この曲は、AKB48の4thアルバム「1830m」の収録曲です。
当時の国内48グループの全メンバーが参加している合唱曲になっています。
惜しむらくは、全編ユニゾンで歌っていて、ハモリがないことでしょうか。
もともと広がりのある曲なので、ハモリが効果的に入っていれば、より一層奥行きのある曲になっていたのではないかという気がします。
歌詞の内容は、離ればなれになった「君」のことを想う「僕」の心情を描いています。
ただ、「君」というのが「僕」にとってどういう存在なのか、なぜ離ればなれになってしまったのか、具体的な情報は示されていないのですよね。
「君」は、恋人なのか片思いの人なのか、あるいは友人なのか、何かを共に追い求めた仲間なのか……。
「君」がどういう人で、なぜ別れたのか、それは聴き手がそれぞれ自分の状況に引き寄せて聴いてもらえれば良いということなのでしょう。
ところで、この曲が作られたのは、AKB48が悲願の東京ドームでのコンサート開催を控え、前田敦子の卒業を迎えようとしていた頃に当たります。
それを考えると、もしかしたら秋元Pはそうした状況を踏まえてこの曲を作ったのかもしれません。
前田敦子を、この曲の「君」になぞらえて。
この曲の歌唱には、国内48グループの全メンバーが参加しているということも、そうした想像を掻き立てます。
なにせ前田敦子は、AKB48のみならず、48グループ全体の象徴的な存在だったわけですから。
この曲は、去っていく大切な存在へのメッセージであり、残された者たちが抱える喪失感と決意を表しています。
そういったことからしても、前田敦子への想いが込められた曲なのではないかと感じずにはいられません。
1番A、A'メロ
もしも 空のどこかに
君が住んでいるなら
僕は時々
見上げてみよう
もしも あの太陽が
君の微笑みならば
どこにいたって
微笑みを返そう
「空」にしても「太陽」にしても、とても身近な存在でありながら、一方で手の届かない遠い存在でもあります。
離ればなれになり、なかなか直接会うこともできなくなってしまった「君」を、そうした手の届かない存在に投影しているのでしょう。
そこには、「僕」の寂しい気持ちが込められているわけです。
そんな存在になってしまったけれども、「君」は今、幸せなのだろうか、元気に過ごしているのだろうかと、「僕」は気にかけずにはいられない。
そして、「君」が笑顔で過ごしているのなら、「僕」も幸せな気持ちでいられる。
ここでは、そういう思いを表現しているのではないでしょうか。
1番Bメロ
今 僕が
遠くに見えても
木々の隙間の陽射しは
心に届いてるから
遠く離れてしまったけれども、「君」の思いは「僕」に届いているということを伝えています。
ここの歌詞を見る限り、「君」と「僕」が離ればなれになった要因は、決してネガティブなことではなかったのだろうと推測されます。
喧嘩別れしたとか気持ちが離れてしまったとかではなく、もっと前向きな形での別れだったのでしょう。
だからこそ、物理的な距離はできてしまっても、心は繋がったままでいられる。
そういうことを言っているのではないでしょうか。
1サビ
青空よ
寂しくないか?
季節は過ぎてく
そばにいた雲たちも
追われるように…
新しい風
どこからか吹いて
すべてが流されて
空に青だけ残った
「青空よ 寂しくないか?」という問いかけは、「君」に対するものではなく、自分自身の孤独感を「空」に投影した表現なのではありませんかね。
「そばにいた雲たち」というのは、仲の良かった友人や、苦楽を共にしてきた仲間たちのことを指しているのでしょう。
そして同時に、そうした親しい人たちと過ごした賑やかな日々のことでもあるのだと思います。
親しい人たちも楽しかった日々も、時の移ろいとともに流れ去って行く。
その寂しさを、しみじみと感じているのでしょう。
そして、「空に青だけ残った」というわけです。
「青空」は、秋元Pの書く歌詞に限らず、「若さ」や「青春」、あるいは「平和」のメタファーとして用いられることが多い言葉です。
ここでは、おそらく「青春」を喩えているのでしょう。
周りの人々も日々の状況も、時代の変化とともに変わっていく。
けれども、過ぎ去りし青春の記憶だけは、いつまでも心の中に残り続ける。
そういうことを伝えているのではないでしょうか。
2番A、A'メロ
もしも この雨粒が
君の涙だったら
僕のこの手で
拭ってあげる
もしも 君が今でも
傘を持ってないなら
あの日のように
相合い傘しよう
「君」が悲しみや辛さを抱えているなら、手を差し伸べたいというわけです。
離ればなれになってしまい、実際に手を差し伸べることは難しいかもしれません。
それでも、いつでも気持ちは寄り添っているということを伝えたいのでしょう。
2番Bメロ
思い出を
そう ひとつひとつ
時間のドアを開(ひら)いて
誰かに話したいんだ
他人の思い出話を聞かされても、当事者たちでなければ懐かしむことはできませんよね。
話が盛り上がることもなく、「それは良い思い出ですね」と通り一遍の感想を述べて終わりになるのが関の山でしょう。
ここでは、思わず人に話したくなるほど素晴らしい思い出であるということを強調しているのかもしれません。
歌詞の文章そのものは平易なのですけれども、どう捉えれば良いのやら……。
いっそのこと、前田敦子の卒業に絡めて解釈したほうが、合点がいきやすいようにも思います。
かつてAKBの黄金時代を先頭で切り開いてきた前田敦子。
彼女がAKBで活動してきた事実は、自分の心の中に刻まれている。
その尊い記憶を、レジェンドとして語り継いでいきたい。
そういう思いを示していると捉えれば、なんとなくわかるような気もします。
2サビ
歌おうか
青空のうた
やさしくなりたい
懐(なつ)かしいメロディーに
癒されるはず
どこからだろう
聴こえて来ないか?
気持ちが晴れるうた
人はそっと口ずさむ
「青空のうた」というのは、自分たちの青春を彩ってくれた数々の歌のことを指しているのでしょう。
そうした歌がどこからともなく聞こえてくれば、懐かしさのあまり、つい口ずさんでしまう。
そして、当時の気持ちや感覚が蘇ってきて、ノスタルジックな感傷に浸ることもできる。
そうなれば、寂しさや悲しみも和らぐのではないでしょうか。
「ポニーテールとシュシュ」、「Everyday、カチューシャ」、「フライングゲット」といったAKBの曲を耳にすると、ファンならずとも、多くの人が前田敦子の姿を思い浮かべることでしょう。
これらの曲は、メンバーやファン、そして前田敦子本人にとっては、特別な意味を持っているわけです。
同じ時間、同じ場所、同じ思いを共有してきた、自分たちの青春とともに在った曲なのですから。
耳にすれば心が癒され、時には勇気づけらることもあるでしょう。
それこそ、思わず口ずさみたくなるのではないでしょうか。
ラスサビは1サビの繰り返しになっています。
形あるものは時の流れとともに移り変わっていくけれども、青春の記憶は心の中に永遠に残り続ける。
そしてその記憶は、人の心を癒やし、勇気づけてくれることもある。
この曲は、そんなことを歌っているのではありませんかね。
秋元康 作詞, 宮島律子 作曲, 野中“まさ”雄一 編曲
AKB48「青空よ 寂しくないか?」(2012)
