この曲は、AKB48・チームA「目撃者」公演の構成曲になります。
「目撃者」公演は、この曲から始まっているのですけれども、そのオープニングでは、出演メンバーたちがステージ上で全員倒れ込んでいる状態で、その後ろのスクリーンには「ベルリンの壁崩壊」の映像(後に、民衆の暴動の映像に変更されている)が流れるという、かなり衝撃的なものでした。
この「目撃者」公演は、48グループの数多(あまた)ある劇場公演の中にあって、極めてメッセージ性の強い特異な公演となっています。

 

この曲の歌詞を読んでみますと、ある年齢から上の世代の人たちには、そこに描かれている内容にどこか見覚えがあるように感じられるのではないでしょうか。
そう、この曲は紛れもなくあの天安門事件をモチーフとしているのですよね。

 

天安門事件というのは、1989年に起きた中国の民主化運動に対する弾圧事件のことです。
民主化を求める多数の市民や学生たち(その数10万人とも言われている)が天安門広場を占拠してデモを行っているところに、あろうことか共産党指導部は軍隊を出動させ、戦車まで使ってこれを武力で制圧してしまったのです。
そのため、多数の死傷者を出す事態となってしまいました。
とても悲惨な出来事ですよね。
あの国の権力亡者たちは、自分たちの権力維持のためにとんでもない暴挙に出たわけです。
武器を持たぬ自国民に対して、自国の軍隊が銃口を向けて引き金を引くという……。
こんなことはあってはならない。
この様子は映像や音声によって各国のメディアで報じられ、大きな反響を呼ぶことになりました。
けれどもあの国では、歴史上この事件はなかったことにされてしまっている。

 

「目撃者」公演が始まったのは2010年7月からで、その前年の2009年の夏には、この天安門事件からちょうど20年ということで、テレビなどでも特集が組まれ、この事件を扱った番組が放送されるなどしていましたから、秋元Pもこの曲を作るにあたって何かしらのインスピレーションを受けていたのかもしれません。
そういえば、東欧の民主化運動を象徴する「ベルリンの壁崩壊」も、天安門事件と同じ1989年でしたね。
公演冒頭にあの映像が流されていたということも、この楽曲が天安門事件をモチーフとしているということを示唆しているのではないでしょうか。

 

ちなみに、中国の姉妹グループであったSNH48がこの公演を行った際には、1曲目であるにもかかわらずこの曲を割愛して、公演名も「前人未踏」に変更されています。
「目撃者」は、この公演を象徴する楽曲ですから、ありえない所業(しょぎょう)ですよね。
それだけ、当局もこの楽曲に対してセンシティブになっていたということなのではありませんかね。

 

ところで、この曲は社会的なメッセージをかなり強烈に打ち出した、48グループの楽曲の中でもとりわけ異色な作品となっているのですけれども、テレビの歌番組とかで見るAKB48しか知らない人たちがこの曲を聴いたなら、さぞかし驚くことでしょうね。
AKBはこんな曲も歌っていたのかと……。

 

 

1番Aメロ

テレビのニュースで繰り返し伝えてた
一発の銃弾が正義 奪ったこと
平和を叫んだデモ隊の中で倒れた
勇気あるその人は 何を信じていたのか?

世界各地で起きているいろいろな出来事は、今ならネットを通じてリアルタイムに全世界に伝わっていきますけれども、天安門事件が起きた1989年当時は、まだ一般にはネットが普及していませんでしたから、何が起きているのか、もっぱらテレビの映像を通じて知ることになるわけです。
「テレビのニュースで繰り返し伝えてた」というのは、まさにそのことを言い表しているのでしょう。
ここからも、この曲が天安門事件をモチーフとしているというのがうかがい知れるのではないでしょうか。

 

冒頭からかなり強い言葉が発せられていますよね。
「一発の銃弾が正義 奪ったこと」というフレーズには、残酷なまでの権力による暴力と、それに対する強い抗議の意思が表現されていると言って良いでしょう。

 

平和を叫びながらも犠牲になってしまった人々は、いかなる信念に基づいてデモに参加していたのでしょうか?
彼らは一体何を望み、何を願っていたのでしょうか?
そして、彼らの死は何を意味しているのしょうか?
ここでは、聴き手にそう問いかけているわけです。

1番Bメロ

海の向こうの世界で
愛が壊れ始めてる
そこに流れた涙が
波になり近づく

「海の向こうの世界」とは、まさに天安門事件が起こったあの国のことを指しているのでしょう。
ただ、ここでは必ずしもこの件に関してだけ言及しているわけではないような気もします。
実はこの事件が起きた同じ年には、東欧諸国が一斉に民主化しているのですよね。
その多くは独裁体制から脱却して民主化を実現させているのですけれども、中にはルーマニアのように治安部隊と一般市民が衝突してしまったケースや、あるいはユーゴスラビアのように国が分裂して内戦が起きてしまったケースもあって、その中で理不尽にも犠牲になってしまった人もたくさんいたわけです。
「海の向こうの世界で 愛が壊れ始めてる」というのは、そういったことも指しているのではありませんかね。

 

「そこに流れた涙が 波になり近づく」というのは、そうした犠牲者たちの悲しみや怒りの大きさを表しているのででしょう。
そして、その悲しみや怒りは、大きなうねりとなって全世界に伝播(でんぱ)していくといったところでしょうか。

1サビ

僕たちは目撃者
決して 目を逸らしはしない
生々しい悲しみと
隠ぺいされた真実
僕たちは目撃者
悲劇を終わりにはしない
この胸に焼き付けて
時代の過ち 語り続ける
生き証人になろう

テレビ画面を通じてではありますけれども、私たちは見てしまった、知ってしまったのですよね。
目をそむけたくなるような信じがたい光景を。

 

「生々しい悲しみと 隠ぺいされた真実」というのは、事件の悲惨さや残酷さ、そして権力による隠蔽のことを言っているわけですよね。
天安門事件が起こった後、民主化に関わった人たちの多くは逮捕され、一部は外国に亡命したりもしている。
外国の報道機関は締め出され、国内に対しては厳しい情報統制が敷かれて語ることさえタブーとなり、事件そのものがなかったかのようにされてしまった。
そのため、この事件によってどれだけの犠牲者が出たのか、正確なところは未だに明らかになっていません。
さらに、今の中国の若者たちは、この事件のことを知らない、あるいは知っていても口にすることができなくなってしまっているのですよね。

 

けれども、事の次第のすべてではないにせよ、この事件のことも、そしてその後の当局による隠蔽のことも、世界中の多くの人たちが目にして知っているわけです。
ですから、この悲惨な出来事を世界史の上でなかったことになど決してできるわけがないのですよね。
この出来事は、まさに「時代の過ち」であり、目撃者としての私たちは語り続けなければならない。
同じ過ちを起こさせないための未来への教訓として。

2番Aメロ

古びた教会 俯いた人々が
灯されたロウソクに祈り捧げている
我が子を亡くした母親は崩れるように
声もなく泣きながら 誰を責めているのだろう?

ここに描かれているのは、事件による犠牲者たちの遺族の深い悲しみと、やり場のない怒り、そしてどうすることもできないという無力感なのではないでしょうか。

 

中国政府は事実を隠蔽し、真相は何ら明らかにされないままになっている。
それに対して抗議や非難の声を上げようにも、当局による厳しい監視の目が光っていて、場合によっては逮捕までされてしまうという状況では、口をつぐむしかなくなってしまう。
権力者たちにとって都合の悪いことは、なかったこととして処理されていくわけです。
立突く者は、暴力でもってねじ伏せられてしまう。
そこには公正だとか正義だとかは、もはや存在していない。

2番Bメロ

今日も世界のどこかで
愛が忘れられてゆく
遠いかすかな記憶は
微笑(ほほえみ)とぬくもり

このような悲劇は、なにも天安門事件に限らないわけです。
天安門事件が起きる数年前には、韓国でも同じような事件が起きていましたよね。
1980年の光州事件です。
大勢の学生や市民が、韓国の軍事政権に対して民主化を要求して光州市でデモを行ったのですけれども、こちらも軍隊が出動して武力によって制圧されてしまう。
後に軍事政権側が折れて民主化を受け入れたとはいえ、この事件でも多数の犠牲者が出ているのですよね。

 

(ひるがえ)ってみて現在もまた、民主化運動ではなく戦争もしくは紛争ですけれども、ウクライナやパレスチナにおいて現在進行形で罪もない人々の平和と自由が暴力によって踏みにじられている。

 

20世紀は戦争と革命の世紀と言われ、大量殺戮兵器の発達もあって、おびただしい血が流されてきた血塗られた100年であったわけです。
そのことを反省し、同じ過ちを犯さないようにと世界中の人々が願っていたはずなのに、21世紀になって久しい今日でも、世界のどこかでいまだに同じようなことが、性懲(しょうこ)りもなく繰り返されている……。

2サビ

ちっぽけな目撃者
取るに足らない存在でも
目の前の偽りを
見過ごすわけにゆかない
ちっぽけな目撃者
武器を持たない市民でも
道の上 寝転んで
愚かな国から自由を守る
怒りを思い出そう

ごく普通の一般市民ひとりひとりには、世の中を変えるだとか、国の体制を変えるだとかの力など、ありやしないのですよね。
本当に、取るに足らないちっぽけな存在でしかないのかもしれません。
だからと言って権力の横暴を許すわけにはいかない。
暴力によって人々の平和や自由を奪うなどということは、決してさせてはならないのです。
だからこそ、声を上げることが重要なのですよね。
おとなしく黙っていれば、簡単に平和も自由も奪い取られてしまう。

 

とりわけ私たち日本人は、歴史上自ら血を流して平和や自由を勝ち取るということをしてきませんでしたから、そういったものはお上(かみ)から与えられたものだという感覚がどこかにある。
そのため、平和や自由が奪われるかもしれないということに対して、あまりにも無頓着(むとんちゃく)なところがあるような気がしてならないのですよね。

 

「平和」も「自由」も人々にとって普遍的な大切な価値なのです。
それこそ命を賭してでも守らなければならないものなのです。
なぜ、民主化運動で多くの若者たちが立ち上がったのか、そこに思いを馳せてみる必要があるのではないでしょうか。

 

「愚かな国から自由を守る 怒りを思い出そう」というのは、なんとも強烈なフレーズですよね。
自由を求める人々を国家権力が暴力でもって抑えつけたあの事件。
それを目にしたときに感じた悲しみや怒りを決して忘れてはならない。
自由を守り抜くために。
といったところでしょうか。

 

それにしても、ここだけ見ても、とてもではないけれどもアイドルの歌う楽曲とは思えませんよね。
それでもこの楽曲を、天安門事件のことなどおそらくは知らないであろうアイドルたちに、あえて秋元Pは歌わせたわけです。
その意味するところは如何(いか)に?

ラスサビ

僕たちは目撃者
決して 目を逸らしはしない
今 起きた出来事を
誰かにちゃんと伝えよう
僕たちは目撃者
悲劇を終わりにはしない
この痛み 残したい
歴史の1ページ 破ることなく
NOと言い続けよう

テレビの映像を通じてだとしても、見てしまった、知ってしまったことを知らなかったこと、なかったことにすることなどできやしない。
起きてしまった悲惨な出来事を、教訓としてちゃんと後世に語り継いでいかなければならない。
たとえ当事者ではなくても、それが目撃者としての責務なのではないでしょうか。
平和が脅かされる、自由が奪われるというのは、決して他人事ではないのですから。

 

天安門事件のこの悲劇を、この事実を、当局は都合の悪いこととして歴史の闇に(ほおむ)り去ろうとしているけれども、そんなことは決して許されない。
国内的には無理やり力で黙らせることができたとしても、私たち目撃者が未来に向けて語り続けることで、事件の記憶が風化されてしまうようなことは決してないのです。

 

この曲には、「平和」だとか「自由」だとか、あるいは「人権」だとか、私たち普通の人々にとってとても大切な普遍的な価値について、天安門事件の悲劇を通じて、あらためてその尊さについて、そしてこれらの大切な価値を守るために私たちに何ができるのか、しっかりと考えてみようではないかという強いメッセージが込められているのではないでしょうか。

 

※引用:
秋元康 作詞, 伊藤心太郎 作曲, 百石元 編曲
AKB48「目撃者」 (2010年)