【水曜小説】 腐った向日葵 四。 | せっちんの地獄へズンドコⅩⅩ(怒)!

せっちんの地獄へズンドコⅩⅩ(怒)!

うひょぉぉぉおおおずぐげらびんぼえええっ!


せっちんの地獄へズンドコⅩⅩ(仮)!  かなり古い土蔵を中心に増設されたと思われる日本家屋は、もと診療所らしく、広く清潔な印象を受けました。

 自転車を降りたぼくは、その霧渕邸の診療所を訪ねることにしました。
 薄暗い板敷きの玄関に、割烹着姿のまだ若い女性が正座しました。
「すみません、こんな格好で。使用人の佐久と申します。先生はもう、お医者を辞めておりまして……」
 と頭を下げ──
「病気を酷くなさいまして、ご自分で治療なさっておいでなのですが……とても奇妙なお加減で御座いまして……」
 と伏し目がちに頭を上げ──
「昨年からずっと、お薬で満たされたお風呂に浸かっていなさるし……」
 と軽く後ろを見──
「私と弟の一郎太と二人で、身の回りのお世話をさせて頂いているのですが……」
 と困ったようにぼくを見上げました。
 ぼくは吃驚しました。あの、毎朝市場で見かける、あの、それこそ向日葵のような笑顔の少女がそこにいたのですから。
「ねね、姉ちゃん」
 薄く開いた襖の陰から、いつも一緒にいる一郎太と呼ばれていた弟が、おずおずと、人を警戒する子猫のように顔を覗かせました。このときに初めて一郎太くんの顔を正面から見たのですが、ロンパリといいますか、かなり極度な斜視でありまして、まるでどこを見ているのか判らない、飛んでしまった視線が薄気味悪かったのを覚えています。
「せせ、先生のお……お、重湯、が、た、炊けてる」
 多少知恵遅れの印象がある一郎太くんは、精一杯どもりを抑えながら、健気に言葉を発していました。
「いけない、もうお昼だね。すぐ行くよ」
 とお佐久ちゃんは立ち上がり──そのとき、奥のほうから快活な声がしました。
「お佐久! すまないが、純粋な塩と濁りのない氷を、一郎太に持たせてくれたまえ!」
「はい先生、ただいま!」
 お佐久ちゃんは、今日は先生のお加減が良いようなのでお待ちくださいと言い残し、間もなくぼくを書斎のような部屋に通してくれました。
 縁側に面した、菱形の美しい指物でこしらえた硝子戸から差し込む光だけが、壁際に立ち並ぶ、大きな本棚の美しい書体のアルファベッドが綴られた洋書の背表紙を、きらきらと照らしていました。
 陽も当たらぬ部屋の片隅には、磨きこまれた古い机が艶やかな光沢を放ち、ステンドグラスの傘を被った小さな電気スタンドと、数冊の書物に便箋と万年筆がありました。
 ぼくは上着とハンチング帽を手にして、部屋を眺めていました。すると壁際の本棚と机の間には、土蔵の大きな扉がありまして、もともとが古い建築の家屋でしたので、倉が作りつけられた家にはさほど珍しいものでもないのですが、わざわざその扉のある位置を中心に書斎を配置したのかと思うと、なんだか奇妙に感じられたのです。

 ぼくはその扉と対峙するように思案しておりました。すると突然、その土蔵の扉がぎぎぃと音をたて、ゆっくりと開いた扉から地を這うような重く冷たい煙とともに、後ろ手を組んだ長身の紳士が現れたのでした。

「やあ、私が霧渕武彦だ。冷房装置を作動させているのでね、寒ければ上着をきてくれたまえよ」

 酷く油気の無い髪を除けば、とても上品な印象を受けました。が、同時に、なんとも得体の知れない嫌悪感を覚えたのです。
 ぎりっ……不意の歯痛に、思わずぼくは頬に手をやりました。霧渕博士はそれを見逃しませんでした。
「おや、歯が痛むのかね。医者には通っているのかな」
 鼻眼鏡に手をやりながら、まるでぼくのことを監察するかのように顔を近づけてきました。ぼくは霧渕博士の陶器ように白く滑らかな肌にびっくりし、無言で首を左右に振っただけでした。
「それはやっかいだね、加藤君。日本の歯科治療のドリルはまだ足踏み式だ。遅い回転で、ぐりぐりと患部をほじっていく。まったく、やりきれないだろう」
「いえ、ぼ、ぼくは虫歯ではなく、親不知なので……」
「薬は? なにか服み慣れた薬はあるのかね。無ければ私が処方してあげよう」
 畳み掛けるように早口に言いながら、更に顔を近づけてきて、薄く笑みを浮かべながら頬を押さえたぼくの手の甲を、ちょんと人差し指で突いたのでした。
「大丈夫です、あ、ありますあります」
 慌てて粉薬の入った三角の包み紙を摘まんで取り出しました。霧渕博士はすっと背を伸ばして部屋の奥に声を掛けました。
「お佐久! すまないが湯冷ましをひとつ、一郎太に持たせてくれたまえ!」