うろんころんしてみる隊 -86ページ目

うろんころんしてみる隊

うろんころん・・・って何かって?九州弁でして、標準語に解釈するとウロウロと「散策している」「徘徊している」・・・どちらでしょうかね?
傍から見ると限りなく後者に近いわたくしの、人生の糧にもならないつぶやきを書き留めて行こうと思います。

つばくらめ 皐月のそらを 一文字

 

 

皐月の日差しは強くなり、やれ遠足だ~体育祭の練習だ~と倅どもは日に焼かれ、一日でほろ酔いにも似る赤ら顔。

爽やかな風に乗って、鯉のぼりがたなびく姿を眺めていると、ああ八十八夜も過ぎたりしとウキウキしてきます。花粉症もようやく落ち着いたし(これが大きい)、日も長くなったし、紫外線が強いのは眩しくて困りますが、ようやく風心地良い季節になりました。

 

このブログを書いている今日は国民の祝日の一つ「みどりの日」自然に親しむとともにその恩恵に感謝し豊かな心を育むといった意義があり、英語では【Greenery day】と表記されるそうです(グリーンデイではないのだね)。

 

都市部にいると、何かと街と離れた山や海まで到達しないと自然が実感できないと思いがちですが、自然を構成する地球上の有機体は案外逞しくって、こんなところにまで?と驚く程の生命力を発揮して生えている草花もあります(以前、ド根性スイカが実ったことがある)。

抑々、人類も自然の中で生きてきているのですから、自分たち本能の至るところにまで自然の影響を受けているのだなと思う事があります。ほら、あれですよ・・・匂いや触覚が脳を刺激し、その感覚が古い記憶まで引き出してくる力。自然に触れた瞬間、何十年も重なった記憶の奥底から突如思い起こされる・・・。

 

草の萌える匂い、季節によって変化する太陽の光に照らされた空が見ゆる時、川を流れる水の音を聴く時、雨の跡残る土の匂い、樹木の下を通った時足もとに広がる葉の影の移ろいやその葉から漏れる独特な匂いも、それらが幼少期にかずんだ(嗅いだ)時の記憶を突然目の前に広げてくるのですから不思議なものです。ふと湧きおこる「ああ・・懐かしい」という感覚はそれに近いのかも知れません。

 

如何せんアラフィフの田舎者ですから、小さい頃はその辺をまさにうろんころんして、草をちぎったり、落ちている棒切れを拾って振り回したり、その辺に落ちている石や草を川に投げ込んだり、知らない家の庭を突っ切って藪の細道を通って近道をしたり、海にうちあげられた海豚か何かの死骸を観察したり、その辺に積まれた石垣に登って飛び降りたり、生垣を這う青大将を警戒しながら見つめたり・・・何の目的もなく徘徊して過ごすのが幼少時代の遊びでした。

小学生になると、ゲームウォッチやファミコン、漫画やプラモといった家に籠るような遊びへとなってしまうのですが、あの時に感じた匂いや空気感はその後すっかり忘れていても、ふと嗅いだ草木の匂いで鮮明に脳内で再生されるのですから、自然の持つ自然のままの力とは凄いものだなと思います。

 

好奇心も恐怖心もすべては自然の中にあり、幼子の小さな眼や鼻や手や足の先に触れたものがそのまま記憶となり、一人の人間を育てていく。自然に抱かれ、時に戒めを受け、命を落とすことなく今日まで何とか無事に生きている事を考えると、みどりの日の意義も、自然の中で人が生きる事そのものへの感謝へと繋がっていくものかも知れませんね。

 

便利なものに囲まれて過ごしていると、自然への関りを疎かにしてしまいがちですが、時には五感を使って自然の中に身を委ねてみるのも大切だなと。

 

今日は久しぶりに、子ども時代に過ごした田舎道を散策できましたが、果たして、落ちている棒切れを振り回し、道ではなく土手のほうへと脱線しまくる倅の後ろ姿を眺めていると、子どもの自然な振る舞いとは時代が変わっても同じなのだなとつくづく実感しました。