この曲は、HKT48の8thシングル「最高かよ」のカップリング曲で、チームTⅡのオリジナル曲です。
HKTらしい軽快なロック調の曲となっています。

公式から公開されているMVは、ショート・バージョンしかありませんでしたので……。

 

 

1番Aメロ

誰かに名前を呼ばれて
後ろ 振り向いてみたけど
そこには風が吹くだけだ
人影なんかなかったよ
ああ

これは、誰かに呼ばれたような気がしたというよりも、誰かに声をかけてほしい、つまり自分の存在を誰かに気付いてほしいという願望であり、孤独感の表れなのでしょう。
振りむいたけれども誰もいない、そこには人影などなかったという状況が、なんとも言えない寂寥感(せきりょうかん)を漂わせています。
「ああ」とため息をつくしかないということになるわけです。

1番A'メロ

心に空き地があるんだ
雑草が生え放題だよ
子どもの頃の思い出が
余計に寂しく感じる

「心に空き地があるんだ 雑草が生え放題だよ」というのは、まさに心にポカンと穴が開いてしまったような心境、何か大切なものを失ってしまったという感覚に襲われるということなのでしょう。

 

脳裏に浮かぶのは、子供のころ友人たちと駆けずり回って遊んだ空地。
あの頃の無邪気さや純粋さはどこへ行ってしまったのだろうか。
故郷でのその喧騒(けんそう)の思い出が、かえって寂しさを増幅させる。

1番Bメロ

僕は大人になるたびに
孤独に気づいてしまった
ぽっかり空いた人ごみの隙間
ああ

人は一足飛びに子供から大人になるわけではなく、さまざまな経験を通じて少しずつ段階を踏んで大人になっていく。
「大人になるたびに」というのは、そうした段階を経るたびにということを言っているのでしょう。
そして、その段階ごとに、子供のころ持っていた大事な何かを失っていくことになるわけです。
それは、純真さだったり素直さだったり、あるいは無邪気さだったりバカ正直さだったりする。
そうしたものが失われていくことで、人との関わり合い方も子供のころのような無垢(むく)なものではなく、思惑やら忖度(そんたく)やら計算やらにまみれてくるようになる。
本音を言い合うとか、むき出しの感情をぶつけ合うなどということもなくなってくる。

 

大人になれば多様な人々との付き合いが増えてはきますけれども、言ってしまえばそれらは表面的な関わり合いであって、友情や愛情を育んでいくような関わり合いではないわけです。
もちろんそうした関わり合いがまったくなくなるわけではないのだけれども、子供のころに比べると、ごく限られたものになってしまう。
そこに、言い知れぬ寂しさを感じてしまうわけです。
多くの人に囲まれていても、なぜだか孤独を感じてしまう。

1サビ

人は夕暮れ時聴こえてしまう
たぶん 空耳
求めていた望み通り
届いたんだ その声が…
世界の片隅で
きっと誰かが見ていてくれてると…
思い過ごしとわかってても
拾う神を信じていたかった

「思い過ごしとわかってても」というフレーズがあることからも、自分の名前を呼ぶ声は空耳に過ぎないとわかっているわけです。
けれども、そんな声が聞こえたような気がしただけでも、きっとどこかで誰かが自分のことを気にかけてくれているに違いないと思えてきて、心が(なご)んでくるということでしょうかね。
なんだか哀しいような気もしますけれども、空耳を聞いただけで前向きになろうとしているその姿勢は、なんとも健気(けなげ)ですよね。

2番Aメロ

夜空に星が輝いて
一人じゃない気がして来た
なぜだかほっとしてるのは
愛の光のせいなのか?

この主人公は、結構ポジティブ思考の人なのかもしれませんね。
空耳を聞いて、誰かが自分のことを気にかけてくれていると思えたり、ここにありますように、夜空に輝く星を見て、励まされているような気になったりできるわけですから。
あるいは、そう思おうとしているのかもしれませんけれども……。

2番Bメロ

同じ不安を共有して
誰かが空を見上げている
人恋しいのは僕だけじゃないよ
ああ

人は皆何かしらの不安や寂しさを抱えているもので、そうした人たちも、今自分がそうしているように、夜空に輝く星を見上げているのかもしれない。
そう思うと、自分だけが寂しさを感じているわけではないのだなという気がしてきて、孤独な気持ちも(やわ)らいでくるというもの。

2サビ

人は陽が沈んでやさしくなれる
臆病者たち
その弱さを知るがいいさ
暗闇に目を慣らせ!
ぼんやり少しずつ
愛のかたちが浮かんで来るだろう
絶望より 今 確かに
息潜めた希望がそこにある

「人は陽が沈んでやさしくなれる 臆病者たち」というフレーズは、なかなか意味が深いと言いましょうか、多様な捉え方ができるフレーズではありますよね。

 

ここまでの話の流れを勘案(かんあん)してみますと、この主人公は社会人に成り立ての青年と推測されます。
社会に出て仕事に就いて、多様な人たちと関わる機会が多いのだけれども、その人間関係は極めて希薄なものでしかない。
陽が出ている日中は、社会的な役割や責任を果たすために、心に仮面を被って弱みを見せまいと常に緊張している。
日が暮れて帰宅してひとりになり、仮面を外して素の自分に戻った瞬間、その緊張から解放されて言いようのない寂しさに襲われてしまう。
けれども、その孤独感は自分ひとりだけが感じているわけではないと思いなせば、自分と同じようにそうした孤独を感じている人たちに対して共感を覚え、優しい気持ちになってくる。
そういったところでしょうか。

 

孤独感からくる寂しさを経験することで人として成長していき、他者へのいたわりだとか思いやりだとかの気持ちが育まれていく。
「暗闇に目を慣らせ! ぼんやり少しずつ 愛のかたちが浮かんで来るだろう」というのは、そういうことを言っているのではありませんかね。
もしかしたらその気持ちの変化は、兆候と言える程度のものなのかもしれませんけれども、前向きに生きていこうとする人間の確かな希望がそこにはあるということなのでしょう。

Cメロ

瞳を閉じてしまえば
すべて忘れられるけれど
頭の隅で願うこと
夢をまた見てしまうだろう
何度でも…
ああ

瞳を閉じれば忘れられるものとは何なのでしょうか?
続く文言からすると、ネガティブなことではないようにも思われますよね。
だとすると、ここまでの歌詞の内容からして、子供のころに思い描いていた夢や希望のことなのではありませんかね。
子供のころに思い描いていた夢というものは、えてして無邪気で非現実的なものだったりする。
そういったものは、大人になるにつれて見果てぬ夢であるということを理解するようになり、いつしか記憶の片隅に追いやられてしまう。
けれども、孤独を感じているときに子供のころの記憶が蘇ってきて、そういった見果てぬ夢も思い出し、ノスタルジックな感傷に浸ってしまう。
そういうことをここでは言っているのでしょうかね。

 

ラスサビは1サビの繰り返しとなっています。

 

この主人公は孤独を感じる中で、空耳を聞いて誰かが自分を気にかけてくれていると思ったり、同じように孤独を感じている人たちへの共感を抱いたり、人に対する優しさを持つようになったり、あるいは子供のころの夢が蘇ってきたりと、温かさを伴った前向きな気持ちに転換させているのですよね。
気合を入れて気分を変えようというよりも、孤独を感じている自分と素直に向き合い、穏やかに前向きな気持ちになっていっている。
そんな様子をこの曲は歌っているのではないでしょうか。

 

※引用:
秋元康 作詞, 杉山勝彦 作曲, 若田部誠 編曲
HKT48「空耳ロック」 (2016年)