この曲は、STU48の9thシングル「息をする心」の表題曲になります。
メロディの美しい良い曲ですよね。
ところで、「息をする心」という曲名には、どういった意味が含まれているのでしょうかね?
1番Aメロ
真夜中は僕だけの時間だ
もう誰も眠ってしまうがいい
本当の自分でいられて
息ができる
太陽が昇った大地には
光と影ができてしまって
その境目に立たされた時に
息が止まる
何やら生きづらさを感じているようですね。
この主人公は学生なのか社会人なのか……。
いずれにせよ、昼間の社会生活に息苦しさを感じていて、人々が寝静まった真夜中、ひとりでいることにホッとひと息つけるということなのでしょう。
「光と影」が表しているのは、理想と現実、建前と本音といったところでしょうか。
人は通常、社会生活を送る上で、その社会が求める理想的な人物像、有り体に言ってしまえば「良い人」または「正しい人」の仮面をかぶっている。
けれども、大概の人は聖人君子などではありませんから、ありのままの自分は、そんな「良い人」でもなければ「正しい人」でもないわけです。
心の内側には様々な感情が渦巻いていて、そこには弱さもあれば醜さも、狡さもある。
昼間、様々な他者と関わり合っているときには、自分の中にあるそうしたネガティブな側面を覆い隠して、ポジティブな側面だけを強調して生きている。
そして、本当の気持ちや考えを抑えて、理想を語り建前を口にする。
太陽が昇ると「光と影」が生じるというのは、昼間、社会生活を営んでいるときには、そうした矛盾が自分の中で露わになってしまうということを意味しているのでしょう。
当然そこには葛藤が生じて、息苦しさを感じてしまうことになる。
それでも夜になれば、その「光と影」の境目がなくなり混沌としてくる。
他者や社会との関わりから切り離されてひとりになったとき、何も着飾る必要も建前を言う必要もなくなり、ありのままの自分、本来の自然体の自分でいられる。
1番Bメロ
ああ 夢の中なら
自由に
振る舞えるのに…
そう、夢の中であれば、誰かに気を遣う必要も、何かに気兼ねする必要もなく、ありのままの自分で自由にいられる。
けれども、現実世界では、そうはいかない。
そうした嘆きが吐露されているわけですけれども、それだけ現実世界に対してギャップを感じていて、苦悩しているということなのでしょう。
1番Aメロ
友達と上手にやらなくちゃ
そうもっと楽しそうに生きなきゃ
そんな意識は
捨てたい
それが論理的に正しいかどうか、正義に適っているかどうか、倫理的に間違っていないかどうか、はたまた自分の考えと合致しているかどうか、そんなことは二の次であって、何よりも場の空気を読んで周囲に合わせることが一番大事なことになってしまっている。
とにかく場の空気を乱してしまうことを極端に避けようとする。
そんな風潮が、この国を覆っていますよね。
しかも、周囲に合わせることを暗に強要する同調圧力などという弊習が、この国では蔓延っているわけですから……。
本当はそんなに楽しくないのだけれども、友達がみんな楽しそうにしているから自分も楽しそうに振る舞う。
本当は行く気がなかったけれども、みんなが盛り上がって「行こう、行こう」と言うものだから、嫌々ながらも行ってしまう。
誰しも1度や2度ならず、そんな経験をしたことがあるのではないでしょうか。
正直なところ、自分の意に背いて周囲に合わせるのは、面倒臭いし疲れますよね。
そんなふうに周囲との調和ばかりを考えて生きていると、なんだか不自由で息苦しくなってくる。
そりゃあ、ストレスも溜まるというものです。
この主人公は、そんな風潮にうんざりして、「そんな意識は 捨てたい」というわけです。
1サビ
君と巡り逢って
僕は楽になった
普通に息を吸って
普通に吐いている
君を好きになって
肩の力が抜けた
僕は僕のままで
変わらなくていいんだ
好きだ 好きだ
声に出してみる
君が 君が
好きだ
日々の生活に疲れて生きづらさを感じている主人公に、大きな転機が訪れたわけです。
「君」と出会い、「君」を好きになった。
通常、誰かを好きになったら、その人の前では自分を少しでも良く見せようとするもの。
カッコイイ自分、かわいい自分、あるいは優しい自分などを一生懸命に演出する。
そうするのがごく普通の心理というものなのでしょう。
とはいえ、これもまた息苦しさを感じさせる社会生活の一端でもあるわけです。
ありのままの自分ではなく、理想的な自分を演じているということで……。
ところがこの主人公は、「君」に対して自分を着飾ろうという気持ちが生じていないのですよね。
「僕は楽になった 普通に息を吸って 普通に吐いている」という言葉が意味しているのは、「君」の前では特別な自分を演出する必要はなく、ありのままの自分でいられるということになります。
この「君」というのは、よほど懐の広いと言いましょうか、包容力のある人だったのでしょう。
ありのままの自分でいさせてくれる「君」だったわけです。
そんな「君」との出会いによって、この主人公の心は解放されたのでしょう。
「僕は僕のままで 変わらなくていいんだ」という自己肯定感を得ている。
だからこそ、「好きだ 好きだ」とストレートに素直な感情を表に出せるようになったわけです。
2番Aメロ
星空をずっと眺めてると
そう眠るタイミングを失う
目を閉じるのがもったいなくて
息ができない
きっと世の中にはたくさんの
見るべきものが存在していて
僕はもっと外に目を向けて
息をしよう
同じ星空を眺めるにしても、心が満たされていると、その目に映る星空は、さぞかし美しいのではありませんかね。
それこそ眠ることを惜しむくらい、その星空の美しさに心を奪われてしまう。
ここでの「息ができない」というのは、息をのむほどに感動しているということを意味しているのでしょう。
誰しも美しいものや荘厳なものを目の前にしたとき、圧倒されるような気持ちになって、息をのんでしまうことがありますよね。
そんな美しいものがこの世界にはたくさんあるに違いない。
この主人公は、心が満たされたことで、そう気づいたのでしょう。
「僕はもっと外に目を向けて 息をしよう」という言葉には、内向きになって自分の中に閉じ籠るのではなく、もっと広い世界に触れてみたいという前向きな気持ちが表れています。
2番Bメロ
ああ 明日になれば
もう一度
生まれ変われる
希望に満ち溢れていますね。
「生まれ変われる」というフレーズには、生きづらさに疲れていた過去の自分をリセットして、心を新たにして生きていこうという前向きな気持ちが込められているのではないでしょうか。
2番Aメロ
昨日までの自分のことなんて
もう忘れてしまっていいんだ
息の仕方
変えよう
「息の仕方 変えよう」というのは、生き方を変えるということなのでしょう。
生き方を変えて、生きづらさを感じて後ろ向きな気持ちになっていた過去の自分と決別しようというわけです。
ここまでの「息」に関する動作の表現を振り返ってみますと、1番Aメロの「息ができる」は、安心感を表していて、同じく1番Aメロの「息が止まる」は、苦悩を表していました。
そして、2番Aメロの「息ができない」は、感動を表していて、同じく2番Aメロの「息をしよう」は、解放感を表していました。
こうして見てみますと、「息」に関する動作の各表現が、この主人公の心の状態を表していたわけです。
つまり、「息の仕方 変えよう」(生き方を変えよう)というのは、心の在りようを変えようということなのではありませんかね。
2サビ
君に教えられた
新しい世界よ
思っていたよりも
人生は楽しい
君に気づかされた
孤独ではないこと
そう僕が勝手に
背中向けてただけ
好きだ
「君」と出会ったことで、この主人公の目に映る世界は変わったわけです。
とは言っても、この世界に特段の変化があったわけではありませんよね。
何なら、何も変わっていない。
変わったのは、この主人公の心の在りようということになるのでしょう。
つまり、目に映る世界は、その人の心の在りようを反映したものであるということです。
「君」と出会う以前、この主人公は、この世界に生きづらさを感じていました。
そしてそれは、この主人公の荒んだ心の反映だったのではないでしょうか。
けれども「君」と出会い、ありのままの自分が受け入れられたことで自分を肯定できるようになり、世界に対する認識がガラリと変わったわけです。
満たされた心で世界を見渡してみると、「思っていたよりも 人生は楽しい」と、そう思えるほどに。
ここでは最後に一言「好きだ」とありますけれども、この「好きだ」には、ストレートな愛情表現というだけではなく、喜びと感謝の気持ちが含まれているのではありませんかね。
Cメロ
生きることは 呼吸すること
急がないで ゆっくりでいい
他の人と比べないで
吸って吐いて 自分のペースで
呼吸をしないことには酸素を取り込めませんから、生きていることもできなくなってしまう。
ですから、「生きることは 呼吸すること」というのは、まさしくその通りなのだけれども、よもやそんな生物学的なことをここでは言っているわけではないのでしょう。
意識的に深呼吸したりするのを除けば、通常は無意識のうちに呼吸をしていますよね。
取り立てて「呼吸しよう」と考えずとも、ごく自然に呼吸ができている。
つまり、肩ひじ張って身構えることなく、そんなふうに自然体で生きていけば良いのではないかということを言っているのでしょう。
周囲の目を意識しすぎたり、他者の顔色を窺ってばかりいたり、理想的な自分であらねばならないと思い詰めたりと、そんなことを続けていたのでは、本来の自分から乖離していく一方で、精神的に疲れ切ってしまいますよね。
そんなわけでここでは、もっと自分に素直になって、気持ちを楽にしようということを言っているのではありませんかね。
落ちサビ
誰か好きになると
知らぬ間に微笑む
思い浮かべる度
幸せな気持ちに…
無理に笑顔を取り繕ったり、無理に幸せそうに振る舞ったりなどしなくても、好きな人のことを思い浮かべるだけで自然と笑顔にもなれるし、幸せな気持ちも湧き上がってくる。
この主人公も、「君」のことを思うだけで自然と顔がほころんでいることでしょう。
ラスサビは1サビの繰り返しになっています。
人間にとって呼吸は、生命を健全な状態で維持するための機能であり、生命活動の根源にあるものですよね。
そうしたことを踏まえて考えてみますと、この曲のタイトルである「息をする心」というのは、安定した心の在りようのことを指しているのではないかと思われます。
具体的には、心を解放して自分自身を肯定できること、生きていることの喜びを感じ取れること、自然体で前向きにいられること、等々。
「息をする心」というのは、そういったポジティブな心の在りようを象徴しているのではないでしょうか。
目に映る世界は、心の在りようを反映している。
であるならば、心が満たされたとき、その目に映る世界は喜びに満ち溢れているのではありませんかね。
たとえ、世界そのものには何の変化もなかったとしても……。
秋元康 作詞, 三谷秀甫 作曲, APAZZI 編曲
STU48「息をする心」 (2023年)
