この曲は、AKB48の50thシングル「11月のアンクレット」のカップリング曲で、CDデビュー前のSTU48のオリジナル曲になります。
デビュー前のオリジナル曲としては、「瀬戸内の声」に続く2曲目です。
「瀬戸内の声」については、デビューシングルの「暗闇」にカップリング曲として再収録されていますけれども、こちらの「思い出せてよかった」は、どのシングルにも、また先ごろリリースされた1stアルバム「懐かしい明日」にも収録されていません。
郷愁を掻き立てる良い曲なのですけれども……。
もっとも、1stアルバム「懐かしい明日」には、STU48のシングル表題曲がメインで収録されていて、AKB48のシングルのカップリング曲になっていた曲「瀬戸内の声」、「思い出せてよかった」、「ペダルと車輪と来た道と」は、3曲とも収録されていないのですよね。
いずれも良い曲なだけに、ちょっと残念な気がします。
1番Aメロ
君と知り合ってどれくらいだろう?
いつが初めてか覚えていない
ずっと昔から聞いていたような
言葉の懐かしさを僕は感じていた
この「君」というのが友人なのか恋人なのか、この曲の歌詞からは特定できませんけれども、そこは聴き手が好きなように受け取って構わないということなのでしょう。
重要なのは、その「君」が同郷の人であるということ。
そして、いつ出会ったのかも覚えていないくらい、この「君」に対してずっと昔からの知り合いのような懐かしい感覚を抱いているということなのではありませんかね。
1番Bメロ
雑踏のその中で
見失う花がある
通り過ぎる人の群れは
あの日 見てた夢を捨てて
どこへ急ぐのかな
「雑踏のその中で 見失う花がある」というフレーズのなかにある「花」とは、夢や希望、あるいは志のことを指しているのでしょう。
そういったものを抱いて都会に出てきたけれども、その都会の喧騒や日々の忙しさに紛れているうちに、孤独感や焦燥感ばかりが募ってきて、何のためにここにやって来たのか、いつしかその目的を見失ってしまう。
「通り過ぎる人の群れは」と、街を行き交う人々のことを指して言っていますけれども、そこに他ならぬ自分自身を投影しているわけです。
1サビ
思い出せてよかった
僕がこの街を目指した理由(わけ)
もしも君と
巡り会わなければ
自分を 忘れて
きっと流されていた
同郷の「君」と出会い、懐かしい言葉の響きに接することで、ふと我に返ったわけです。
危うく忘れかけていたけれども、なぜ自分はこの街にやって来たのか……。
故郷で過ごしていたころ、大望を抱いて都会を目指そうとしていたあのときの自分の気持ちが、「君」のおかげでまざまざと蘇ってきたのではありませんかね。
2番Aメロ
ただの付き合いで行っただけなのに
花火大会に君がいたんだ
誰も気づかないイントネーションに
一瞬 故郷(ふるさと)の空が目に浮かんだ
ここでは「君」との出会いの経緯について語られています。
「ただの付き合いで行っただけなのに」とありますように、この主人公としては、それほど乗り気ではなかったのだけれども、友人なのか会社の同僚なのか、あるいは取引先の人なのか、誘われて断れずに、とある花火大会に行ったわけです。
そして、そこで耳にすることになったのが故郷のあの懐かしい言葉の響きであり、そこにいたのが「君」だった。
「誰も気づかないイントネーションに」とありますから、それこそ東北弁とか鹿児島弁のような、どこの土地の言葉なのか比較的わかりやすいイントネーションではなく、そこの土地で生まれ育った人でないとわかりづらいような微妙なイントネーションだったのでしょう。
この主人公としては、久しぶりに耳にすることになった故郷の懐かしい音色。
それだけに、その懐かしい言葉の響きが、この主人公に郷愁を呼び覚まさせることになったわけです。
2番Bメロ
打ち上げた五尺玉
消える度 真っ暗で
そばの誰かさえも見えず
僕は揺れる影のようで
孤独だと思った
郷愁が呼び覚まされたことで、今この場にいる現実の自分の孤独感や不安感が、心の中でかえって露わになってしまったのかもしれませんね。
華やかな五尺玉の一瞬の輝き。
そしてその直後の暗闇と静寂。
そこには、この主人公の孤独と不安が表されているのではないでしょうか。
さらに、「僕は揺れる影のようで」とありますように、この主人公は、今の自分自身にその存在の希薄さを感じているのではありませんかね。
郷愁を呼び覚ますと、家族や親しい友人たちと過ごした故郷での楽しい日々が懐かしく思い出される。
その一方で、そうした美しい思い出と引き比べて、現在の自分自身を振り返ってみると、言いようのない寂しさを感じてしまう。
ノスタルジーには、そうした両側面があるということなのでしょう。
2サビ
思い出した希望は
遥かあの街の風の匂い
海を見つめ
語り合った未来
青春時代の
友は元気だろうか?
ノスタルジックな感傷に浸っている中で思い出したわけです。
故郷にいるときに抱いていた夢や希望を。
海を見つめながら未来について友と熱く語り合ったあの時のことを。
それは単に記憶が蘇ったというだけでなく、あの時目にしていた風景や耳にしていた波の音、潮の香りや肌に感じる陽射しや風など、五感の感覚すべてがあの時あの場所に引き戻されたわけです。
そして、その時の気持ちが心の中にリアルに再現されてくる。
落ちサビ
ほっとしたよ 出会って
僕は今だって変わってない
「ほっとしたよ 出会って」というのは、同郷の「君」と出会ったことによって、自分自身を取り戻すことができた主人公の安心感を表しているのでしょう。
忘れかけてはいたけれども、夢や希望を語っていたあのころの気持ちは、決して消え去っていたわけではない。
故郷を思い出すことでその気持ちがまざまざと蘇ってくる。
自分の気持ちは今でも変わってはいないのだということを確認できたことに、この主人公は安堵したのでしょう。
大サビは1サビの繰り返しになっています。
大いなる夢や希望を持って故郷を飛び出し、都会暮らしを始めはしたものの、現実の生活では追われるような忙しい毎日が続き、その一方で、故郷の田舎にはなかった刺激的なものや魅惑的なものがたくさんあって、絶え間なく目移りしてしまう。
そんな日々を繰り返しているうちに、いつしか初志が忘れ去られていく。
まあ、よくあるパターンなのかもしれません。
けれども、何かのきっかけで、はたと初志が思い出されることもあるわけです。
そのきっかけのひとつが、「郷愁」ということになるのでしょう。
故郷を後にしたのは、大望を抱いたからではあるのでしょうけれども、田舎の閉鎖的で窮屈な息苦しさが嫌だったからというのも少なからずあったのではありませんかね。
もちろん故郷を嫌っていたということではないのでしょう。
親兄弟や親しい友人たちとも子供のころからずっと過ごしてきた場所なのですから。
けれども、都会に向かう若者たちの心の内には、故郷に対する複雑な好悪の感情が、多かれ少なかれ渦巻いているのではないでしょうか。
ただ、たとえそうであったとしても、帰れる場所、自分を取り戻せる場所は、やはり他ならぬ自分の故郷なのですよね。
生まれ育った、自分という人間の土台を形成した場所。
偶然出会った同郷の「君」のおかげで故郷に思いを馳せることとなり、それに伴って夢や希望を抱いていたころの純粋な気持ちを取り戻したこの主人公は、自分自身を見つめ直し、あらためて初心に帰ろうと思ったのではありませんかね。
秋元康 作詞, Hiro Hoashi 作曲, Hiro Hoashi 編曲
STU48「思い出せてよかった」 (2017年)
