この曲は、AKB48の5thアルバム「次の足跡」の収録曲です。

 

どこの国のいつの時代の話なのかわからない寓話的な物語が描かれた楽曲です。
重厚なテーマで哲学的な問いかけなどもあり、アイドル楽曲としては異色の作品と言っても良いのでしょう。
AKB48には、こういったテイスト、こういった世界観の楽曲が他にもいくつか存在していて、あまり知られてはいませんけれども、「羊飼いの旅」だとか「それでも彼女は」だとか、名曲と言っても良い曲が多いような気がします。

 

頭サビ

10クローネばかり
貸してくれよ
来月には
返すから
雨が止んだら
仕事もある
僕を信じて

借金の無心から始まる歌というのも、なんだか珍しいですよね。

 

クローネというのは、架空の通貨かと思ったら、北欧や中欧などで実際に使われている通貨のようです。
ちなみに、現在の円換算でノルウェークローネだと17円くらいなので、10クローネは170円くらいということになります。
今の物価高の日本ならば、まあせいぜい食パン1斤が買えるくらいの金額でしょうか。

 

来月には返すからそのくらいのお金を貸してくれというわけですけれども、食パン1斤程度の食料が買えたところで、何日も持たないのではありませんかね。
一体どれほど貧しい生活を送っているのやら。

 

さらには、「雨が止んだら 仕事もある」というのですから、結局のところ、仕事も天候に左右されてしまって、収入が安定していないということになります。
つまり、今日一日を生き延びるのが精一杯といった厳しい状況に、この主人公は置かれているわけです。

1番Aメロ

街の外れに建ってた
古い見世物小屋
なぜだか
華やかに見えてたんだ
集まった大人のせいかな

「街の外れに建ってた 古い見世物小屋」というのは、非日常を象徴しているのでしょう。
見世物小屋という猥雑(わいざつ)胡散臭(うさんくさ)い空間ではあるけれども、貧困にあえぐ日々を送っている主人公にとって、そこは現実逃避できる唯一の場所だったのではありませんかね。

1番Bメロ

テントから潜り込んで
リハーサルを覗いてた
とんがった靴履いた
司会者のJokeは笑えない

見世物の舞台裏と言いましょうか、カラクリをこっそりと(のぞ)き見したのでしょう。
「司会者のJokeは笑えない」というフレーズは、その虚飾の世界を子供ながらに冷めた目で見ているということを表しているのではありませんかね。
けれども、そんな冷めた目で見ていながら、現実の生活があまりにも過酷なために、直前のAメロにありますように、その虚飾すらも「華やかに見えてたんだ」というわけです。

1番A'メロ

AH-
だけど
目の前には
眩(まばゆ)い電飾が
溢れて
僕の知らない世界へ
連れて行ってくれたよ

絶望のどん底にいる主人公にとって、見世物小屋の電飾は、自分を華やかな未知の世界に誘ってくれる象徴だったのでしょう。

 

見世物小屋に出入りすることで現実から逃避でき、過酷な日常を忘れさせてくれる。
それは「娯楽」に過ぎないのかもしれない。
けれどもその「娯楽」が、生きていくためのよすがにもなっていたのかもしれません。

1サビ

WORLD
10クローネ出せば
パンが買える
ワインだって
手に入る
それより僕は
夢が欲しい
ウキウキさせる
音楽とか
辺りでは
見たことない
奇抜な衣装を…

この1サビでも後の2サビでも、サビの冒頭に置かれている「WORLD」という一語は、「自分が現実に生きているこの過酷な世界」ということを強調しているのではありませんかね。

 

そんな過酷なこの世界では、10クローネを出せば、かろうじて今日明日を食いつなでいくくらいのパンは買える。
けれどもこの主人公は、それよりも「夢が欲しい」と言っているのですよね。

 

パンがあれば、とりあえずは生存し続けることができる。
けれども、それだけでは本当に「生きている」ということにはならないのではないか。
この世に存在はしているけれども魂は死んでいる。
言ってみれば、「生きる屍」ということでしょうか。
そんなのは嫌だというわけです。

 

この主人公にとっては、空腹を満たすことよりも精神的な充足を得ることのほうが大事なのでしょう。
それは、若さからくる抑えきれない心の(かつ)えということなのではありませんかね。

2番Aメロ

あの人は仕事もせず
昼間から酒飲み
管(くだ)巻いて
「この世は闇なんだ」と
死んだ目でつぶやく
安っぽい絶望さ
死ねばいい

「あの人」というのは、周囲にいる自分と同じような境遇に置かれている大人たちのことを指しているのでしょう。

 

貧しさを言い訳に「この世は闇だ」とうそぶき、仕事もせずに昼間から酒を飲んだくれているような、そんなやさぐれた大人たちのことを、この主人公は軽蔑の眼差しで眺めている。
そして、思考を停止させて絶望に甘んじている、そんな安っぽさに対して、「死ねばいい」と強烈な言葉で切り捨てている。

 

これは、裏を返せば、自分はこんな連中とは違うんだというプライドが、強く(にじ)み出ているということなのではありませんかね。

2番Bメロ

僕の母親は
ダンサーだったらしい
愛人の道化師と
竹馬を履いて逃げて行ったって…

ここで、主人公の家庭環境が語られています。

 

母親はダンサーだったということですから、もしかしたら見世物小屋で働いていたのかもしれませんね。
そして、その同じ見世物小屋で働いていた道化師と愛人関係になって、どこかへ逃げてしまったというわけです。

 

「竹馬を履いて逃げて行った」とありますけれども、実際に竹馬を履いて逃げたわけではないのでしょう。
想像するとコミカルな光景ではありますけれども……。
道化師というと、足長の竹馬を巧みに乗りこなしているイメージもありますから、おそらくそうしたイメージを揶揄(やゆ)しているのでしょう。
そこには(さげす)みの気持ちも込められているのではありませんかね。

 

主人公が、「見世物小屋」に対して惹かれながらも、どこか冷めた目で見ているのは、こういった家庭環境があったからなのかもしれませんね。

2番A'メロ

AH-
ある日
僕の家の
笑いやしあわせが
消えたよ
愛に触れたこともなく
愛の意味も知らなかった

母親と暮らしているときには、たとえ貧しくとも、笑いが絶えず幸せだったのでしょう。
けれども、その母親もいなくなってしまい、「笑いやしあわせが 消えたよ」というわけです。

 

「愛に触れたこともなく 愛の意味も知らなかった」というのですから、自分が受けた愛情を、まだそれが「愛」であるとは認識できないほどに幼いころの記憶ということなのでしょうかね。

 

こうした幼い時の体験からくる母親への愛憎入り混じる複雑な感情が、母親の記憶と結びついている「見世物小屋」に向かっているという面があるのかもしれませんね。

2サビ

WORLD
10クローネ出せば
パンが買える
ワインだって
手に入る
それより僕は
チケットが欲しい
こっそり脇から
入るんじゃなく
正式に
入り口から
未来に向かおうか

10クローネを出してパンを買うよりも、そのお金でチケットを手に入れたいというわけです。

 

これまでは、見世物小屋に入るのにも、お金を払わずにこっそりと裏から中に潜り込んでいたけれども、チケットを手に入れて堂々と正面の入り口から入っていきたいということでしょうかね。

 

無銭で潜り込んでいることくらい、見世物小屋の大人たちも気付いてはいたのだろうけれども、貧しい子供のことだからと目をつぶっていたのかもしれません。
ただ、当の本人である主人公は、思春期にもなってくると自我が目覚めてきて、こうした自分のさもしい振る舞いに対して、プライドが許せなくなってきたのではありませんかね。

Cメロ

呼吸をする度
白い息
それは僕自身
まるで
一つの宇宙が現れて
神の掌(てのひら)の上

ここは、この曲の歌詞の中で最も詩的な表現がなされているところではあるのですけれども、同時に最も難解な部分ですよね。

 

吐く息が白くなるというのですから、寒い冬の日のことなのでしょう。
貧困にあえいでいる主人公ですから、暖を取る経済的な余裕などないでしょうし、なんなら住む家もないのかもしれません。
物質的な豊かさとは無縁で、むき出しのまま、この世界に放り出されているわけです。
それだけに、自分の内側から吐き出された白い息の中に、確かに生きている自分自身を感じ取れたということなのでしょう。
それはまさに、自分自身の生命の証ということなのかもしれません。

 

そしてその「白い息」は「まるで 一つの宇宙が現れて 神の掌(てのひら)の上」だというわけです。
なにやら胡散臭(うさんくさ)いスピリチュアルな話のようで、何を言っているのかよくわかりませんよね。

 

吐き出された白い息が空中に広がっていく様子を、無限に広がっていく宇宙に見立てたということでしょうか。
そして、神が創り出した宇宙と同じくらい、この自分自身も尊くて神秘的な存在なのだということに、この主人公が思い至ったということなのかもしれません。
やや誇大妄想気味のような気もしますけれども……。

 

まあともかく、この主人公は、貧困のどん底にありながらも、腐ることなく自分を肯定することができたわけです。

Dメロ

いくばくかの金なんか
意味はないんだ
生きる価値を探せ
パンやワインなんかより
大切なもの
アイデンティティを思い出せ

お金で買えるものに価値を置くのではなく、自分が何者であるかというアイデンティティを追及することにこそ生きる価値を見出すべきなのではないかというわけです。

 

パンを手に入れて明日まで生き延びたいだけの存在に()するのではなく、あえてパンを後回しにしてでも音楽に感動し、美しい衣装に心を躍らせる、そんな精神的な気高さを持っていたいということなのでしょう。
そう考えると、「アイデンティティを思い出せ」というのは、貧しくとも人としての誇りを失いたくはないということなのではありませんかね。

 

「武士は食わねど高楊枝(たかようじ)」という(ことわざ)がありますけれども、ちょっとそんな印象を受けるくだりですよね。

落ちサビ

そう僕は目を閉じて
走ってる

目を開けていて見えてくる景色は、救いようのない貧困であり、やりきれない孤独であり、絶望した大人たちの哀れな姿であるわけです。
この主人公にとってそれは、現実社会の闇でしかない。
けれども目を閉じれば、アイデンティティだとか夢だとか、自分の中に存在するかけがえのない価値、すなわち光を見出せる。

 

つまり、「そう僕は目を閉じて 走ってる」というのは、目に見える絶望には屈せずに、目に見えない希望だけを信じて、迷いなく人生を前進させているということなのではありませんかね。

 

大サビは1サビを繰り返した後、2サビの最後のくだり

正式に
入り口から
未来に向かおうか

が付け加えられています。

 

過酷な貧困の中では、ややもすると、さもしくて卑屈な姿勢になってしまいがちなもの。
そんな社会の弱者、あるいは社会の犠牲者として生きることに甘んじるのではなく、自分の人生は自分で切り開き、堂々と社会の中に歩み出していく。
ここでは、そうした未来へ向かう決意が示されているのではないでしょうか。

 

確かに、現実社会は残酷で理不尽極まりないもの。
そんな中にあって、いかなる境遇に置かれようとも、決して腐ることなく誇りを持ち続ける。
それが、人として生きることにおいて大切なことだ。
そうこの曲は示唆しているのではないでしょうか。

 

※引用:
秋元康 作詞, 阿立力也 作曲, 佐々木裕 編曲
AKB48「10クローネとパン」(2014)