AKB48は今年(2025年)20周年を迎えることになったわけですけれども、そのちょうど半分、10周年目の年にリリースされた40thシングルの表題曲が、この「僕たちは戦わない」になります。

 

リリース時期からすると、この曲は夏曲に相当するのでしょう。
とはいえ、AKB48の夏曲シングルとしては、かなり異例の重々しいメッセージ・ソングになっています。
2010年「ポニーテールとシュシュ」から始まって、2011年「Everyday、カチューシャ」、2012年「真夏のSounds good !」、2013年「さよならクロール」、そして前年の2014年「ラブラドール・レトリバー」と、いかにも夏を感じさせる明るい曲が続いていたわけですから、余計にその異例さが際立ちます。
いかなる意図があったのかは定かではありませんけれども……。

 

ただ、この年は、イスラム過激派によるテロが世界各地で起きていて、ニュースでもたびたび大きく取り上げられていました。
また、1月には過激派組織ISによる邦人人質殺害というショッキングな出来事もありました。
そうした忌まわしい出来事があったということも意識されていたのかもしれませんね。

 

 

MVの中では、曲名とは裏腹に、ずいぶんと激しく戦っていますね。
もしかしたらMVでは歌詞の内容を逆説的に描いているのかと思いきや、実はそんなことはない。
歌詞の内容を理解したうえでMVを最後までしっかり見てみると、合点(がてん)がいくはずです。

 

MVの中では、メンバーが白い天使の衣装で整然と並んで歌っているシーンと黒い悪魔の衣装で激しく闘っているシーンとが交互に表れてきます。
これは、善意と悪意、愛と憎しみを表しているのではないでしょうか。
MVでのシーンは、それぞれの観念世界の表現であり、全体として心の中における相克(そうこく)を表しているのでしょう。

 

MVの最後のシーンで、黒衣装の島崎遥香が敵対する相手を怒りと憎しみでもってボコボコに殴りつけている。
そして、最後にとどめの一撃をくらわそうとしたとき、彼女は苦渋に満ちた表情を浮かべながら、振り上げたその拳を静かに下しているのですよね。
理不尽な相手を許せないという気持ちはもちろんあるでしょう。
けれども、ここでこの相手を仕留めてしまったら、また新たな憎しみの火を灯すことになってしまう。
そして延々と争いが続くことになる。
そんなことを繰り返していることに対する虚しさも感じていたのでしょう。
だから彼女は、やり場のない気持ちを抱えながらも、振り上げたその拳を下したわけです。

 

この曲の歌詞で主張していることは、愛((ゆる)し)でもって憎しみの連鎖を断ち切るということ。
つまりこのMVは、そのメッセージをしっかりと取り込んでいるのですよね。
MV最後の島崎遥香のあのシーンは、そのメッセージが鮮やかに描き出された見事なシーンだと言えるのではありませんかね。

頭サビ

僕たちは戦わない
愛を信じてる
振り上げたその拳
誰も下ろす日が来るよ

この曲で最も強調したいのが、ここにあります「愛を信じてる」ということになるのでしょう。
愛こそが暴力や争いの対極にあるものですから。

 

もちろん、愛があるがゆえに、その愛するものを奪われたことに対して怒りや憎しみも生まれる。
けれども、この曲で言っている「愛」というのは、もっと大きな包括的な「愛」と捉えることができるのではないでしょうか。

 

「振り上げたその拳 誰も下ろす日が来るよ」というのは、怒りや憎しみから振り上げた拳も、いつか必ず下ろされるときが来るはずだといったような希望的な観測を示しているわけではないのでしょう。
そんなに簡単に争いがなくなるのであれば、それに越したことはないのですから。

 

ここでは、愛の力で争いが終わってほしいという願いが込められていると捉えたほうが良いのかもしれません。

1番Aメロ

憎しみは連鎖する
だから今 断ち切るんだ

憎しみや争いは、さらなる憎しみや争いを生み出していく。
そうした負の連鎖が延々と続いていくことになるわけです。
人類の歴史において連綿と続いてきた負の連鎖は、今も続いていますし、これから先もおそらく終わることなく続いていくことになるのでしょう。

 

人間にさまざまな欲望があり、利害の対立が生じる以上、争いが絶えることはないのですよね。
そして、争いがエスカレートしてくれば憎しみを生み出すような事態にもなってくるでしょうし、憎しみは新たな憎しみを生み出すことになる。
愚かしいことだとは理性では理解できても、争いの当事者になってしまうと、そんな理性はまともに働かなくなってしまう。

 

「だから今 断ち切るんだ」というフレーズには、強い危機感と、現状を変えなければならないという決然たる意志が示されているのではありませんかね。

 

負の連鎖を断ち切るのは、怒りや憎しみにまかせて戦いに身を投じるよりも遥かに困難なことですし、大きな痛みも伴うことになる。
それでも、誰かが一歩を踏み出さないことには、怒りや憎しみはどんどんエスカレートしていくことになってしまう。

1番Bメロ

この世界で流れ落ちる涙の総量決ってるなら
みんなで分かち合おうか

確かに、苦しみも悲しみも、ひとりで背負うのではなく皆で分け合えば、それだけ個人の負担は軽減される。
お互いに共感し合い、助け合うことが必要だということなのでしょう。
このBメロの歌詞は、なかなか詩的な表現ですよね。

1サビ

僕たちは戦わない
明日を信じてる
絶望の雲の下
切れ間に青空 探せ!
君が思うより
人間(ひと)はやさしい
何もあきらめるな

争わないことで、希望が未来へとつながっていく。
そう信じているということなのでしょう。
と言うよりも、そう信じたいということなのかもしれませんね。

 

「絶望の雲の下 切れ間に青空 探せ!」というのは、たとえ絶望の中にあったとしても、そこで微かに見える希望の兆しを見つけ出そうではないかということを言っているわけです。
どんなに厳しい状況においても、決して希望を失ってはならないということを説いているのでしょう。

 

争いの当事者となってその最中にいるときには、怒りや憎しみの感情に心が支配されてしまう。
人が皆持っているはずの優しさだとか共感する力だとか、あるいは助け合う心だとかは、どうしても見失われがちになってしまう。
「君が思うより 人間(ひと)はやさしい」というのは、人には本来、そうした善意の心が備わっているのだから、それを思い出してごらんということなのではありませんかね。

2番Aメロ

微笑みは太陽だ
冷えた仲 暖めるよ

ここでは、「微笑み」を太陽になぞらえているわけです。
太陽は、その光で闇を明るく照らし、その熱で暖かさをもたらしてくれる。
古代文明では太陽が神として(あが)められていたというのも、むべなるかな。

 

敵意に満ちた目で睨み合うのではなく、お互いに微笑みを返すことで、気持ちも明るくなってくるだろうし、心も(なご)んでくる。
そうすれば、温かい関係を再構築することもできる。
微笑みには、それだけの力があるということなのでしょう。

 

怒りに任せて対立するのではなく、お互いに歩み寄ることが大切だということでしょうかね。

2番Bメロ

もし誰かが胸の奥に怒りの理由(わけ)を溜めているなら
すべてを聞いてあげよう

怒りに対して怒りで応じていたのでは、非難の応酬になってしまって、感情的な対立が激化するだけ。
まずは冷静になって、相手の怒りの理由を知ることから始めなければならない。

 

怒りの本当の原因は何なのか、背景に何があるのか、真摯(しんし)に耳を傾ける必要があるでしょう。
少なくとも、相手の気持ちを理解しようとする姿勢を示すことは不可欠なのではありませんかね。
そうした態度で臨んでいれば、相手も冷静になってきて、対話の糸口を掴むことができるかもしれません。

2サビ

僕たちは戦わない
愛を信じてる
ただ殴り合っていたって
時間(とき)は解決しないさ

「愛を信じてる」というのは、人が本来持っているはずの善意を信じていると言うことでもあるのでしょう。
話せばわかり合えるはずだということでしょうかね。

 

まあもっとも、五・一五事件のような例もありますからねぇ…。
時の首相・犬養毅がクーデター事件で青年将校に襲われた際、「話せばわかる」と(さと)したのにもかかわらず、「問答無用!」と射殺されてしまったという昭和初期の出来事。
現実は非情で残酷なものです。

 

ともあれ、対立して互いを攻撃し合っていても何も解決しない。
仮に、どちらかが相手を力ずくで屈服させたとしても、そこには新たな憎悪の火が灯ることになるだけ。
感情的な衝突は無益なだけだと訴えているわけです。

Cメロ

たった一つのボタン
掛け違えて
啀(いが)み合った
今日までの不幸
許し合おうよ

些細な誤解や行き違いから、大きな対立や争いに発展してしまうようなことは、この世の中、枚挙(まいきょ)にいとまがありませんよね。
愚かなことだとは思うのだけれども、争いの原因が、本当に取るに足りないことだったりする。

 

そんな取るに足りないことから始まった対立が、どんどんエスカレートして大いなる不幸を生み出しているのだとしたら、実にばかげている。
無益な争いを終わらせるためには、過去の過ちや不幸な出来事を、お互いに(ゆる)すことが必要なのではありませんかね。

 

ここでは、そうした寛容さをもって新たな関係を築き、未来に向かって進んで行こうということを言っているのでしょう。

ラスサビ

僕たちは戦わない
愛を信じてる
振り上げたその拳
誰も下ろす日が来るよ
ラララ…(いつか)
ラララ…(きっと)
ラララ…

前半は頭サビの繰り返しですね。
愛の力で争いを終わらせることができるはず。
だから愛を信じる、という強い決意が示されています。

 

後半の「ラララ…(いつか) ラララ…(きっと) ラララ…」というフレーズには、いつか必ず争いが終わって平和が訪れるという、未来への期待が込められているのではありませんかね。

 

この曲は、平和への願いが込められた、極めてメッセージ性の強い楽曲であると言えるでしょう。
反戦歌と捉えても構わないでしょう。

 

歌詞の内容は、きれい事の理想論のように聞こえるかもしれません。
けれども、言っていることは間違ってはいないのですよね。
おそらく大多数の人が、賛意を示すと思います。
ただ一方で、賛同はするけれども現実的にはそんなに簡単にはいかないだろうとも思われることでしょう。
だからこそ、理想を掲げるということには意味があるとも言えるわけです。
「そんなのは理想論だから」と言って片づけてしまったのでは、そこで終わってしまう。
実現不可能な理想であったとしても、その理想に少しでも近づこうと努力することで、たとえわずかでも今よりは良い方向に進んで行けるはず。
この曲には、そうしたメッセージも込められているのではありませんかね。

 

※引用:
秋元康 作詞, Yo-Hey 作曲, 佐々木裕 編曲
AKB48「僕たちは戦わない」 (2015年)