この曲は、AKB48・ひまわり組「夢を死なせるわけにいかない」公演の構成曲です。
「ひまわり組」というのは、チームAとチームKのメンバーをシャッフルして行われた公演のチーム名になります。
チーム制を採用していたAKBではチームごとに別々に公演が行われていて、同じグループのメンバーでありながら当初はチーム間の交流がほとんどなく、そのせいかそれぞれのチームのファン同士の対立も生じていたわけです。
そういったことを解消するための方策として、こうしたシャッフル公演が行われたのだそうです。
まあ、そんな時代もあったということですね。
1番Aメロ
いつも大人たちが言っていたわ
「森の中で遊んではいけない」と
理由さえも聞かされないまま
子どもたちは森を恐れた
この曲の主題である「森」というのは何を表しているのでしょうか?
ここでの「森」は、木々が鬱蒼と生えている森のことではなく、何かしらのメタファーとして用いられていることは間違いないのでしょう。
このAメロの文言を見る限り、どうやら大人たちは、この「森」に対してネガティブな感情を持っているようですね。
子供たちに対しても、「森」の中に入らないように警告している。
そして、その理由を大人たちは何も教えてくれない。
そうなると子供たちとしては、何だか分からないけれども漠然とした恐れを抱いてしまいますよね。
実は大人たちも、一体自分たちが何に恐れを抱いているのか分かっていないのかもしれません。
そもそも恐れる必要があるものなのかどうかも分からない。
1番Bメロ
鬱蒼とした
木々たちに閉ざされ
道も見えない
遠い世界
「森」の中は、こことは違う世界だということでしょうかね。
大人たちが良きものと考えている既存の価値観や秩序や常識から逸脱した世界。
ここにいて大人たちの言うことを聞いていれば良い。
そうすれば何も危険な目に遭わなくて済むし、大人たちが敷いたレールの上を歩いて行けば、無難な人生を送ることができる。
大人たちは子供たちにそう諭すわけです。
けれども、大人たちの庇護の下、そうした既存の枠組みの中に居続けることに、子供たちは窮屈さや息苦しさを感じ始めているのではありませんかね。
未だ見ぬ世界に対して、恐れから好奇心へと気持ちが動いていく。
1サビ
誰かが叫んだよ
「あの場所にも光はある
確かに…」
どんな悲しみにも
希望があるように
空の太陽は
見捨てはしない
「あの場所にも光はある」というのは、大人たちが忌避しているあの「森」の中にも希望があるはずだということなのでしょう。
もっとも、そう言いながらも確証がないものだから「確かに…」と、やや躊躇いを残すわけです。
大人たちは恐れているけれども、一体何を恐れているのか。
そこには何があるというのだろうか。
自分の目で確かめてみたいという好奇心、冒険心が強くなってくる。
「森」の中には明瞭な道もなければ道しるべもない。
どこもかしこも似たような景色で、自分がどこにいるのか、どこに向かって歩いているのかも分からなくなってしまう。
また、思いもよらぬ危険に遭遇して大変な思いをするかもしれない。
けれども、そんな困難な状況の中にあっても、必ず希望を見出すことはできるはず。
「空の太陽は見捨てはしない」というフレーズには、そう信じているという気持ちが込められているのではありませんかね。
2番Aメロ
だけど 大人たちは眉をひそめ
「森へ行ったら帰って来られない」と
小声でそっと囁き合って
森の前で背中向けた
それでも大人たちは、「森」を恐れ背を向ける。
大人たちにしてみれば、自分たちの知らない世界や、既存の価値観を覆すかもしれないもの、あるいは既存の秩序を乱すかもしれないものなど、そうしたものに対して強い拒絶反応を示してしまうのかもしれません。
時代とともに価値観も変わっていくもの。
テクノロジーも発達して、世の中の仕組みも変わってくる。
そうした変化にうまくついていけない者、あるいは旧来の世界に居心地の良さを感じてそこに留まり続けようとする者は、自分たちになじみのない新しいものに対して感情的な拒否反応を起こしてしまうことがありますよね。
本当は、そうした新しいものを受け入れれば、自分たちにとっても暮らしやすくなったり便利になったり、あるいはお得になったりするかもしれないのに……。
もしかしたら「森」に背を向けるというのは、新しいものを拒むというそうした姿勢を表しているのかもしれませんね。
2番Bメロ
どんな魔物が
住んでいるの?
歌詞の中では丁寧な物言いですけれども、要は「何ビビってんだよ」ということですよね。
大人たちは恐れているけれども、その恐れには何の根拠もないのではないかという疑問を子供たちは抱いているわけです。
2サビ
誰かが指差した
「影があれば光はある
絶対…」
深い絶望にも
明日は来るように
風が木洩れ日を
教えるだろう
「地球上に溢れている光よ」
冬の長い夜が
黒く塗りつぶしても
空を見上げれば
星が見える
「影があれば光はある 絶対…」というのは、1サビの「あの場所にも光はある 確かに…」と同じで、希望は必ずあるということを、確証はないけれども信じている、あるいは信じたいという微妙な心理を表しているのでしょう。
「風が木洩れ日を 教えるだろう」というのは、とても詩的な表現ですね。
季節や樹木の種類にもよるのでしょうけれども、鬱蒼とした森の中では、生い茂った葉によって陽の光は遮られてしまう。
それでも風が吹けば、その葉が揺らめいて木漏れ日が差し込んでくる。
森の中は薄暗くても、実は天空からは陽の光が降り注いでいる。
つまり、どれほど深い絶望の中にあっても希望は必ず存在しており、ほんのちょっとしたきっかけで、その希望の光を見出すことができるということなのではありませんかね。
「冬の長い夜が 黒く塗りつぶしても 空を見上げれば 星が見える」というフレーズも同様のことを言っているわけです。
困難な状況においても、視点を変えてみれば必ず希望の光を見出せるという。
Cメロ
そっと 目を閉じて
思い出しましょう
心に届く
神々しい
光がある
森へ行こうよ
「そっと 目を閉じて 思い出しましょう」というのは、「森」は危険だと言う大人たちの言葉に惑わされずに、自分自身の内なる声に耳を傾けようということを言っているのでしょう。
それはつまり、意味もなく恐れを抱くのではなく、真実をありのままに受け止める純粋な気持ちを呼び覚まそうということなのではありませんかね。
そしてその純粋な気持ちで物事を眺めてみれば、恐れではなく好奇心の方が勝ってくる。
大人たちに吹聴されて抱いていた先入観を取り払ってみれば、そこ(「森」の中)にもきっと心躍るような希望を見出せるはずだ。
「心に届く 神々しい 光がある」というのは、そういうことを言っているのではないでしょうか。
だからこそ「森へ行こうよ」というわけです。
大人たちは恐れていて、自分たちにとっても未知の世界ではあるけれども、そこにも必ず希望はあるはずだから、勇気をもって踏み入ってみようではないかということなのでしょう。
大サビは、1サビと2サビの後半が組み合わさったものが繰り返されています。
どんなところにも希望は必ず存在している。
それを見出せるか否かは当人次第だということなのではありませんかね。
この曲において「森」が象徴しているのは、未知の世界ということなのではないでしょうか。
そして「森」へ行くというのは、大人たちの庇護や支配から離れて、自分の意思に従って自分の足で歩いて行くということを意味しているのでしょう。
ここでの「森」は、既存の社会秩序や大人たちの価値観では推し量れない、自由で多様な可能性を秘めた世界なのではありませんかね。
大人たちが作り上げた安全な世界、それは一方で子供たちにとっては窮屈で息苦しい世界でもあるわけですが、そうした世界から脱して、たとえ困難や苦難があったとしても、自らの目で真実を確かめ、自分自身の希望を信じて歩んで行く。
この曲は、そうした勇気を持つことを促しているのではないでしょうか。
秋元康 作詞, Shusui、tefan Aberg 作曲, 勝又隆一 編曲
AKB48「森へ行こう」(2007年)
