この曲は、STU48の7thシングル「ヘタレたちよ」の表題曲になります。

 

長めのセリフが多い曲ですよね。
実は、このセリフの部分は「ヘタレ」たち側の言いぶん(むしろ言い訳か……)になっています。
そして、メロディーに乗せた歌の部分で、そんな「ヘタレ」たちに対して一歩踏み出すことを促すような言葉を、優しさを込めて投げかけているわけです。
まあ言うなれば、「ヘタレ」たちへの応援歌といったところでしょうか。

 

イントロ

Wow...(Wow...)
さあ ヘタレたちよ
頑張れ!

人を揶揄(やゆ)する言葉としての「ヘタレ」というのは、臆病者とか無気力な人とか情けない人とか、概してダメな人のことを意味しているわけですけれども、関東ではあまり使われない言葉ですよね。
関西弁由来の言葉なのでしょうか。
生まれも育ちも関東の身としては、子供の頃には「ヘタレ」という言葉を使ったことも聞いたこともありませんでした。
関西で人気の芸人さんたちが東京のテレビ番組にも多く出演するようになってきた頃から、関東でも聞かれるようになったような気がします。

 

そんな「ヘタレ」に向かって、冒頭いきなり「頑張れ!」と鼓舞して始まっているわけです。

セリフ1

「期待されてないって、すっごく楽なんだよね。
あいつにはできるわけないって みんな思ってるからさ。
確かにこういうの、向いてないし、
一生懸命やらなくていい?」

それ相当の実力があって自信もある人にしてみれば、期待されるというのは背中を押してもらっているようなもので、ポジティブに作用することが多いのではありませんかね。
場合によると、持てる力以上の力を発揮する原動力にもなりえるわけですから。

 

片や、そうではない「ヘタレ」たちにとっては、期待されるというのは重荷でしかありませんし、なんなら苦痛ですらあるわけです。
そうなると、期待されないことの方が気が楽で良いということになりますよね。
失敗したりしても、「やっぱりね」とか「まあ、そなことだろうと思った」で済まされるでしょうから。

 

「向いてないし、一生懸命やらなくていい?」というのは、いかにも「ヘタレ」が言いそうなセリフではありますよね。
そもそも「向いていないし」という物言いは、本気を出さずにいる自分を正当化するための言い訳でしかない。
自分にやる気があるかないかという気持ちの話を、向いているかどうかという適性の話にすり替えているわけですから。
努力して苦労するのを嫌がっているのか、努力しても無駄になるならやらなくてもいいやと思っているのか……。
まあ、そういったところが「ヘタレ」と呼ばれる所以(ゆえん)なのでしょう。

1番Aメロ

“頑張れ”って言葉 これ以上言いたくない
だって君は充分 頑張っていること知っているから
そこそこでいいんじゃない? 向きになることない
辛くなってしまったら歩けばいいし
休んだって問題ない

「ヘタレ」に対して優しいですよね。
きっと人知れず頑張っているのだろうから、これ以上「頑張れ」などとは言わないというのですから。

 

確かに近頃、この「頑張れ」と言われることを嫌う人もいますよね。
「頑張っているのに、これ以上何を頑張ればいいんだよ」と反発するわけです。

 

励ましのつもりで「頑張れ」と声をかけるのも、まあ通り一遍な感じはしますけれども、何も「もっと頑張れ」という意味でこの言葉を発しているわけではないのですよね。
頑張っている人に対して、「あなたはよく頑張っているよね。ちゃんとあなたのことを気にかけているし応援しているからね」という意味で用いているわけで、励ましの気持ちを「頑張れ」という一言に込めているわけです。
それを受け取り手が、何かせっつかれているように勝手に受け取ってしまうというのは、あまりに心に余裕がなさ過ぎると言いましょうか、言葉の受け取り方としてセンスがなさ過ぎるような気もします。
自分のことを気にかけてくれているのだなと素直に考えて、「ありがとう」と返せばそれで済むことのようにも思うのですけれどもねぇ……。

 

さて、このAメロでは、さらに「そこそこでいい」とか「休んだって問題ない」とか、ずいぶんと寛容な物言いが続いていますよね。
そんなに甘やかして良いのだろうかと思ってしまいますけれども。

1番Bメロ

人は誰だって
だらしない生き物
だけど変わってみたくなる
そう これをきっかけに

人は誰しもだらしないかどうかはわかりませんけれども、まあ概して横着(おうちゃく)な生き物ではあるかもしれません。
楽ができるのであれば、簡単に安易な方に流されていきますから。
けれども、それがごく普通の人の人情というものではありませんかね。
大多数の人が、そうした人間としての本質的な弱さや不完全さを持っている。
そう考えてみると、「ヘタレ」というのは何も特別な存在ではなくて、誰もがどこかに「ヘタレ」の部分を持っているのかもしれませんね。

 

そんな弱さや不完全さを持った人であっても、ときには何らかの衝動に突き動かされることもあるわけです。
それは、大それた希望や目標とかではなく、ほんのささやかな望みなのかもしれません。
けれども、そうした心の動きをきっかけにして、少しだけ行動を起こしてみるのも悪くはないだろうと、一歩踏み出すことを促しているわけです。

1サビ

「行け~!」

ああ ヘタレたちよ
ここらでいっちょ走ってみないか?
さあ 一度くらい
何がなんだかわからないまま本気出せ!
10秒だけやってみるか
何年かぶりに全力で
最高 最高 最高 最高 気持ちいい
自分に「せ~の」頑張れ!

ここで一気に「ヘタレ」たちを鼓舞するわけです。

 

「何がなんだかわからないまま本気出せ!」というのは、あれこれ考え出すと何もしないまま時間だけが過ぎていくことになるから、もう何も考えずにとりあえず動き出してしまえということを言っているわけです。
この際、理屈ではなく感情の赴くままに動いてみろということなのでしょう。

 

「10秒だけやってみるか」というのも、なんだかずいぶんとハードルが低いですけれども、どれだけやってみるかというよりも、まずは行動を起こしてみることが大切だということなのでしょう。

 

そうやって行動を起こしてみれば、本気を出したり全力を尽くしたりすることに純粋な喜びが得られることに気が付くはず。
どんな結果になるのか、人からどんな評価をされるのか、それは分からない。
けれども、そうしたこととは無関係に、頑張ることで心が満たされる。
だから、自分を鼓舞して、少しで良いから頑張ってみなよということなのでしょう。

セリフ2

「必死なのってさ なんかカッコ悪くない?
ちゃんとやってる人って 尊敬するけどさ
そういう人って、疲れないのかなあ。
やるよ、僕も、適当に…」

必死に何かに取り組むことのどこがカッコ悪いのかよくわかりませんけれども、必死になっている当人にしてみれば、カッコ良いとかカッコ悪いとか考える余裕など無いでしょう。
そんなこと考える余裕があるのなら、それは必死にはなっていないということになるわけですから。

 

カッコ悪いとか疲れるとか、「ヘタレ」の思考は本当にしょうもないですよね。
わき目もふらずに何かにのめり込んだ経験がないのでしょうかね。
だとしたら、可哀そうな人ですよね。

 

結局のところ、カッコ悪いからとか疲れるからとか言うのは、必死になったり努力したりすることを避けるための方便(ほうべん)でしかない。
つまり、楽をしている自分を正当化するための言い訳ということになります。

 

とは言え最後には、「やるよ、僕も、適当に…」と、まあ「適当に…」と予防線を張ることを忘れてはいないようではありますけれども、多少は前向きな姿勢を見せてはいるわけです。

2番Aメロ

力の入れ具合 誰もそれぞれだろう?
汗をいっぱいかいてる奴とか 肩で息つく奴とか
努力が見える方が評価されやすいけど
ただ黙々と自分なりのペースで
突き進む奴もいるってことさ

努力の形は人それぞれということでしょうね。
努力して成長していく過程を見てもらいたいという人もいれば、努力は人に見えないところでやって、その成果や結果である完成形だけを見てもらいたいという人もいるでしょう。
前者が48グループで、後者が韓流アイドルと言えばわかりやすいかもしれません。
どちらが良いとかどちらが優れているとかという話ではなくて、それぞれが抱いている美学の違いなのではありませんかね。

 

ところで、「努力が見える方が評価されやすいけど」というフレーズがありますけれども、報酬が伴う評価がなされるのは、あくまでも結果に対してなのではありませんかね。
いくら努力したところで、結果が伴っていなければ、それはやはり評価はされないでしょう。
つまり「努力」そのものは評価の対象ではなく、心情的にどう受け止められるかということなのだろうと思います。
たとえ結果が(かんば)しくなくとも、懸命に努力をしている姿を目にすれば、少なからず心惹かれることもあるだろうし、応援もしたくなる。
もしかしたら琴線に触れて大いに感動を覚えるということもあるかもしれません。
かように「努力」は評価の対象にはならずとも、人の心に訴えかけるものではあるわけです。
ただ、その「努力」をどのような形で実践していくかは、これまた人それぞれということになるのでしょう。

2番Bメロ

歩幅が違えば
スピードも違う
順位は競わないよ
ただ ゴールを目指そう

競争は目的ではなく手段なのですよね。
互いを高め合うための、あるいは自分の中に眠っている力を引き出すための、そしてモチベーションを上げるための。
目的はゴールにたどり着くこと。
順位は便宜的(べんぎてき)な結果に過ぎない。
大切なのは、他者との比較ではなく、自分自身が定めた目標に向かって、自分自身のペースで突き進み、そのゴールに到達すること。
「ただ ゴールを目指そう」というのは、そういうことを言っているのではありませんかね。

2サビ

「進め~!」

ああ 落ちこぼれよ
無関心のまま生きててもいいけど
そう 本当は
昔はかなり早く走っていたんだろう
それをやる意味は何もない
白けてるだけじゃ逃げられない
それでも それでも それでも それでも 腰を上げて
「せ~の」頑張れ

ここでは、とうとう「ヘタレ」から「落ちこぼれ」になってしまっている。
「ヘタレ」という言葉には、どこか諧謔的(かいぎゃくてき)な雰囲気がありますけれども、「落ちこぼれ」となると、自分で言えば自嘲(じちょう)、人から言われれば蔑視(べっし)されているような、そんな少々キツめの印象を受けるのではないでしょうか。

 

1サビではわりと寛容さもうかがわれ、とりあえず行動を起こしてみることを促していましたけれども、この2サビでは、やや厳しめに尻を叩いているような感じがありますね。

 

「昔はかなり早く走っていたんだろう」というのは、今は「ヘタレ」になって立ち止まっているけれども、かつては情熱を持って全力で駆け抜けていたときもあったのではないかと問いかけているわけです。
それを今一度思い出してみろということでしょうかね。
とは言え、「ヘタレ」の身としては、今さらそんな力を出したところでしょうがないだろうと思っている(白けている)。
けれども、現状の困難や問題からは逃れられませんよね。
「白けてるだけじゃ逃げられない」というフレーズは、そうした現実を突きつけているわけです。

 

そのうえで、諦めて冷めているだけでは何も変わらないのだから、つべこべ言わずに行動を起こせと奮起を促しているわけです。

Cメロ

褒めてもらえない
僕らの人生
そんなのどうでもいい
さあ やるかやらないか

他者からの評価や承認ばかりを気にしているから、そうしたものが得られないと、やる気をなくして白けてしまうのではありませんかね。
けれども、そうしたものは結構適当で一過性なものに過ぎず、そんなものに自分の人生の評価軸を置く方が間違っている。
そんな評価軸など捨て去って、真に自分のやりたいことを「やるかやらないか」、大切なのはそれだけなのではないかと、ここでは言っているのでしょう。

 

ラスサビは1サビを繰り返しています。
ただ、最初のセリフが、「行け~!」から「行くぞ~」に変わっています。
「行け~!」は、他者をけしかけているのですけれども、「行くぞ~」は、自分もやるぞと言っているわけです。
まあ、さしずめ率先垂範(そっせんすいはん)といったところでしょうか。

セリフ3

「僕はずっとヘタレだって言われて来た。自分もヘタレだって思ってた。
ここで一回ぐらい頑張ったって、それは変わらないけど、
なんかちょっとやってみようかな
ヘタレだってやる時はやるよ」

「ヘタレ」であることを自認し、一回頑張ってみたところでそれは変わらないだろうと、結構冷めた目で自分を見ているところがありますよね。
まあそれでも、「なんかちょっとやってみようかな」と、少しはやる気が出てきたのか、とりあえず一歩踏み出してみることを決意するわけです。
そして、「ヘタレだってやる時はやるよ」と、自分が「ヘタレ」であることを否定せず、むしろ「ヘタレ」である自分でも、その気になればやれるんだという自己肯定の言葉で締めくくっています。

 

※引用:
秋元康 作詞, A-NOTE、N-Sound 作曲, 野中“まさ”雄一 編曲
STU48「ヘタレたちよ」(2021年)