高めました。

 その3隻のうちの1隻が、この『第16利丸』でした。初代砲手は日本一の名砲手と言われた泉井守一氏で、成績は常に優秀であったことから、捕鯨船乗りの憧れのキャッチャーボード(捕鯨船)だったと語り継がれております。

 母船式捕鯨を退いた後、最後は鮎川を拠点としていた日本捕鯨(株)の所属船となり、昭和62年12月25日の金華山沖操業を最後に30年間続いた現役を退きました。

 その後、平成2年に「おしかホエールランド」の陸上展示となり現在に至っております。

このため、展示船の煙突には南氷洋時代の『マルハ』マークではなく「日本捕鯨(株)の社旗』がペイントされております。

 

船体

総トン数 758.33t  純トン数 236.62t  長さ 68.37m  幅 9.90m

深さ:船首 2.58m  深さ:船尾 4.84 m  馬力 3,500馬力

最大速力 17.555ノット(32km)  経済速力 14ノット(26km)