この曲は、AKB48の57thシングル「失恋、ありがとう」のカップリング曲です。
もともとはテレビの音楽特番用に書き下ろされた曲で、そのためなのか、やや短めの曲になっています。
ただ、その音楽特番の「ハモリ」企画の曲として作られているだけあって、ハモリはとてもきれいです。
歌唱力No.1決定戦のファイナリストLIVEでファイナリストたちに歌ってほしい曲ですよね。
1番Aメロ
なぜ僕は生きているのか 立ち止まって考えた
生まれた意味が誰にもあるとずっと信じている
曲のタイトルやイントロの雰囲気からして、切ないラブソングかと思いきや、のっけから重々しい実存的な問いから始まっています。
自分は何のために生きているのかという……。
人間というものは、つくづく面倒くさい生き物ですよね。
なまじ知能が発達したがために、こんなことで頭を悩ませなければならないのですから。
自分が生きていることの意味を問うなどという面倒なことを考えてしまうのは、あらゆる生き物の中で、おそらく人間しかいないでしょう。
これはもう、知能が発達した人間の宿痾みたいなものでしょうかね。
そもそも人間を含む生き物が生きていることには何の意味も理由も価値もないのですよね。
自分が今こうしてここに存在して生きているのは、単なる偶然にすぎないのであって、それ以上でもそれ以下でもない。
生きていること自体に何らかの意味などありやしないのに、なぜか人はその意味を求めてしまう。
「意味」も「理由」も「価値」も人間がそう見なすことによって、「意味」となり「理由」となり「価値」となるのであって、どうしてもそうしたものが欲しいのであれば、自分でそれを与えれば良いだけのこと。
自分の人生にはこういう意味があるとか、このために自分は生きているのだとか、自分の好きなように決めれば良い。
もっとも、そうしたものが何もなくても、人は普通に生きていけるのですけれども……。
むしろ、そうしたものがなければ生きていけないと思い込んでいる、もしくは思い込まされているがゆえに苦悩するはめに陥っている。
そういった意味では、この実存的な問いの答えとしては、「意味も理由も必要ない、ただ生きているだけで良い」という禅の教えが最も的確なような気がします。
1番Bメロ
暮れなずむ空に 自分だけ置いて行かれる気がして
今日という日が無駄ではなかった
大切な一日だったと帰りたい
「暮れなずむ空」ということですから、夕暮れ時なのでしょう。
社会人であれば仕事を終えて、学生であれば授業を終えて、家へ帰る頃合いということになります。
それぞれが皆、何かしらの目的をもって1日の務めを果たし、家路についている。
それに引き換え自分は、何のために生きているのかわからず、周りの皆に取り残されてしまったようで、焦燥感に駆られている。
「今日という日が無駄ではなかった」、つまり今日1日の自分が何かの役に立った、あるいは何かを成し遂げたと言えるような、自分の生を肯定できるような、そうした何かしら確かなものが欲しいということなのでしょう。
けれども、そうした実感がなかなか持てずに、もがき苦しんでいるということでしょうかね。
1サビ
愛する人(愛する人)
今いますか?(今いますか?)
その人の笑顔 見ているだけで
なぜかいつでも しあわせになる
世界中で(世界中で)
たった一人(たった一人)
その誰かと巡り逢うため
こんな孤独を
抱きしめ生きているんだ
ここで言う「愛する人」というのは、文字通り愛してやまない誰かのことを指していると捉えても良いのだけれども、ここまでの流れを考えてみると、「人」に限定する必要はないような気もしてきます。
つまり、「愛する人」というのはメタファーであって、自分にとってかけがえのない大切なもの、それは例えば恋人であっても良いし、何かの物やどこかの場所、過ごした時間でも良い。
あるいは、何らかの価値観でも良い。
要は、自分が生きていることを肯定できるような、そんな「希望」となりうるものを象徴していると捉えることができるのではないでしょうか。
そして、そうしたかけがえのない大切なものが、あなたにはありますかと問うている。
たとえ今はなくても、必ずそうしたものが現れるはず。
周りに取り残されて孤独の淵に立たされたとしても、それはそうしたものと出会うためのプロセスに過ぎないというわけです。
自分は何のために生きているのかと苦悩している割には、ずいぶんとポジティブ思考のような気もしますけれども、そう考えることで孤独の寂しさに耐えているとも捉えられるのではありませんかね。
2番Bメロ
夜空の片隅 輝いた星をようやく見つけて
暗闇でさえほっとするように
僕だけが寂しいんじゃないと呟(つぶや)いた
2番はAメロがなく、Bメロから始まっています。
詩的な表現をしていますけれども、ここで言っていることは、自分と同類の人間がいると気付いて安心感に浸っているということなのですよね。
自分だけが苦悩しているわけではない。
自分だけが取り残されて寂しいのではない。
他にも自分と同じような思いを抱いている人たちがいる。
それは、現実的な理解として正しいのではありませんかね。
傍から見ると周りの皆は充実した人生を生きているように見えるかもしれません。
けれども実際には、程度の違いはあるにせよ、この主人公と同様に、何かしらの苦悩や寂しさ、あるいは不安を抱えながら生きている人の方が多いのではないでしょうか。
この主人公は、そうしたことに思い至ったのでしょう。
ある種の連帯感をそうした人たちに抱いて、安心感を得ているということなのではありませんかね。
2サビ
愛する人(愛する人)
まだいなくても(まだいなくても)
未来の笑顔を夢に見てれば
悲しみだって 乗り越えられる
いつの日にか(いつの日にか)
運命の人(運命の人)
その隣に辿り着くため
愛とは何か
問いかけ続けるのだろう
「愛する人」、つまり自分にとってかけがえのない大切なものは、今はまだ現れていない、もしくは見いだせていない。
けれども、そうした存在は必ずいるはず、もしくはあるはず。
そう信じることが心の支えとなり、悲しみを乗り越える力となる。
「運命の人」というのは、自分の生を肯定できる「希望」のことを指しているのでしょう。
それこそ「愛する人」でも良いし、何か他の対象でも良い。
そうした「希望」を掴むために、「自分は何のために生きているのか?」と問い続けるというわけです。
ラスサビは1サビの繰り返しになっています。
アウトロ
愛する人 今いますか?
愛する人 こんなそばに
愛する人 もういたのに
愛する人 気づかなくて
自分にとってかけがえのない大切なものをなかなか見つけ出せない。
もしかしたら、それはどこかとんでもなく遠いところにあるような気がしてきてしまう。
けれども、それは思い込みに過ぎない。
ごく身近なところにも大切なものはある。
遠くばかり見ていて、足元をよく見ていなかったから気付かなかっただけ。
つまり、遠大な夢を描くのも結構だけれども、足元にあるかけがえのない大切なものにも気付いて、それを大事にしなさいということでしょうかね。
ところでこの曲、当初はラブソングかと思っていたのですけれども、よくよく歌詞を読み込んでみると、必ずしもそうではなさそうな気がしてくる。
もちろんラブソングとして受け止めても差し支えないのだけれども、「愛する人」というのをメタファーとして捉えなおしてみると、これはもうただのラブソングではなく、もう少し根元的なところを抉った、言うなれば哲学ソングのようにも思えてくるわけです。
「自分は何のために生きているのか?」という問いから始まって、自分の生を肯定する「希望」となりうる、自分にとってかけがえのない大切なものは、自分のすぐそばに見いだせるものだと結論付けている。
実際のところ、秋元Pがそうした意図をもってこの曲を作ったのかどうかは定かではありませんけれども、そう受け止めることのできる曲ではあるように思います。
秋元康 作詞, ナスカ 作曲, 若田部誠 編曲
AKB48「愛する人」(2020)
