この曲は、NGT48の11thシングル「希望列車」のカップリング曲で、第6回AKB48グループ歌唱力No.1決定戦において決勝大会に進出したメンバーたち(清司麗菜、大塚七海、三村妃乃、鈴木凛々花)が歌唱している楽曲になります。
1番Aメロ
ふと気づいたら なぜだか二人になってた
カフェを出るまで 確か みんないたのに…
でも本当は とっくに気づいていたけど
このままずっと あなたのそばにいたい
気が付いたら二人になっていたなどと素っとぼけていますけれども、そうした状況になることを密かにずっと窺っていたのではありませんかね。
ただまあ、そのチャンスを待つだけで、自らそうした状況を積極的に作り出そうとしていたわけではないところに、今一歩踏み込んでいけないというためらいも感じ取れます。
いずれにせよ、待ち望んていたシチュエーションが訪れたわけですから、この「二人だけの時間」がずっと続ていてほしいと願うのは、素直な気持ちなのでしょう。
ところで、二人きりになるのを待ち望んでいたということは、この二人はまだ付き合っているというわけではなく、現段階では、この主人公の片思いということなのでしょうかね。
1番Bメロ
一人暮らし 始めたと いつだったか聞いていたから
部屋を見てみたいなんて 私は何を 何を言ってる?
一人暮らしを始めたということを、この主人公はどういった形で知ったのでしょうかね。
単に人伝にそんな話を耳にしたのか、他の人もいる中で何となくそんな話が出たのか、二人で話をしている時に直接相手から聞いたのか……。
最後のケースであるならば、この相手も主人公に対して少なからず好意を抱いているとも考えられますよね。
何となく誘いをかけて、その気持ちを仄めかしているようにも受け取れますので。
いずれにせよ、一人暮らしを始めたということに対して「部屋を見てみたい」と言えるわけですから、恋人とまではいかなくとも、二人はすでにそれなりに親しい間柄にはなっているということなのでしょう。
とはいえ、思わず口走ったその言葉に自分自身が驚いて、たじろいでしまっている。
自分の中にある欲望と理性とが激しくぶつかり合った瞬間と言って良いのでしょう。
「一人暮らしの部屋」というのが、まさに境界線を越える場所のメタファーになっているわけです。
1サビ
境界線 どこから大人なんだろう?
境界線 どこから許されるんだろう?
陽が沈むまでに 教えて欲しい(教えて欲しい)
帰りたくはない このままじゃ Fu Wo Wo…
どこを境にして大人の領域なのか、あるいは自分に許される領域なのか、あれこれと思いあぐねているということでしょうかね。
主人公がいい大人であれば、「好きなようにすればいいんじゃないの」という話にしかならないでしょうから、こうしたためらいが生じているということは、まだ年も若くて、こういったことが初めての経験だったということなのでしょう。
「陽が沈むまで」というのがタイムリミットであり、それまでに判断を下さなければならない。
このタイムリミットまでにここを離れれば子供のままでいられる。
けれども、タイムリミットを過ぎてもなおここに留まっていれば、いよいよ大人の世界に踏み込んで行くことになる。
どうしたいのか、どうしたら良いのか、その判断を下さなければならないのだけれども、欲望と理性の狭間で心が揺れ動く。
そこには、境界線を越えることに対する好奇心と恐れもあるのでしょう。
2番Aメロ
一番星が思ったよりも早すぎて
心の内を言葉にできずにいるよ
思いあぐねている間に、いつしか夜の帳が落ちようとしている。
けれども、いまだ答えは出せずにいる。
このままついて行くのか、それとも引き返すのか……。
そんなこんなで悶々としているものだから口数も少なくなり、二人の間になんとなく気まずい空気が漂ってくる。
2番Bメロ
緩い坂のその手前 十字路を右に曲がれば
僕の家だと言われて最後になぜか なぜか躊躇(ためら)った
そうこうしているうちに、いよいよ相手の家に近づいてきてしまったわけです。
一人暮らしをしている相手に対して「部屋を見てみたい」などと大胆なことを言っておきながら、いざそれが現実のものになろうとした途端、激しく動揺して足が止まってしまったのではありませんかね。
それこそ、境界線上に立ちすくんでいる状態といったところでしょうか。
2サビ
変更線 日付のこっちと向こう
変更線 あなたはどう思いますか?
月に照らされて 抱き合えるなら(抱き合えるなら)
越えてみたくなる 純情を… Fu Wo Wo…
このまま相手の家に行き、そこで一夜を過ごすことになれば、自分とその相手との関係は、これまでの友達関係から恋人関係へと進展することになる。
それと同時に、明日の自分は、もはや今日の自分ではなくなることにもなるわけです。
今、自分が立っているこの境界線は、そこを跨ぐことによって自分を含むこの世界が劇的に変わることになる変更線でもあるのですよね。
今までとは違う世界への甘美な期待に胸が高鳴り、そんな境界線を「越えてみたくなる」というわけです。
落ちサビ
目には見えないチョークで
線が引かれてるのよ
そこを跨(また)いで行くのか?立ち止まるのか?
自分で決めなきゃね ああ
境界線と言っても、それこそその場にチョークで線が引かれているわけではありませんよね。
それは、他ならぬ自分の心の内にあるもの。
私とあなたを隔てる線、子供の領域と大人の領域を分かつ線、そして、今日の自分が明日の自分へと変わる線。
そうした、目には見えないけれども、そこを越えることの重大さを示す限界線。
つまり、言うなれば、心の中にあるリミッターとして作用するものでもあるわけです。
幼いころには、そんな境界線など意識することもなかった。
けれども、思春期になり、次第に大人になっていくにつれて、その境界線が強く意識されるようになってくる。
そして、いつの日にか越境を試みることになるのだけれども、いつどんなときであればそれは許されるのか。
そこで逡巡することになるわけです。
今、自分の心の内にあるその境界線を跨いで行くのか、それともそこで立ち止まるのか……。
その決断は自分の責任において自分自身が下さなければならない。
それは、とても大きな決断ですよね。
最後の「ああ」というため息(?)は、そうした決断を下すことの重みにたじろいでいるということなのでしょう。
大サビは1サビと2サビの繰り返しになっています。
結局、この主人公は、境界線を越えて行ったのか、それとも踏みとどまったのか……。
この歌詞の中では、境界線上で立ちすくんだところで終わっていますから、この主人公がどういった決断を下したのかは定かではありません。
ただ、境界線を越えたにせよ、そこで踏みとどまったにせよ、この主人公は、欲望の赴くまま何も考えずに突っ走るのではなく、欲望と理性の狭間でちゃんと葛藤し、ちゃんと躊躇している。
そこでは、期待と不安、好奇心と恐れがせめぎ合い、心が激しく揺れ動いていたのではないでしょうか。
そして、最後は覚悟をもって自分で決断しなければならないと自覚していたわけです。
そのことをもってして、この主人公は、確実に大人への一歩を踏み出したとは言えるのかもしれませんね。
秋元康 作詞, 大河原昇 作曲, 野中“まさ”雄一 編曲
NGT48「境界線」(2025)
