この曲は、STU48の8thシングル「花は誰のもの?」の表題曲になります。

 

ロシアによるウクライナ侵攻を受けて作られたと言われている、平和への願いを込めたメッセージソングです。
世界を巻き込む大戦の危機、あるいは核兵器使用の危機が高まる中、被爆地である広島を拠点に活動しているSTU48がこの曲を歌っているということに、大きな意味があるのではないでしょうか。

 

頭サビ

もしこの世界から 国境が消えたら
争うことなんかなくなるのに…

ラララ…
ラララ…

シンプルかつストレートなメッセージですよね。
妙なイデオロギーに基づくわけでもなく、ごく普通の一市民の素朴な理想を表現している。

 

世界から国境という人為的な境界線がなくなれば、領土や資源をめぐる争いの主な原因は解消されるのではないかというわけです。

 

もっとも、現実はそんな単純な話ではないのでしょう。
それは重々承知の上で、それでもなお、国境なるものの存在が争いのひとつの元となっているのであれば、そんなものはなくしてしまえば良いではないかと思いたくもなりますよね。

1番Aメロ

荒地にポツンと咲いてるその花 誰のものか?なんて
誰かと誰かが 自分のものだとお互いに言い張った

ここにあります「花」というのは、領土や資源など人にとって価値のあるもの、あるいは利益をもたらすもののことを指しているのでしょう。
そうした、人にとって価値のあるものを巡る所有権の争いが、世界中で絶え間なく繰り返されている。

 

一方で、この「花」には、また別のものが象徴されているのではありませんかね。
そのことを示しているのが、続くBメロです。

1番Bメロ

どこから眺めていたって 美しい花は変わらず 美しい
奪おうとすれば 愛はやがて踏み躙(にじ)られる

花には花そのものが持つ普遍的な美しさがありますよね。
そうした普遍的な美しさに、人にとって物やお金には代えられない普遍的な価値である平和や自由、純粋な心や愛など、誰のものでもない大切なものが象徴されているわけです。
そして、そうしたものも、実利的な価値のあるものを巡る争いによって、簡単に踏みにじられてしまう。

1サビ

もしこの世界から 国境が消えたら
人はみんな きっと しあわせなのに…
どうして何のため 線を引くのだろう
そう たった一つの地球の上

ラララ…

争いを引き起こす元となっている国境をなくせば、人々はみんな幸せに暮らしていけるのではないか。
なのになぜ人類は、こんな目に見えない境界線を引いて、自ら対立を生み出してしまうのか。
そんな、素朴な疑問を投げかけています。

 

民族なのか宗教なのかイデオロギーなのか、そうした何らかの(くく)りで「国家」というフィクションを構築し、そこに境界線を引いて互いにいがみ合う。
そして時には武力と言う名の残虐な暴力でもって相手を支配、もしくは殲滅(せんめつ)しようとする。
やっていることは、ヤクザの縄張り争いと変わりませんよね。
それを、この「たった一つの地球の上」において、同じ人間同士でやっているのですから、人類というのは、かくも愚かな存在なのかと嘆息してしまう。

 

この「たった一つの地球の上」というフレーズが、人類が共有する惑星の普遍性を強調し、「国境」というものの無意味さを際立たせているのではないでしょうか。

2番Aメロ

生まれた大地がどこであろうとも 陽は沈みまた昇る
希望はいつでも 僕らの頭上に平等に降り注ぐ

同じ地球の上に存在している私たちは、どこにいようとも、朝に昇り夕方に沈む同じひとつの太陽を目にし、その同じ太陽の光を浴びている。

 

ここにあります「陽は沈みまた昇る」というフレーズは、喜びや悲しみのメタファーとしても用いられているのでしょう。
どこの国の人であろうとも、喜びや悲しみの感情を皆等しく持っている。
そして誰もが皆、希望を持って未来を生きようとしている。
そうした心の在り様は、生まれた国とは関係なく普遍的なものであり、全ての人に生まれながらに平等に与えられた人間の特質なのですよね。

2番Bメロ

日向も日陰も儚(はかな)く 誰のものか決められないだろう
笑顔も涙も独り占めなんかできないよ

太陽の光によって生じる日向も日陰も常に変化していて、それが誰のものであるかは決めようがありません。

 

「笑顔も涙も独り占めなんかできないよ」とあることから、この「日向も日陰も」というフレーズも、喜びや悲しみの感情、ひいては人の心の動きのメタファーなのでしょう。
そうした人の感情や心の動きは、誰かによって支配されたり独占されたりなどできるものではありませんよね。
(いわん)や、国家によってコントロールなどできないし、コントロールされるべきものでもないわけです。

2サビ

もしこの世界から 国境が消えたら
たぶん困る人がいるんだろうな
この線のここから入って来るなよと
勝手に旗を立て 孤立するだけ

痛烈な皮肉をかましていますね。

 

ここにある「困る人」とは、一体どういう人のことなのでしょうか?
それは、「国境」というものが存在していることによって既得権益や支配力を得ている人たちのことですよね。
そういった人たちにしてみれば、国境が消えてしまっては、これまで享受(きょうじゅ)してきた権益と権力を失うことになってしまいますから、そりゃあ困ることになるでしょうね。

 

「この線のここから入って来るなよと 勝手に旗を立て」というのは、一方的な所有権や排他的な主張のことを指しているのでしょう。
日頃のニュースでも、近隣諸国との揉め事として、よく耳にする話ではないでしょうか。
そんな、国境や領有権をめぐる争いは、隣接する国同士、世界中いたるところで起きていますよね。
国家間の問題と言えば、ずいぶんと高次な話のように聞こえますけれども、要はヤクザの縄張り争いと同じですからねぇ……。

 

そうした争いがエスカレートして、力ずくで奪い取ろうとすれば、国際社会から非難を浴び、孤立することになってしまう。
ウクライナに侵攻して、暴力でもって領土を奪い取ろうとしたロシアのように。
侵攻の理由として、あれこれと独りよがりな主張をしているけれども、かの国の独裁者の強欲なまでの権勢欲による暴挙には、いかなる正当性もありやしないのですよね。

Cメロ

数え切れないくらいの花が一面に咲いていれば
みんなの足下(あしもと)がどこなんて気づかない
しあわせを分けてあげよう

「数え切れないくらいの花」が咲き誇る世界とは、多様な人々が共存し、平和と幸せが満ち溢れる世界のことを表しているのでしょう。
そうした世界では、足下にある目に見えない境界線(国境)など取るに足らないものとなり、誰も気にも止めなくなる。
そして、お互いに幸せを分かち合えるようになる。
まさに、平和で美しい理想世界ですよね。

 

落ちサビは1サビの繰り返しになっています。
「国境」というものの無意味さをあらためて主張しています。

大サビ

もしこの世界から 国境が消えたら
争うことなんかなくなるのに…
見えない線ばかり 勝手に引いたって
僕たちは自由を諦めない

美しいその花 ずっと守りたいよ

ラララ…
ラララ…

大サビの前半は1サビの繰り返しになっていて、争いをなくすための国境の無意味化という素朴な理想を歌っています。

 

この「国境の無意味化」ということで言えば、坂道ABKの楽曲「国境のない時代」でも同じような内容のことが歌われていますよね。

 

 

「国境の無意味化」という思想において、両曲は通底しているわけですけれども、この「花は誰のもの?」は、ロシアによるウクライナ侵攻が起きた後に作られているだけに、その主張は「国境のない時代」よりも、ややアグレッシブになっています。
それを示しているのが、この大サビ後半ということになります。

 

「見えない線ばかり 勝手に引いたって」というフレーズで、国境が人間の恣意的(しいてき)な産物に過ぎないということを強調しています。
そして、その人為的な境界線に屈することなく、「僕たちは自由を諦めない」と、自由が奪われることに対して抵抗することを宣言しているわけです。
ここでは、国境という境界線を、自由を奪うものの象徴と見立てているのでしょう。

 

最後に、「美しいその花 ずっと守りたいよ」というフレーズがあります。
これは、平和や自由や愛、そして生命の尊さといった、誰のものでもない普遍的な価値を、何があろうとも守り抜くという強い決意を表しているのでしょう。

 

「花」という普遍的な美しさの象徴を通じて平和と共存を強く訴えかけているこの曲は、多くの人が共感できる楽曲なのではないでしょうか。

 

ところで、この「花は誰のもの?」は、STU48としては異例のロングヒットとなり、追加のシングルが劇場盤Extra Edition として発売されています。
その劇場盤Extra Edition には、「花は誰のもの?」公演のために書き下ろされた新曲2曲が収録されていて、その内の1曲が「そして人間は無力と思い知る」という楽曲になります。

 

 

実は、この「そして人間は無力と思い知る」は、「花は誰のもの?」と表裏一体の楽曲なのではないかと思われるのですよね。

 

「花は誰のもの?」では、国境がなくなれば争いもなくなるのではないかと歌っているのですが、言うなれば理想世界を歌っているわけです。
対して、「そして人間は無力と思い知る」では、どこかで起きている戦争やテロなど忌まわしい出来事に対して何もできないでいる自分に打ちひしがれるという、厳しい現実を歌っている。

 

理想を言挙(ことあ)げしておきながら、「でも僕らの現実はこうだよね……」と、理想と現実の両面をこの2曲でもって、秋元Pは提示しているわけです。
そのうえで、私たちはどう考えどう行動したら良いのだろうかと問いかけているのかもしれません。

 

※引用:
秋元康 作詞, 鶴久政治 作曲, Hiroya.T 編曲
STU48「花は誰のもの?」(2022年)