この曲はAKB48・チームA「恋愛禁止条例」公演の構成曲です。
ノスタルジックなメロディーが印象的なバラード曲です。
1番Aメロ
何年ぶりだろう?
懐かしい校舎
音の歪んだ
チャイムが鳴った
「キーンコーンカーンコーン」と鳴る学校のチャイムの音など、どこも同じようなものだろうとは思うのですけれども、それでも音の鳴り方や響き方に、その学校ならではのクセみたいなものもあるのかもしれません。
何年かぶりに母校を訪れた主人公は、そんな聞きなじみのある「音の歪んだチャイム」を耳にし、自分が通っていた当時のままに残る校舎を目にし、当時の記憶が一気に呼び起こされたのでしょう。
1番A'メロ
思い出の隣に
ブルーのプレハブ
渡り廊下も
今は工事中
思い出深い風景の傍らには、見慣れぬプレハブ校舎が建ち、さらに新しい校舎の建設も進んでいる。
この光景には少々違和感がありますよね。
近年は少子化で教室が余っていることはあっても、足りなくなることはないと思うのですが……。
実際に各地で学校の統廃合も進んでいますし、新たに学校を建てたり改築したりするにしても、公立・私立を問わず、財政的に厳しい状況にあるでしょうから、難しいのではありませんかね。
高度経済成長期には子供の数も多くて、1学年に10~15クラスなんてのはざらにありました。
その当時は、校舎を増築しても入学者数の増加に追い付かなくて、教室の数が足りず、校庭の片隅にプレハブ校舎が数棟並んでいるという光景も珍しくありませんでした。
それは、まさに秋元Pが小中学生の頃に当たります。
もしかしたら、この1番A'メロの光景は、秋元Pが小中学生時代を過ごしたときの記憶に基づいた描写なのかもしれません。
いずれにせよ、懐かしい景色と新しくなっていく景色を対比させることで、「時の流れ」と「現実の移り変わり」を、ここでは描いているのではないでしょうか。
それはとりもなおさず、主人公自身のことを描いていることにもなるわけです。
1番Bメロ
グラウンドに
一人立って
手を広げ
目を閉じた
放課後遅くの時間だったのでしょうか。
校庭には誰もいなくて、ただひとりその場に佇み、手を広げて、目を閉じてみる。
そうすると、当時の感覚がありありと蘇ってくる。
主人公は、記憶の中の「あの頃の自分」を思い出そうとしているのでしょう。
1サビ
僕は まだ
青臭く
生きている
あの頃
履いていた
スニーカー
どんなものも
いつかは色褪せて
古びてしまうけど
僕には宝物
曲名にもなっている「スニーカー」とは、「飾らないありのままの自分」や「純粋で無垢な自分」を象徴するメタファーです。
この主人公が、現在どのくらいの年齢になっているのか分かりませんけれども、2サビに「僕は今 青春に問いかける」とありますから、まだ大人には成り切っていない年頃なのかもしれません。
そんな大人になり切っていない主人公が、今もなお、子供の頃のような純粋な気持ちを持ったまま生きていると言うのです。
もしかしたらこの主人公は、自分の今の生き方に迷いが生じたのかもしれません。
そのため、何かを確かめたくて、何年かぶりに母校を訪れたのではないでしょうか。
どんなものでも時間の経過とともに古びてくるものです。
子供の頃の純粋な思いも、大人になるにつれて色褪せていってしまう。
それでも、この主人公にとって、子供の頃の純粋さは、かけがえのない宝物なのです。
2番Aメロ
バイクは最近
売ってしまったよ
今日もここまで
歩いて来たんだ
バイクを手放してしまったので、ここへは歩いてやって来たというのが、これもまたメタファーになっています。
「バイク」は若さや反抗心を象徴していて、「歩き」は思慮深さと落ち着きを象徴していると考えて良いでしょう。
ここにも、大人になりかけている主人公の「今」が、表れているのではないでしょうか。
勢いに任せて突っ走るのではなく、足元を見つめ直しながらゆっくりと歩いて行く。
そんな大人の落ち着きを示しているように思います。
2番A'メロ
チョーク投げられた
怖い先生が
職員室の窓で手を振る
この主人公は、チョークを投げつけられるほど、在学時には結構ヤンチャな生徒だったのでしょうかね。
まあもっとも今どきでは、生徒にチョークを投げつけようものなら、何ハラになるのか分かりませんが、問題視されて大騒ぎになりそうですけれども……。
このご時世、なんでもかんでも「ハラスメント」を付けて声高に叫べば、道理を無視して言ったもん勝ちになってしまいますからねぇ。
なんともおかしな世の中になったものです。
それはさておき、当時は怖いと思っていた先生が、職員室の窓から手を振ってくれたというのです。
卒業して時が経ち、主人公も大人になって精神的に成長したことでしょう。
それを、当時は怖かった先生が認めてくれたということを、このBメロのシーンは示しているのではないでしょうか。
2番Bメロ
欅の木に
耳を押し当て
風の音を
見つけた日
木に耳を当てると樹液の流れる音が聴こえるという話は聞いたことがありますけれども、実際には樹液の流れる音ではなく、風で枝がしなる音や葉が風にそよぐ音・すれる音、あるいは幹の軋む音、さらには地面からの振動なども加わった音なのだとか。
つまり、このBメロの歌詞の内容は、科学的に正しいということになりますね。
枝や葉や幹を媒介した風の音を聴いていることになるのですから。
おそらく、そうした科学的な話を、秋元Pがどこかで耳にして興味を抱き、例によって記憶の引出しにしまっておいたのを、ここで詩的に描いてみせたのでしょう。
では、このBメロの歌詞で何を表しているのかと言うと、子供の頃の豊かな感受性や無邪気な探求心ということになります。
そして、目に見えない「風の音」に耳を澄ませていたような子供の頃の繊細な心を、大人になった今も忘れずに持ち続けているだろうかという問いかけのニュアンスが、ここには含まれているのではないでしょうか。
2サビ
僕は 今
青春に
問いかける
あれから
履かなかったスニーカー
汚れるのか
絶対 許せずに
僕はどの道を
歩いて来たのだろう
汚れるのを嫌ってスニーカーを履かなかったというのは、どういうことを意味しているのでしょうか?
1サビにもあります「あの頃履いていたスニーカー」というのは、純粋さや無垢な理想の象徴でした。
つまり、スニーカーを履かないというのは、社会に出て大人になる過程で、自分の純粋な美学を現実の泥(妥協や不条理)で汚したくなくて封印してきた、ということなのではないでしょうか。
スニーカーを履かなかった期間、純粋な情熱を脇に置いたまま、主人公は社会のルールや体裁に合わせた生き方をしてきたわけです。
そこで、以下のように主人公は自問自答します。
「純粋さを汚したくないという口実のもと、本当は泥臭く葛藤したり失敗して傷ついたりすることを恐れていただけなのではないか」
「もしかしたら、安全な道ばかり選んで生きてきてしまったのかもしれない」
「自分が歩んできた道は青春の自分に恥じないものだっただろうか」
ラスサビは1サビの繰り返しになっています。
久しぶりに母校を訪れて「あの頃の自分」を思い出した主人公。
社会に出て揉まれ、現実を知ったとしても、自分の中に残る「青臭さ」や「純粋な想い」を捨てる必要はないのだと、思い至ったのでしょう。
葛藤と内省を経たうえで、あらためて、あの頃のスニーカー(純粋さ)は宝物なのだと確信します。
大人になるにつれて、現実を前にし、子供の頃の純粋さは影を潜めていきます。
けれども、純粋さは失われたわけではなく、胸のどこかに仕舞われているのです。
その純粋さを宝物とし、青臭く泥臭く生きて行くのも悪くはないのではありませんかね。
この曲は、そんなことを思わせてくれる楽曲です。
秋元康 作詞, 五戸力 作曲, 樫原伸彦 編曲
AKB48「あの頃のスニーカー」(2008年)
