この曲は、NGT48の11thシングル「希望列車」のカップリング曲で、メンバー全員参加の曲になります。
1番Aメロ
もう列車は来ないとわかっているのに
何回も振り返り
廃線になったレールを歩く
錆びついて動かずに どこかに捨てられた
僕の大切な何かは諦めるしかない
列車だとか廃線のレールだとかが、この主人公の心情を表すためのメタファー(隠喩)として用いられているわけですね。
「もう列車は来ない」というのは、かつて抱いていた夢や希望を掴み取ることは、今となってはもうできないということを示唆しています。
具体的には、例えば何かのオーディションとかで、年齢制限やらの要件があって、応募したくてももう条件を満たさなくて応募できないとかでしょうかね。
そうした外部の要因によって諦めざるを得ないということもあるでしょうけれども、ここでは自分自身の気持ちの問題というのもあるような気がします。
端的に言ってしまえば、情熱が失われてきたということではありませんかね。
かつてあれほど夢中になっていたのに、大きな挫折を味わったからなのか、いつしかその情熱が冷めてきて、何が何でもという気持ちにはなれなくなってしまった。
この主人公は、そのことを自覚してしまったのでしょう。
それでも未練は残っているわけです。
もう無理だろうなとわかっていながら、なかなか背を向けることができないでいる。
そうした、過去に囚われて前に進めない葛藤を、「何回も振り返り 廃線になったレールを歩く」というフレーズで表している。
最後の行にある「僕の大切な何か」というのは、言うまでもなく、かつて抱いていた夢や希望のことを指しているのでしょう。
時が経つにつれて情熱が失われて、いつしか放置していた夢や希望。
いまさら掴み取りに行こうとしても、気持ちが萎えてしまって、とてもではないけれども無理だとわかる。
もう未練を断ち切って、諦めるしかないのですよね。
1番Bメロ
心の車輪が壊れてしまっても
生きてさえいればいい
どうにかなるさ いつの日か
今は絶望に打ちひしがれていたとしても、生きていさえすれば、いずれ何か良いこともあるはずだ、といったところでしょうか。
「心の車輪が壊れてしまっても」というのは、なかなか前向きに進めない心理的な状況を表しているのでしょう。
とはいえ、そんな状況であっても、「どうにかなるさ いつの日か」と鷹揚に構えて楽観的になろうとしているところは良いですよね。
1サビ
思い出をゼロにして 初めからやり直そう
その場所に 立ち止まっていたら
自分が惨(みじ)めになる
失敗も過ちも悲しみも 全部 置いて行こう
傷負(きずお)う身体(からだ)引きずって
少しずつ 未来へと進もうか
いつまでも過去に囚われていても何も良いことなどないのだから、気持ちを新たにして再出発しようということを言っているのでしょう。
立ち止まっていないで、そこから抜け出そうということでもありますよね。
「失敗も過ちも悲しみも 全部 置いて行こう」というのは、要するに過去を全部清算してしまおうということです。
とはいえ、過去の記憶にはポジティブな思い出もあるわけですから、ネガティブな思い出だけを都合よくきれいさっぱり消し去るなんてことはできませんよね。
そこで、「思い出をゼロにして 初めからやり直そう」ということになるのでしょう。
つまり、良いことも悪いことも全部まとめて過去は消し去ってしまおうというわけです。
まあ実際には消し去ることなどできませんから、心の奥底に押し込めておいて、顔をのぞかせる余裕が無いくらいに夢中になれる何か新しいことを始めるということになるのでしょう。
「傷負(きずお)う身体(からだ)引きずって 少しずつ 未来へと進もうか」というのは、満身創痍の状態であったとしても、立ち止まらずに一歩ずつ前に進んで行こうとする強い意志を表しているのではありませんかね。
2番Aメロ
そのレールの端から 雑草が伸びていて
走ってはいなかった時間(とき)の流れを思い知った
そっと耳をそばだて 風の泣き声を聴く
昔の僕は何を叫んでるのか
廃線レールの端から雑草が伸びて、もしかしたらレールを覆い隠してしまうくらい繁茂していたのかもしれません。
その光景に、時の流れと風化していく過去を感じてしまう。
過去に囚われ、そこに停滞し続けていた自分自身の人生を、その光景に重ね合わせているのでしょう。
「そっと耳をそばだて 風の泣き声を聴く 昔の僕は何を叫んでるのか」というのは、静かに過去の自分と向き合い、当時の自分の感情や気持ちを理解しようとしているのでしょう。
2番Bメロ
時刻表もいつしか捨てられてしまった
人生のその駅を
どこで乗り換えるんだろう?
「時刻表もいつしか捨てられてしまった」というのは、人生の指針や目標を見失ってしまい、どこに向かって進んで行けば良いのやらわからなくなってしまったという状態を表しているのでしょう。
夢なり希望なりを持って懸命になっているときというのは、目指す目標ははっきりしているものです。
けれども、挫折するなどして、そうした目標が突然目の前から消えてしまったら、自分はこれからどうしたら良いのだろうかと途方に暮れてしまうことがありますよね。
誰しも経験したことがあるのではないでしょうか。
「人生のその駅を どこで乗り換えるんだろう?」という問いかけは、目標を見失い立ち止まっている状況から抜け出すための機会を模索していることを表しているのでしょう。
2サビ
過去なんかどうにかなる 明日から頑張ればいいんだ
新しい世界を見つけたら
躊躇(ためら)ったりしないで
さあ前へ さあ前へ 一歩目を踏み出せるはずさ
僕自身が真っ直ぐに走り 夢見る列車になろうと思う
まあ、大事なのは過去ではなくて未来だということでしょうね。
当然と言えば当然なのですけれども、過去をどれだけ悔やもうが悩もうが、今さらどうにもならないことなのですから、そんなことに無駄に心を煩わせることなどせずに、未来に目を向けるべきでしょう。
これからやってくる未来は、その気になれば自分の手でいかようにでもできるのですから。
そして、新たな可能性が開かれたり、何かしらのチャンスが訪れたりしたなら、躊躇うことなく掴み取りにいく勇気を持とうということを、ここでは言っているわけです。
初めてのことだったり、慣れないこと苦手なことだったりすると、どうしても二の足を踏んでしまいがちなもの。
誰もが大概そうなってしまうものですけれども、それでも勇気を振り絞って一歩を踏み出せた者が、誰よりも先へ進んで行けるのですよね。
結果がどうあれ……。
「僕自身が真っ直ぐに走り 夢見る列車になろうと思う」というフレーズは、自らが未来を切り拓いていくということの決意表明でしょうね。
落ちサビ
僕たちは
どんな時も
思い出を 塗り替える
この場所から始発駅になる
未来の分岐点だ
ここにあります「思い出を 塗り替える」というのは、古い思い出の上に新しい思い出が次から次へと積み重なっていくということを言っているのでしょう。
これはつまり、過去を忘れ去るということではなく、過去を乗り越えて新しい経験を重ねることで成長しいくということを意味しているわけです。
ここでは主語を「僕たちは」とすることで、特定の「僕」の話ではなく、一般的に人というものはそういうものだというニュアンスを持たせているのでしょう。
「この場所から始発駅になる」というのもまた面白い言い回しなのではありませんかね。
「この場所が」ではなく「この場所から」なのですよね……。
「この場所が」とすれば、不特定のどの場所でも「始発駅」になりえますけれども、「この場所から」とすることにより、過去から今に至るまでのどの地点においてももう「始発駅」にはなりえない。
「始発駅」になりえるのは、これから先の未来であるということを意味しているわけです。
そしてその「始発駅」は、未来への出発点であると同時に新たな選択と可能性が広がる重要な転換点でもあるということです。
ラスサビは1サビの繰り返しになっています。
いつまでも過去に囚われていないで、新たな一歩を踏み出して行く。
その決意が強調されています。
この曲には、過去の失敗や悲しみに囚われることなく、それらを乗り越えて新たな出発をしようではないかという、非常に前向きなメッセージが込められているのではないでしょうか。
秋元康 作詞, ナスカ 作曲, Stella 編曲
NGT48「思い出をゼロにして」(2025年)
