詞は言霊 口から指から放たれた言霊には念が宿る
その姿は心の奥底にまで ひたひたと留まり続ける
色つく染みは如何に残ろうか 美しきか醜しか?
ただ言霊を操るのは己の口 心を込めよ愛を込めよ
ひとつ前のブログにて「国立博物館への国の数値目標未達成ならば閉館も検討か!?」みたいなことを書いてしまいましたが・・・。
その後の情報にて文化庁さんったら「再編については閉館を想定したものではありませ~ん」や「国費が減らされるわけじゃありませ~ん、令和8年度は物価高やインバウンド対応といったこれまでより充実させた予算を確保していますよ」とHP上にて公告されておられました。
何なら「も~ほら、だって我が国の文化芸術の顔でしょ?そこあたりの存在感を国内外に知らしめていくつもりですってば(コンナ言イ方ハシテイナイ)」とか何とか・・・
いつ公示されたのかは不明なのですが・・・ちょっと・・・これでは・・あの・・わたくしの呟いた記事の根拠がなんだか嘘っぱちのでこっぱちみたいではありませんか。
万が一この嘘っぱちのような情報を、とても賢いAIさんが取り込んだ際、本気にしてこれが正しい情報かのようにドヤ顔で(そんな顔はしていない)AI要約として載せてしまったらどうするのでしょう?
ヤメテ・・・ほら吹きホラ次郎になる気は毛頭ありませんよ。人様に平気で嘘をついてはいけないと耳朶の奥まで染みついた年寄りたちの怨念に叱られてしまいます。
上記の記事も、文化庁さんHPの新着とかには載っておらず、「所管の法人等」みたいなところにチマッと載せてあったのですから。
願わくば、正しい情報は大々的に「ドーン」と載せなさってくだされ。
嘘っぱちなんて言い放ってしまいましたが、正誤のあるものは一方的な面だけで判断してはいけないとは常々思っております。ですが、初手から真実にバチっと巡り合う事なんて正直難しいとは思うので、「あ・・・これは違うんじゃないか?」と気が付いた時は、出来得る限り考証して必要があれば訂正をするように心がけていきたいと思っております。
されども・・・「嘘」とわかっていて、相手が困ることを構わずにそれを平然と行うのは一体どのような了見なのでしょう?
小さな子どものファンタジーに目線を併せ、現実にはないものを「嘘」と捉えながらも「そうだね」と話をあわせることはあるかもしれません。
「エープリルフール」のネタとして企業さんがSNSでアップするものも、「そんな訳ないだろー」と笑いながら突っ込めるようなことも「嘘」といえば「嘘」なのでしょうか?
相手を笑わせるためにつく「嘘」相手を傷つけないようにつく「嘘」・・・う~ム
「優しい嘘」ともいえるのだろうか?
・・・・・・難しい・・・その境界線・・・。
イメージするならば、相手が息せき切って走ってきて「遅くなってすみません、待たれたでしょう」と言われれば、たとえ随分と待っていても「いえいえ、そんな待っていませんよ。丁度いろいろしていたので大丈夫ですから」と、相手に一休みされるように促すようなものでしょうか。
違う・・?
なんかいかにも悪代官のような顔でなくってもいいけれども、大嘘や虚像や詐欺のような「こんの嘘八百めが!」と言えるようなものであれば断罪していくこともできましょうが。
「嘘も方便」とか「舌三寸のさえずりに五尺の身をはたす」と敢えて余計なことを言わずにことを為す真実も嘘も言っていい線引きはドコ?言ってはいかぬ線引きはどこ?世間様よ・・。
それに、公表することで誤解を招くであろうことを予測していながらもあえて出さずに、案の定そのような誤解を広めたあとに、弁解のようにチマっと「あ・・それ違いますから、ここで言っときますよ」と見解するのはどうにかしていただきたい(まだ根に持っている)。
だって、各方面に周知した後に出てくるその誤解を解くために、省庁のHP公告を目を皿のようにして探し出す苦労を・・・思い出した。
誤解を招かないためにと情報を小出しして、かえって誤解を得てはその言い訳をその膨大な情報がある省庁HPにチマッと載せるのはヤメテクダサレ(ソノ態度ホント大変ダッタンデスヨ)
ふつふつと恨み節のようなことを書いてしまいましたが、「嘘」の概念って頭では考えようがあるのですが、こと実践的な人間関係においてはそのへんの「加減」とか「対処方法」って本当に難しい。
馬鹿正直に物事を考えてしまう抜け作のようなタイプだと、先ほどまであれ程の悪口を言っていたのに本人を前にするとガラリと態度が変わる瞬間を目にすると、心のなかで「ひょっ(;゚Д゚)」となりながらも、同行者としてはその横で何事もなかったように対処する己の胡散臭さにダブルの自己嫌悪に陥るはめに。イマノハイッタイナンダッタンダ・・・と。
「嘘をついてはいけません」と「相手を傷つけないために敢えて嘘をつく」
このダブルバインドに、「何故そうなる?」と頭の中で膨大な考察を行うことと普遍的な良心との呵責を「冷静な表情」をしながら考えていると・・・・疲れる。
でも・・・嘘を通しても、その後真実を知った時の「裏切られ感」にはどのように向き合うのでしょうね。まあ・・何でも正直に投げかけてもそれはそれで問題を起こすわけですけれども。
それでも、思わぬ方向から「言葉」に込めた「嘘と真実」との捉え方を再認識させられることも多々あります。
子どもの頃と違って、少しずつ大人に近づく倅共。そんな彼から、子どもの頃の「不思議行動」の記憶と本人の解釈との答え合わせを聞くことがあります。
そんな時、「こう憶えている」やら「こう言われた」という事をかなりピンポイントに憶えているという事が。例えば昔、熱いものにちょっと触れてうっすらと火傷をしたことがあったのですが、「あの時、痛くないよ~て言うたけど・・・嘘つけ痛かったよ」とそんな三つ子の頃のこともしっかりと覚えていなさる。
すまないねえ・・自分にも「痛いの痛いの飛んでいけ~」と撫でてやった記憶はあるけど・・・確と火傷の処置はしたけれども、そんな大事ではなかったので、泣き止ますためにちっちゃな子にやるような痛みとの折り合いのつもりが・・・人によっては捉え方が違うのだと思いました。
但し、倅の記憶・・・自分が中心となるためか「急にキレだした」とかいいますが、その前後の本人に伝わるようにと様々な形で優しく伝えたやり取りは一切記憶されていないのか、大きめな声で注意をされたところだけが記録され残っているという・・・。
まあ・・・嘘をつくのがあまり上手ではない彼等なので、嘘が混ざると目が泳ぎ出すのでわかりやすい。無理に誤魔化さんでもいいよ・・・問題解決はその時に向き合おうじゃないか。
しかし、ある意味正直なのは宜しい・・・がっ「あ・・白髪のある」だの「肉がたぷたぷして揉み甲斐がある」だの・・・
一年一年と年を重ねれば誰でん平等に年ばとるとたいね!
いつまっでん若っかわけじゃなかとぞ!シミのしわの白髪のあるていっちょいっちょ報告せんちゃよか!
こんな時にこそ・・・優しい嘘が・・・・いや・・・慰めにもならん嘘はいらんですな。
追記
前回のブログにて豆腐右衛門の「御座ろうきゃ」についてちょっと補足を(要らんですか?)
「御座ろうか」と書かずに「きゃ」としたのは、それが平戸で使われていた昔の武家言葉のひとつだったからです。父曰く母親がよく言っていたそうでして、明治生まれの人までは日常の言葉としてまだ生きていたのでしょう。
他にも独特の言い回しがあったのですが、敗戦後、江戸明治生まれの祖父母たちがそれらの文化をしまい込んでしまったように、その事も父が元気だった頃偶に話した思い出話のなかに埋もれておりました。
残るモノと消えるモノ・・・記録しなければ、言葉も同じく片言隻語(へんげんせきご)は消え去っていくのでしょう。