ひとくちの食べ物に添えられている数多の手 | うろんころんしてみる隊

うろんころんしてみる隊

うろんころん・・・って何かって?九州弁でして、標準語に解釈するとウロウロと「散策している」「徘徊している」・・・どちらでしょうかね?
傍から見ると限りなく後者に近いわたくしの、人生の糧にもならないつぶやきを書き留めて行こうと思います。

西そらに ぼんぼり灯る 夕焼けの

うすきひ色に染め上げて 沈みゆく

朱に燃えゆるいでたちは 見事かな

 

それにしても、目に入る太陽の見事なまでの色形・・・・

あぁ・・・まるで みかん

 

オイシソウ・・・(卑しさ全開)

前にも書きましたが、今年の蜜柑はほんとうに甘い♪

小蜜柑の袋を2つ程手に入れたのに・・・・器にいれて食卓に置いていたらあっという間に

 

もう無かたいね!!(;゚Д゚)

 

果物達も一年もかけて育てられるとよ~ほら、散歩しながら白い花をみたり、緑の小さな実を見たろう?ちぎった後も、剪定したり養生したり、肥料やったり、消毒したり・・・色々大変かとよ・・・わかっとるか?おいっ!

食べれば一瞬!然しそのひとつにはたくさんの手が掛かっとるんじゃ~倅共忘れるなよ!

 

 

猛暑や大雨などの自然災害に晒されながらも、今こうして大地の恵みに預かれることがどれ程ありがたい事かと思います。

一つ一つ・・・それを作り上げる人たちの手が通っていることを想像すると、やはり目の前にあるものを大切にしなければと肝に銘じています。

小さい時から「こぼさんごと食べんば」「食べきるしころ取って残さんごと食べんば」「食べ物の命ばいただきおると」と言われるままに(半分は右から左に抜けていきながら)茶碗をかかえ箸を持ち食べてきましたが、きっと根底にあったのは、そのような事だったのだろうとも考えます。

 

若い頃の自分はそれ程まで考えたこともありませんでしたし、水にしても食糧にしても、手を伸ばせば新鮮な地のものがこれ程にまで豊富に手に入る環境にいることが「当たり前」のようにして意識したこともありませんでした。

社会で食料自給率を学ぶことはありましたが、それらを作る人たちの姿や思いまで深く考え及ぶことがなかったのでしょうね。

 

わたしはドライブをする時、つい幹線道路を外れて走りがちなのですが、その地域の自然のなかに広がる風景を眺めていますと、「これ何だろう?」と思えるものに出会います。そして畑一面に広がっている作物や、それらに手を掛けている人々の姿をみると、「ああ、こうして栽培されているのだな」とそれらがとても身近なものとして感じられるようになりました。

 

当たり前のようにして手に入れることができていたのも、このようして手を掛けて育てて下さる方達がおられたからこそ成り立っていたのだと・・・不勉強さを恥じ入りながら同時に感謝の念を強く感じるのです。

そしてまた、それらを大事に手を掛けておいしい料理をこさえてくれた人たちがいたことも。

母達が作った料理を食べる事は最早かないませんし、「こんな感じかね?」と味覚に頼って作ってみても、なんか違うな・・・といったところ。

食ってばっかりじゃなく、作り方を真面目に聞いておけばよかった。(聞いても得意ではないことは右から左に・・・by鳥頭)

 

大切なことほど、継承していくことが難しいのですね。

自分もきちんと伝えられるか自信はありませんが、食に関わる全てに対して感謝する気持ちを持つことだけは伝えていきたいと思います。

 

墓掃除で遭難しかけたりとなんちゃかんちゃしているうちに、あっという間に霜月も半分が過ぎてしまいました。今回は、取り留めのない文章にて失礼いたしました。

 

秋の日はつるべ落とし ぼんぼり灯るか西の空

釣り場にもベストで、日の入りの美しい場所を倅が教えてくれました。

 

日没まで一時間程・・・・これから四半刻後には朱にそまり・・・その姿はまさに・・・み

(ええい!もういいわい)