うろんころんしてみる隊 -87ページ目

うろんころんしてみる隊

うろんころん・・・って何かって?九州弁でして、標準語に解釈するとウロウロと「散策している」「徘徊している」・・・どちらでしょうかね?
傍から見ると限りなく後者に近いわたくしの、人生の糧にもならないつぶやきを書き留めて行こうと思います。

春萌える 若芽手折りて 笛に吹き

 

 

「撮影した顔画像と本人確認の顔画像の照合ができませんでした」とATMに振られてしまった前回の案件ですが、気を取り直して本日、再度挑戦してみました・・・ダメもとで。

一連の手続きは手慣れたものだよ、上でも下でも何度でも見てやるさ・・さあ、写したまえ

「認証しました」正面一枚で簡単手続き~♪さっさと終了。

 

「ファッ・・・?」

何だって?爽やかな、卯花月の青空にご機嫌宜しくなったのかね?(そんなわけない)

顔認証システムとは一体、どのような基準で認識しているのだろうか?

昨日の顔と今日の顔・・・一緒だろう?まあ一日分老化してはおるが、老化しているほうが絶好調なの?

 

さて、私のアイコンが何故「若き頃のホイットマン」なのか?特に深い意味はないのですが、彼の詩が力強くって・・・自分にはないエネルギーなのであやかってみました。折角なので、今回は少しばかり彼の事を書こうと思います。

ウォルト・ホイットマン(1819.5.31~1892.3.26)は19世紀のアメリカを代表する詩人として有名な方です。代表作は「草の葉」でしょうね。ホイットマンの詩の特徴としては、自由詩という形式があげられます。当時、詩というものは、韻や律のような音の数や文字数にパターンがあったのですが、それら定型詩とは違う文体を用いました。詩集「草の葉」は1855年の初版から何度も新たな詩が追加され、没後も未発表の詩が追加されて発刊されました。

私はどちらかというと、定型詩のほうが好きなのですが(だって・・・韻を踏むのも面白いし、五七調って詠みやすいんですもの・・)この「草の葉」にしても、詩の中に、土や植物、種や肉といった生きているものが、そこで匂いを放ち、風を揺らしていくような生々しいものが詩文として力強く書き出されているんです。

 

自由に闊達に・・・頭ではなく(確かに詩文を目を通して頭の中に入れているのに)、この手で共に土に触れ自然を肉欲的に抱かせるような不思議な感覚に持っていかれます。

 

彼は「自己をうたう」という詩の中で、「生まれるのは幸福だと想像する人があるか?」と問いかけて「死ぬのも同様に幸福なことだ」とそうしてそれを私は知っているのだと綴っています。草の葉を発表した数年後、アメリカは南北戦争を迎えるわけですが、数多の困難を受けながら彼は「愛国者」というかたちで人気を高めていきました。そしてまた、彼も、詩人と社会(国家)の間には欠く事のできない共生関係があると捉えていたようでした。

彼の詩には自己と民衆の歌が流れています。人間臭いといってよいものか?

 

説明文のようになってしまいましたが、文中の訳は、有島武郎のもので、国立国会図書館デジタルコレクションでも読めます。訳の題名も面白いですよ。「牛ならし」とか・・・(進撃の巨人の)地ならしではありませんよ・・・牛飼いみたいなもの?