うろんころんしてみる隊 -45ページ目

うろんころんしてみる隊

うろんころん・・・って何かって?九州弁でして、標準語に解釈するとウロウロと「散策している」「徘徊している」・・・どちらでしょうかね?
傍から見ると限りなく後者に近いわたくしの、人生の糧にもならないつぶやきを書き留めて行こうと思います。

人びとの 弛まぬあゆみに 応ゆ土地

 

 

ぼんやりと車窓から眺めていた田園風景。コンバインが勢いよく刈っていく稲穂と、収穫はまだかと刈り取りを待つ黄金色の田んぼが広がる風景の中で、丁度夕陽に照らされて黄金色に輝く田の中から、おばあちゃんが肩に沢山の雑草を抱えてひょっこりと顔を出されました。

確かに・・・収穫を待つ稲に対して、その間に雑草を抜く事で収穫量に何か大きな影響が表れるわけではないのでしょうけれども、こうして稲を刈るまで、ご自身の出来る事を精いっぱい手掛けされているのだなあと思うと自然と胸が熱くなりました。

 

当たり前の事だとつい思いあがてしまいますが、自分達がこうして手に取り口にするものの一つ一つに、どれ程人の手が通されて、心を込めて育てられているのだろうか。人の目の内に形として何か残るという訳ではない、小さな小さな手間の数につくづく、「生かされている」という意味を実感いたしました。

いくら品種改良し、機械の性能が上がろうとも、根底にあるものは、作り手の方々がこうして日夜心を砕いて向き合ってくださっているからこそなのでしょう。

 

わたしがこうして見渡した佐賀平野は、春には小麦の実る姿と秋には稲穂の実る姿を眺めることができます。とはいえども、自然のまま当たり前に存在している訳ではありません。

度々話題に上げましたが、有明海は、干潟の泥が積み重なっていくところでもあります。排水についても地盤についても、特殊であり、昔からそのまま地を利用できるものではありませんでした。まさに有明海は古くから干拓の歴史があり、それはすでに推古天皇の時代(605年)より始まっていました。干拓によって田園を作るのは、そもそもが食料確保のためでもありますし、過去には藩にとっての収益でもありました。

今では佐賀平野は田舎の象徴のように揶揄されますが、米の収穫=生きていく糧であり、藩にとっても生き残るための収入源でありました。つまりこの美しい田園は、先人達の弛まぬ努力のもとに築かれてきたものでもあります。

有明海を囲む、熊本藩、久留米藩、肥前藩(佐賀、長崎)は、何百年も干拓による自然との共生と向き合ってきました。それと同様に、漁業問題も存在しているのですが・・・。

 

それでもね、北に脊振山系を望み、南に豊かな有明海を挟むこの土地に生きた人々の、地道に努力する力強い魂のようなものを感じます。薩長土肥の一角を占めた肥前の国は、明治以降も多くの人材を送りだしてきました。「鍋島様」に代表される佐賀の(いやいや唐津の小笠原もありますがね)傑人(けつじん)は沢山います。もちろん、名もなき多くの人々とて・・・。

母曰く、「佐賀ん者の歩いた後は草も生えん」・・・だそうですよ。血脈に佐賀人の血が入りまくっているわたくしですが、勤倹節約の精神はどうでしょうかね?(*´ω`)ガンバロウ・・・

 

 

稲田に惹かれて・・・というのもあるのですが、実はずっとずっと気になって行ってみたいところがありまして、今回は思い切って東与賀町の広大な田園の中にあります「栄蔵寺」様にお邪魔した次第です。

創立が天正十年(1582年)という歴史ある曹洞宗のお寺です。入り口を見落としそうなぐらいこじんまりとしたところにあるのですが、敷地は丁寧に掃除をなされていて、本堂の前に植えてある立派なソテツが目に留まります。こちらには・・・

 

煙も見えず雲もなく 風も起こらず波立たず 佐々木信綱 作詞、奥好義 作曲、『勇敢なる水兵』1895年

 

 

と「勇敢なる水兵(水夫)」という歌に出てくる三浦虎次郎氏の記念碑が建っております。

同郷である、百武三郎海軍大将の揮毫。百武氏は少尉候補生時代に日清戦争に従事。三浦水兵と同じく松島に乗船し、黄海海戦を共に戦っております。

 

「まだ沈まずや定遠は」

 

当時、最強と言われた清国の海軍艦に、明らかに弱小の装備艦にて立ち向かっていった人たちがいるのです(旗艦であった松島も海防艦)。鎮遠から放たれた砲弾によって負傷し※、息も絶え絶えだった、数え十九歳の少年が放った一言が感銘を呼び、この歌が作られるきっかけとなりました。明治軍歌の代表格ですが、今唄われる事はありませんね。七五調のきれいな古文体なのに・・・

松島には佐賀県人が二十人ほど乗船していたそうで。当時命を賭して互いに戦った、我が国と清国の乗員の方々のご冥福も合わせて祈りました。

 

周辺にはのどかな田園風景が広がり、とても静かで穏やかな時間が流れていました。佐賀の田園にはこのようにしてクリークが碁盤の目のように広がっております。お彼岸という事もあってか、ご年配の方がお墓参りに来られていました。地元の方々の大切な場所ですから、邪魔にならないように、お参りだけして失礼させてもらいました。

クリークに写る青い空。青空の下、収穫を待つ稲田の鶸色の美しさ。

 

※鎮遠ではなく、広丙号であったという説もあります。