村山彩希が劇場公演の出演1000回を果たしたのは2020年1月のことです。
これは48グループ史上初の偉業となります。
この偉業を成し遂げたメンバーは、2026年9月現在、6人のみであり、その全員が既に卒業しています。

 

村山彩希は最終的に1358回の劇場公演に出演し、歴代最多出演回数を誇っています。
まさに唯一無二の人ですよね。
おそらく今後も、この回数を超える人は現れないのではないでしょうか。
彼女は紛れもなく48グループの輝けるレジェンドと言って良いのでしょう。

 

この曲は、そんな村山彩希が初めてセンターを務めた楽曲で、AKB48の54thシングル「NO WAY MAN」のカップリング曲として収録されています。

 

歌詞の内容は、世間の流行や過酷な環境に流されず、自らの信念に従って愚直に舞台に立ち続ける人物の誇りと強さを描いています。

 

そう、言わずもがなこの曲は、選抜総選挙への不参加を貫き、48グループの原点である劇場公演のステージに情熱を注ぎ続けた村山彩希の生き様を、濃密に投影した曲なのです。

 

1番Aメロ・Bメロ

最後に存在が目撃されたのは
誰もが絶望したあの時代

傷ついた人々は
生きる意味 失って
広場の片隅でじっと固まっていた

「誰もが絶望したあの時代」とか「生きる意味 失って 広場の片隅でじっと固まっていた」とかいったフレーズが見られることから、かなり暗い世相(せそう)であることが窺(うかが)われます。
さらに、大サビの歌詞には「戦火に焼かれた広場」というフレーズがありますから、戦争の災禍に巻き込まれて、人々が絶望の淵に突き落とされている状況にあるのでしょう。

 

そうした過酷な状況下で、最後に存在が目撃されたのは誰かというと、この歌の主人公である「彼女」になります。

 

 

翻(ひるがえ)って、この曲がリリースされた当時のAKBを思い返してみると、絶頂期を過ぎて停滞感や閉塞感が漂っている状況に置かれていたわけです。
世代交代もうまく進まず、人気にも陰りが見えてきたころになります。

 

Bメロの歌詞にある「傷ついた人々」というのは、そうした厳しい状況の中で、世間の関心の移り変わりや結果が出ない焦りに翻弄(ほんろう)され、立ちすくんでしまっているAKB48そのものを象徴しているのではないでしょうか。

1サビ

それでも彼女は歌って踊り続けた
悲しみを振り払うように
それでも彼女は諦めたりはしない
ふいに希望が見えた気がした
どん底にいても何か信じれば
頭上には限りない空が広がってる

周囲に諦めや悲しみが漂う中でも、「彼女」はただひたすら歌って踊り続ける行動を選びます。

 

そんな「彼女」の姿を目の当たりにした人々は、やがて希望の光を見出していきます。

 

生きる意味を失うほどの絶望の中にあっても、何かを信じて諦めなければ、必ず希望が見えてくるはず。
「彼女」の歌と踊りが、人々の心にそうした気持ちを芽生えさせてくれたのでしょう。

 

 

村山彩希は、他を犠牲にしてでも意固地(いこじ)なまでに劇場公演にこだわってきました。
そして、彼女は誰よりも踊れるし歌える。
ダンスでもボーカルでも、多くの人を惹きつけるだけの力を持っているわけです。

 

食わず嫌いで参加を避けていた歌唱力No.1決定戦には、第4回大会以降出場するようになりました。
そこで大いに刺激を受けたのか、歌うことへの意識も変わり、歌と真摯(しんし)に向き合うことで、その歌声はさらに磨かれていきます。

 

パフォーマンスというのは歌とダンスで両輪を成しているわけですから、歌のレベルがアップした彼女のパフォーマンスは、ますます厚みを増していきました。

 

総選挙という大きな評価軸から離れていても、劇場のステージで泥臭くパフォーマンスを重ねることでしか見えない希望があるということを、彼女は見事なまでに体現しています。
やはり彼女は、ステージで歌って踊っているのが一番魅力的なのではないでしょうか。
そんな彼女の姿を見て、希望や勇気をもらっている人も少なくないはずです。

2番Aメロ・Bメロ

いつしかあの人は英雄と祀(まつ)られ
多くの若者が集まった

誰もみな問いかけた
今 何をするべきか?
答えが見つからぬままに路頭に迷う

英雄として祀(まつ)りあげられた人たちの言説(げんせつ)に、多くの若者たちが惑わされているといったところでしょうか。

 

「英雄と祀(まつ)られ」というのが、いかにも皮肉な物言いですけれども、どういう人たちのことを指しているのでしょうか?

 

それは、何だかよく分からないけれども、もっともらしい御高説を開陳(かいちん)して世間から注目を集めているような人たちのことを指しているのでしょう。
例えば、あのコロナ騒動の最中、どこからともなく湧いて出て来た自称専門家のような胡散臭(うさんくさ)い連中などがそれに当たります。

 

とかく大衆というものは、こういった注目を集めている人物の怪しげな言説(げんせつ)や、人知れず作り出された「流行」に翻弄(ほんろう)されがちなものです。

 

 

流行(はや)り廃(すた)りの激しい芸能の世界においても、観客は流行を追い求め、人気のある存在や注目を集めている存在に群がっていく。
いわゆるミーハーという奴ですかね。
その「人気」や「注目」も、多分(たぶん)に作られたものであったりするのですけれども……。

 

ファンの側としては、純粋に好きで推しているという面ももちろんあるのでしょう。
けれども一方で、流行(はや)りの先頭にいたい、多数派の側に属していたい、あるいは勝ち馬に乗りたい、といったような心理も働いて、注目を浴びている存在にすり寄っている面もあるのではないでしょうか。

 

演者の側は、そうした状況を横目で見ながら、トレンドを追うべきなのか否(いな)か、周囲に合わせた方が良いのか、自分が本当に目指したいものは何なのか、いろいろと悩み迷うこともあるでしょう。
場合によっては、自分の行くべき道を見失ってしまうこともあるかもしれません。

 

そんな中で、自分の軸をしっかりと保ち続けるのは、よほど意志が強くないと、なかなか難しいですよね。

2サビ

それでも彼女は舞台に立ち続けた
ただ単に立ちたかっただけ
それでも彼女はやりたいことをやった
自分の意思が大切なんだ
ツイテナイ時もツイテイル時も
しっかりと踏ん張ってそこに立つしかない

「彼女」が舞台に立つのは、名誉や評価のためではなく、「ただ単に立ちたかっただけ」という自身の純粋な情熱からなのです。

 

調子が良いときも悪いときも一喜一憂せず、今ある自分の舞台で踏ん張り続けようとする。
どんなときでも自分の意思に従って、自分が立つべき場所でしっかりと地に足をつけて立つ。
それしかないだろうということです。

 

 

ただ純粋に「劇場が大好き、劇場に立ちたい」という思いで劇場のステージに立ち続けている村山彩希。
選抜に加わるようになった彼女は、依然として公演に出演できるときには可能な限り出演していました。

 

選抜メンバーともなると、プロモーションやら外仕事やらが増えて忙しくなりますし、歌番組などの華やかな場所にも出られるとあって、劇場公演が原点だと言いながらも、どうしても公演の優先順位が低くなってしまう傾向があるのではないでしょうか。
そんな中にあっても彼女は、何はさておき公演に出続けているわけですから、劇場公演に懸ける情熱には凄まじいものがありますし、一貫していてブレがない。

Cメロ

風の向きを感じて
右へ左へ 合わせるよりもブレない方がいい

時代のトレンドや世間の損得勘定(そんとくかんじょう)に合わせて右往左往する生き方を排し、自分の軸をブレさせずに保つことの価値を語っています。

 

 

多くのメンバーが「選抜」にこだわる中、村山彩希は「選抜」よりも劇場のステージに立ち続けることのほうにこだわってきました。

 

かつては、劇場公演を優先して、立候補制になってからは、総選挙にも出ませんでした。
テレビの歌番組と被ったときには公演を優先させたこともありました。

 

それを見て、いろいろと思う人もいたかもしれませんけれども、彼女にしてみれば、いたって当然の振る舞いだったわけです。
彼女にとっては、劇場公演のステージに立ち続けることこそ、自分の存在意義そのものだったのですから。

大サビ

彼女の名前は歴史に残ってないが
人々の記憶には残る
戦火に焼かれた広場のその真ん中
自分の場所を守っていただけ

それでも彼女は歌って踊り続けた
悲しみを振り払うように
それでも彼女は諦めたりはしない
ふいに希望が見えた気がした
どん底にいても何か信じれば
頭上には限りない空が広がってる

自分の立つべき場所に立って歌って踊り続ける「彼女」は、歴史に名を残す「英雄」と称されるような人ではなかったかもしれません。
けれども、そんな「彼女」から希望の光をもらった人々は、「彼女」のことを深く記憶に留めているのではないでしょうか。

 

 

競争の激しいアイドル界において、村山彩希は自分の主戦場である劇場という居場所を最後まで守り抜きました。

 

彼女は、劇場のステージに立ち続けて、最終的に1358回にも及ぶ出演を果たしています。
けれども、本人としては、出演回数をそれほど意識していたわけではないのでしょう。
好きでステージに立ち続けていた結果、気が付いたら他のメンバーが追随(ついずい)できないほどの回数になっていたというのが実情なのではありませんかね。

 

一方、彼女が表題曲の選抜に初めて加わったのは、実に加入7年目のことであり、ましてや表題曲センターには一度も立ったことがありません。
つまり、世間的には決して注目を集めるようなメンバーではなかったわけです。

 

だとしても、ステージに上がった彼女を目の当たりにした誰もが、そのパフォーマンスに魅了され、その姿を深く心に刻み付けることになるのです。

 

 

こうして見てくると、この曲は、まぎれもなく村山彩希を歌った曲なのですよね。
つまり、秋元Pが彼女に当て書きした曲であると言って差し支えないのでしょう。

 

「選抜」に入ろうが入るまいが、村山彩希は微動だにしない確固たる軸を持っている。
それは、劇場のステージに立ち続けるということ。
そしてそれはまた、AKB48というグループの原点でもあるわけです。
その「原点」を見事に体現していたのが、村山彩希という人だったのです。

 

村山彩希をモチーフにした曲は、この曲の他に卒業曲である「ゆいりー」がありますけれども、こちらは彼女のファン目線による惜別(せきべつ)の歌になっています。
そのような作りにしているのは、彼女の生き様は「それでも彼女は」で既に余すことなく描いているからなのかもしれません。

 

AKBの楽曲には、メンバーのエピソードをモチーフにしたり、特定のメンバーに当て書きしたりしている曲が多数あります。
そういった曲の中でも、この「それでも彼女は」は、物語の中に彼女の生き様を見事に埋め込んだ、秀作と言えるのではないでしょうか。

 

※引用:
秋元康 作詞, 村井大 作曲, 村井大 編曲
AKB48「それでも彼女は」 (2018年)