からからと 紙垂(しで)と笹の音
こすり合い 主を待ちとて むすひの豊穣
神無月の終わり待ち遠しく、出雲より御出でなさる主殿を迎えんためとて結われた道標よ
稲を刈り終えた後に、忘れ形見のようにして雨が降り窪地に水をためては、一年の労苦をねぎらいて豊穣の神が土にも草にも枯れた根の一つにも褒美を与えているように見える。
この時ばかりは日頃の暑さも薄れる程心地良い涼風が、青空の彼方から頬や頭を撫でてくる。
懸命に生きるものが本来の寿命で臨終を終わらせることができなくとも、よくぞ頑張ったのだと認められる一言にて、人は自分の生を肯(うけが)えるのではなかろうか。
人は生きる・・・毀誉褒貶に目途わされず・・・己の信じるただ一つの信念に
自分の意にそぐわぬ事には梃でも動かぬ・・・と倅二号の事を書きましたが(ほめてやらねば・・・という記事で)、幼い彼は子どもであっても「人には芯というものがある」と納得させる程、様々な表出をいたしました。
幼子の頃の美しく見入るほどの笑みもまたありましたが、「そうではないのだ」の際の抗議はそれはもう・・・全身で表せる最大限の抵抗でもありました。
もう・・・ね、「暴動が起き警察に強制連行をされているの図」やら「野生動物を確保したが噛みつかれるの図」が幾度となく繰り返されたことか・・・。
三者三様・・・毎日が、「衝撃☆珍百景!」のような・・・退屈とは無縁の世界。
ハンガーストライキも二度起こしました。困ったのは家でやったのではなく・・・園や学校でやらかしたこと・・・。
成長期の子どもが給食に口をつけないのには、先生方も大変に困られたと思います。小学校の時はずいぶんと長期戦になりました。
給食は本当に美味しそうで、和洋中バランスよく、様々な郷土料理や時にオール県産品の料理まで出てくるといった、かたじけないくらいに手間をかけてある手作りの給食でした。
嫌いな食べ物が・・・とかではないのです。彼は一切手をつけなかった・・・牛乳すらも。
給食当番の係があるのに・・というと、彼は「給食当番」だけを黙々とこなし、自分の給食にはまた一切手をつけなかった。
子ども達に大人気のカレーも、レアなデザートですらも手をつけないのだから、もはや執念のようなものかと先生方も見守るしかなかった・・・いや先生方も苦しかったろうと。
ハンストだけではなかったので・・・。逆に、周りの子ども達も「そんなもんだ」と案外受け入れていた様子でした。野生の生きものです餌付けや挑発はせず遠くから静かに見守りましょう・・・みたいな。
十にもならぬ幼い子どもが一体・・・何の修行なのだろうか・・・。
給食を食べなくても、厳冬の寒い廊下で授業を受けていても、先生方も子ども達も、本人の意思を尊重し、見守ってくれた事は今でも感謝の念であります。
何年も続いたハンガーストライキは、ある時・・・先生との一言のやり取りにて嘘のように解消しました。何年も払い続けた給食費も、これでようやく役目を果たせるというもの。
今・・・当時の事を倅に聞かせても「は?知らね・・・」としか答えてくれませんが。
人を力まかせに動かそうとするのは難しいことなのでしょうし、あの時の親の対応としては「ブーッ×ソレハ失敗デス」の選択肢を押してしまったことも沢山あったろう・・と今でも思う事があります。それでも、その時は他の選択肢も思い浮かばず、その時の最善を尽くすしかないのです。あとになって・・・もし最善の選択肢を知ったとして・・・それをやり直そうと戻る事も出来ませんし、よしんばその最善策を付け足すようにやったとしても、結果成功しないかもしれません。
その時の最善に全力でかけてみるしかないのです。失敗策でも、全身全霊で進むことが何かを変えていくこともあるのでしょうから。
人育てが成功したかどうかなんて・・・最期の瞬間までわかりませんが、あの時の倅も今の倅も「しょうがないなぁ・・・」と思いながらも愛おしい存在なのです。
何故ならば、彼等は一生懸命に生きているから。優秀かどうかは批評しようがありませんし、それを考える必要もないと思います。
顔の細工や知の才能ではなく、その時を懸命に生きる人の「美しさ」に惹かれるのですから。
追記
今から八十一年前にレイテ沖海戦が起き、多くの日本艦船が沈んでいきました。
はなから囮作戦だとも言われた西村艦隊も・・・10月25日・・艦長、司令官、多数の兵をスリガオ海峡の海の内に失いました。旗艦であった山城や扶桑は今でも海底深くに眠っています。勝てる見込みのない・・・必死の戦いを頭に呑み込んで戦いにいった人々。
この小さな戦艦模型を眺めて思うのは、今に見るとこの小さき船がほんの30年そこそこで超弩級と言われた日本独自に設計した戦艦を作り出し、その・・日本の名を冠した「扶桑」は老朽艦として沈んでいった・・・ほんの60有余年程の間に起きたこの国の波涛のような時代を・・・そこに生きた人々が、どのように思い生きてきたのだろうかと思いを馳せてみたのでした。
扶桑型戦艦・・・扶桑も山城もカッコイイんですヨ。我が棚には最後の扶桑(プラモ)が飾ってあります。先人たちの命を懸けたその一つ一つの戦いを忘れずに、深き鎮魂の祈りを捧げたいと思います。

