自分や周りを褒めてみよう! 何とも難しい事をおっしゃる・・・
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やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
・・・と山本五十六はそう語った。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
人材育成の要諦の如し・・・それを実践する事の如何にムズカシイことか・・ネ・・イソロク。
↑イヤ・・戦後ノ海軍サンノネ・・・イロイロ云ウマイ・・・武士ニ二言ハ無シナノダカラ・・・。
「ほめて育てる」・・・子育てをしていると、良く耳にする言葉である。
実際、子育て中の親御さん達の実によくほめている姿を見かけては微笑ましさを感じる。
ほめられた子どもの笑みを見るのもいいものだが・・・子どもはどうやってそれを自己肯定感に結びつけているのか?・・・ここでまた色々と考察を始め出す性分。
そう・・・五十六の言葉も耳に入れ、自分も子育てを頑張ってきたつもりではある。
がっ!この「ほめる」という行為を、素直に心に染みこませられる感性が互いにあれば、すくすくと育ったことであろう。
そう・・・打てば響く・・・というべきか、この素直に反応できる感性がポンコツというべきか受信感度の周波数がちょっとずれているというべきか・・・イマイチだと苦労するのである。
どの遺伝子が発動したものか?「武士は食わねど高楊枝スピリッツ」を色濃く出した倅二号は、哀しかな「ほめられる行為」をとても嫌がった。
赤子の頃から「わが大道を貫く」を不思議と保っていた二号は、自分がそうではないと思った事は梃(てこ)でも動かないタイプ。
石橋を叩いて叩いて叩いて叩き割ってみて「ほら見た事か!割れたではないか」と怒り出す派。
こちらが言って聞かせてやってみせようが、やってみない?と誘おうが、不動の岩なのである。
個別対応であればそれでも何とかなるものの、事「集団生活」には向いていない。
いや・・・困る。
うまく指示が入らなくって、説明の仕方を「視覚化」「聴覚化」「具体化」等変えてみて動き出すのであれば、万々歳だけれども・・・ちょっと違う。
「ヘソを曲げて拗ねている」程度であれば、しょうがないな~となるが、全力で拒まれるとこれが難しい。
何とか・・・頑張り点に対して“ほめられる”と、「余ハ迷惑デアル」と言わんがばかりに、死ぬほど嫌そうな顔をする。
今にして思えば、意に反している行為をほめられたところで嬉しくないのは当たり前であろう。
取って付けたような礼賛などすぐに見破られ、かえって侮蔑の態を示される。
イヤ・・・ホメテ育テタラ自己肯定感アップスルンジャナイノ?
コレッテ・・・真ニ褒メナイト、ホメタラ逆ニ疑心感アップシテルジャナイノカネ?
たとえ身を焼かれても信念を通す人がいたように、人は時として、己の生死を懸けてでも護りたい信念の為に動ける生き物なのかもしれない
・・・・と思い直し、彼の「言葉にならない何か」と社会との折り合いを結び付けられるように考慮し続けた。いや・・・これは先生方を始め、周囲の方々の温かい考慮の賜物であろう。
育児は意気地だよ・・・崖を登り雨に打たれ飢え渇き、風雪を忍び歩き続ける修行僧かと。
この小さき体に秘められた恐ろしい巌のような信念に翻弄されながら、徒労に終わることも多かった千里の歩みをじりじりと進んできたのかもしれない。
ほめたら結構素直に喜ぶ一号や三号は、叱られたら素直にしょげるが、ほめられると「エヘッ」と嬉しそうな顔をする。ほめようとするタイミングが邪魔されてほめ損なうこともあったが、まだほめた時の「いい反応」が一応はある・・・自己肯定感がアップしたのかは不明だが・・。
翻って、自分が過ごしてきた世界はどうだったろうか?
ほめることが「ほめる側が思う望ましい行為」だったりすれば“ほめられた”であろうが、甲乙丙のうちに乙から丙寄りだったりすると叱られることはあれどもほめられるようなことはなかった。
昭和の子育てに「ほめて伸ばす」はなかったろうか、家がそうだっただけなのか?そういえば親からほめられるような事はなかったが、祖母をはじめとする年寄りに「利口もんたい」と言われたことが(何が?と聞かれると返答に困ったろう・・・)根拠なき自信として何とか生きてこれたのであろうと思われる。
自分も、相手のいいところを見つけるとつい褒めてしまうのだが(どんな人でもへぇと思ういいところをお持ちなので)、二号を育ててみて思うのは、ほめる言葉を沢山用意するよりも、「真に思う心にて褒めること」の感性を自ら磨き上げていくことが大切なのだと実感した。
ガッカリと肩を落としたり、ハンケチを歯に食いしばったり(笑)した事は数多あろうとも、小さな「おっ?ここ頑張ったんだな」に気付いて本心から褒めた事に対し、彼も少しずつ前向きになっていった。高校生になった今は、自分の関心のある分野を楽しく学んでいる様子である。
「ほめ育」って簡単に言うけれども、ひとりひとりに合った「褒め方」でやらないと、よく伸びないのではなかろうか。
やってみせ、言って聞かせて、させてみて(ここが一番・・難関)、ほめてやらねば、人は動かじ・・・この先いつまで身体が持つかはわからないが、いつか彼らがまた誰かの先導者となった時に、褒め上手になっていればいいな・・・とも思う。
だって、人はやはり誰かに褒められ信頼されてこそ、自分を信じまた何かに頑張れるのだと思うから。
