古来日本には”言霊”ってなもんがあって口から発するもしくは文字にしたためる”言”には”霊”が宿り”呪”となって力を持つとされてきたらしい。んでもって時は流れて”言”は”言葉”なっちまって”葉”のように所構わず舞い散るもんになったがそれは悪くなく文盲が減って文字が広がり”手紙”や”葉書き”ってな文化が広がって意思の疎通と文明につなっがっていく。ってなわけで5月の公演に向けて新たな作品なのであってこないだ作・演出が来てオールスタッフ打ち合わせと役者たちの立ち稽古があったのだがこれに限らず前々から耳障りで気になってる言葉があってそんなのも演劇の作・演出とか文字や言葉を紡ぎ出す者でも平気で口にするんだよ「やってもらっていいですか」なんてな。「やりなさい」は強いニュアンスとしても「やってください」で十分なのに「やってもらってみてもいいですか」とか早い話が「やれ」でもいーのに伝えたい情報量は同じなのになんでまたいつから回り口説い言い回しの「やってもらっていいですか」になったんだろクソ忌々しい。
同じようなので何かと言うと「そーいった形で」を口にして「~形に」とゆーからには話の〆になるのかと思きゃあそれを連呼して一向に何を「形に」してーのかさっぱりわからんし第一なんの中身もねーし形にもなってねーことを「カタチ、カタチ」とほざいて「形無し」にしちまってるから言わん方がましだとかウマいことゆーよなおれは。テレビのCMとかでも景品の告知に「白いお皿がもらえます」ってのも微妙な表現であって「差し上げます」だとスポンサー目線になるし視聴者と一線を引いちまってる感があるしだからと言って「くれるんだって」とかあまりにも雑になっちまう感があったかも知んないから「もらえるんだって」とかの言い回し的視聴者目線にしたけれども当時の例えば20年前だとか視聴者が日常的に「もらえるよ」とか言うかといえばこれも不自然だから広告代理店的に余計なお世話的”CM造語”として「もらえます」なんて誰が誰に向けてほざいてんだかわけわからん奇妙な日本語が反乱してるのだ。この日本語の乱造さは”ら”抜き言葉なんぞ文化の濁流に呑まれちまってどーでもいーくらいに酷くてなんだかどこかの若いやつとかバカ面下げて「ですよね」とか作り笑顔で言ってくるけどなにがどーゆー風に「ですよね」なのかがわからなくて「ですよね」「ん、なにが?」「いや、だからあの」「その”だから”はなにを指しての”だから”なんですか?」「いま、おっしゃったことについてですね」「そもそもあなたが言われる”ですよね”の”です”がわからない。あなた”です”で〆るよーなこといいました?」なんて虫の居所が悪いとよく絡んだりするのだが”鶏が先か卵が先か”でゆーとわけわかんねーことを当たり前にほざくバカが先かおれの虫の居所が先かとゆー非常にデリケートな問題に発展しちまって国連とか日蓮とかいろいろな”連”が動くからおとなしくしていよう。