春あらしだって何だって負けんぞ!! | うろんころんしてみる隊

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うろんころん・・・って何かって?九州弁でして、標準語に解釈するとウロウロと「散策している」「徘徊している」・・・どちらでしょうかね?
傍から見ると限りなく後者に近いわたくしの、人生の糧にもならないつぶやきを書き留めて行こうと思います。

春あらし夜ふけの雷雨と朝の風

 

 

新学期が始まって入学式を迎えると、あちらこちらでフレッシュさんの顔が眩しい程に輝いていますね。

家族を駅のロータリーで待っていると、スーツを着た青年達が少々疲れ気味の顔でホームから出てくる姿とともに、その一方では高校の入学式帰りか真新しい制服を着た子どもさんとお母さんが連れだって、定期券を購入しに仲良く並んで歩く姿を見かけました。

 

同じく新生活でも、学生さんの新生活と大人社会の試練を受けてくたびれた青年との対比を感じながら、どちらにもエールを送りたい老婆心。

 

一方で、新一年生を迎える小学生の初登校は、雨降り風吹きと中々の試練だった様子。慣れないランドセルをからって(背負って)、これまた慣れない傘をさして必死に保護者や兄弟たちの後ろについてあるく姿のまた・・・カワイイ(´艸`*)

 

中学生のブカブカ制服とスクールバッグ姿も可愛らしいんだけれども、これまたちっこい一年生の黄色い帽子と黄色いランドセルカバーの集団が・・・亜米利加さんのあのキイロイキャラクターを思い出す。今はまたシックな色のランドセルが流行りなので、この黄色カバーがよく映える。

 

その横を六年生が並んで歩けば、本当に親子ほどの差を感じるのですから面白いものです。そんな六年生だって、ほんの六年前は同じく黄色いカルガモのような存在だったので、子どもの成長を思うとものすごいエネルギーの塊なのだと思わずにはいられません。

 

我が家の倅共もまたそれぞれ。

 

上級生の品格を求められたり、学校に行けたり行けなかったり・・・就活の壁を乗り越えないといけなかったり・・・・迷い多き共々へと、これまた悩み多き親としての心配も尽きぬところとでもいいましょうか。

 

子育てをして思う事は、都合よくめでたしめでたしとはならないところ。

無事に生まれてきてねと願いながら、己が勝手に想像し期待する理想や思惑なんぞをことごとく爆破し無に帰す・・・恐るべき「ニンゲン」との、この先何十年も続く付き合いの日々なのであります。

 

寝る時間を奪い、食べる時間を奪い、排泄に行く時間をも奪い、両手の自由を奪い、ぼーっとする時間を奪い、時に全身手拭きタオルとなり、あたまに米粒や泥や葉っぱのアクセサリーを張り付けてくれたり、冬の夜にはその温かなまでの肌の温もりを与えてくれたり、わざわざ忙しい時にカルガモ達がくっついてきてはいっぺんに己の主張をはじめだし、もしやわたしは「聖徳太子」のように十を聞くことができるようになれるのではないかしらん?とオカシナ思想を植え付けてきたり、米10キロを片手に抱え重い買い物袋を背負って、残りの手でそのちっさな手を逃げるな離さんぞと握りしめたり・・・・。

 

毎日が「何故そうなるのかね?」と思わせる。さらには「最早どうでもよござんす」と許容範囲がサバンナのように広大となっていく。

 

常識とは何ぞや?と常に自問自答する日々の繰り返し

 

そんな小さなうちの悩みも、成長とともにまた大きな悩みが膨らんでくる。ああきっと死ぬまで子の事を心配し続けるのだろうな。

 

年の功を駆使し、あれやこれやと心を込めて助言をしたつもりでも、相手に響くわけではない。

 

わが子であっても、彼等はまた自分とは違う人間。時折「ああ・・・そんなところは遺伝子に乗っかって伝わらなくってもいいのに・・・」と肩を落とすこともあるけれども、彼等はその頭で考え、その体で心で感じ生きて成長していく。

 

彼等の人生は彼等だけが握るものであり

苦も楽もすべては唯彼が受け取れる果実

 

どうにかガンバレと背後から見守るばかり。こんな苦労ばかりを背負うのであれば、子を持たぬのも・・・いやいや、これも天命と思えば背負っていくしかあるまいて。

自分にならば耐えようとすることでも、我が子に降りかかると自分事以上に気掛かりで苦しくてたまらない。それでも、彼等の人生は自分のものではないのだからして、ただ一緒に悩み考え思いつく案を共に考えてみるしかできない。それでも他の案を自ら選んでいくことだってある。

 

親とは時に捨て駒のような存在になるのかもしれないけれども、それでもたった一人のニンゲンが真剣に生きて成長していく過程を見ていると、我が身が子のあゆむ生涯の・・・小さな礎のひとつにでもなれれば本望なのかもしれないと思ってみる。

 

春の真新しい姿に身を包む子ども達の姿を眩しくみつめながらも、一日一年と進む時間をこつこつと生きていくことの大変さを思い、それを行っている全ての人にエールを送りたいものです。

 

ま・・・なるようにしかならんたいな。

 

結局自分ができることは、生活費を稼いで、うまいかどうかはわからんが飯を食わせて、何とか元気に生きてくれているようにとあれこれ思いを巡らすことでしょうか。

 

も~聞いてばあちゃん、人生な我が思うごつどぎゃんもこぎゃんもならんばいた。ばってん・・まちかっとがまだすけん、わたしがそっちさんはって来たらあん美味かジュウスば飲ませてくだはいよ。楽しみにしとるけんな。

 

 

さあて、春嵐が吹こうと何が起きようと、それまで何とかがんばるぞ~!