今日は生まれ育った土地の神社に詣でたのだ。
30代中半まで住んでいた深川なのだ。
住んでる土地の神社ではお守りが五百ジャパニーズ円だったのだが、この七福神の寿老人を奉っているおれの幼稚園&神社では、お守りが八百ジャパニーズ円だったのだ。
高っ。
末広がりで八百ジャパニーズ円なのか。
高っ。
はっきしいって小さな神社で、でも深川発祥の神社でもって、七福神ツアーのはとバスとかも来るからな、変に色気出して値段を吊り上げてんだぜ。
少子化で幼稚園経営が厳しいんだろーな。
んでもって、下町名物看板建築で、変に赤い建物は北野たけしんとこの役者、寺島進の実家の畳屋なのだ。
畳屋だけにそーとー前に店は畳んだのだ。左端は金魚もうっていた駄菓子屋だったなぁ。
ここ一画は、確か寺島一族の親戚が多かったんじゃなかったか、苗字が違うけど。
小学校の同級生がいたからな。
それにしても、見事にガキがいねーのだ。
少なくとも、今日は正月三日目だろ、日向に縁台だしてよ、近所の汚ねーオヤジと安い酒でも呑んで、でかいキンタマを放り出してツヤの自慢とかしてくれねーとな。
どうせ禿頭とチンコやキンタマのツヤしか自慢できねーんだからよ。
誰もいねーし、しょうがねーからおれは缶チューハイ呑みながら、ふらふらと懐かしい路地裏を散策したのだ。
ベニサンピットって、昔は確か染物工場じゃなかったか、紅三。
この辺もよく遊んだのだ。
んでもって、小さな公園が一杯あって、それぞれ六間堀とか五間堀とか、川を埋め立てて作った公園だから、間ってな広さの単位の公園なのだ。
でもガキいねーんだよ。
おれは初代ウルトラマンと同じ歳なんだからして、昭和40年代のイケメンでチンコでっかいのだが、そこそこやったよな、コマ、メンコとか、流石に羽根突きやってるヤツは見なかったけどな。
どこの長屋も立てに伸びちまって、挨拶の一つも知らねー田舎もんが越してきては、東京もんのツラしやがる。
それはそれでしょーがねーのだ。
神田で旗本やっていたのが最後の記録にあるおれの一族は、間違いなく江戸っ子で、でもおれの代で気質はなくなるだろうな。
おれのバカな兄貴が残し散らかした四人の甥っ子がそのDNAだけを受け継ぐのだろうけど、江戸っ子は育てるものなのだ。
んなこたぁ、どーでもいい。
下町の路地裏のガキはどこにいった。
研磨屋、ブリキ屋、瓦屋、表具屋の子孫はここにいないのか。
おれは大工の小倅なのだ。
上を向いて帰ろう。
涙がこぼれるからな。