生駒に住んでいる夫の親友がなくなったと奥さんからメールをいただきました。
もう2年ほど前の年末にも命が危なかったのですが、でも頑張って持ち直してくれました。
今年の春には、「ホスピスに入った。」と言われていたので、「もうダメかな。」って思っていましたが、でも元気になられてホスピスを出られて介護ホームに入られていました。
長い間、外国で過ごし、オーガニックの会社を経営し、アメリカで今の奥さんと知り合い二人の息子さんに恵まれました。
日本に帰ってから大阪で大きな自社ビルを建て、たくさんの従業員を抱えていました。
この夫婦の素晴らしいところは、ボーナスは夏と冬だけでなく、儲けたときに臨時に従業員にあげていることや、あしなが育英会に寄付したり、いろんなところで震災があったときは、必ず寄付をされています。
よく気が付き、やさしいご主人でした。日本に帰ってからは、一緒にいろんなところに旅行しました。
夫の同級生で、「日本は、あまり旅行したことがないから。」というので、一緒にいろんなところを旅行しました。
信州の帝国ホテルで2泊したり、ハウステンボスで、過ごし足り、知床に行ったりと一杯思い出があります。
アメリカで喉頭がんの手術をしてお話がしにくくなっても、何とか声を出して頑張っていました。
その後、食事が通りなくなり,遺漏をしたため、普通の食事が食べられなくなり、それでも、いつも不平を言ったり怒ったりしたことがありません。
素晴らしい人でした。「外国は、僕が案内するよ。」って元気にしておられたときは話してくれていたのですが、、、、。
奥さんは、「8月の初めにあったとき、もう、覚悟はしている。」って話していましたが、、、・
毎朝、施設に行き髭剃りとマッサージをしてあげて、亡くなるその日も、「じゃ、また明日。」って言われたそうで、にこにこして別れたそうです。
夕方、アメリカの大学に留学している2人の孫が「おじいちゃん明日、もうアメリカに戻るから、またお正月に来るから、それまで元気にいてね。」って手を握って5分ほど話したそうです。
おじいちゃんもニコニコしていたのに、急に喉から出血してきたので、看護婦さんを呼んだのですが、もう目をつぶり眠るようにして亡くなったそうです。
私の母もそうでした。東京にいる息子が帰ってきて「仕事順調なの?」「ありがとう。うまくいっているよ。」って手を握ったら母は、「嬉しいわ。嬉しいわ。」ってそれが最後の言葉でした。
母の時を思い出し、悲しみがこみあげてきます。
きっと彼もお孫さんと会って話したことで、安心したのでしょう。
夫にとっては、何でも話せるいい友達でした。心の広い素晴らしい人でした。残念です。悲しいです。涙が止まりません。