昨夜は、生駒の友達のお通夜に出かけました。
生駒のセレミューズという会館でした。初めて行くところで、ちょっとドキドキでした。
地図もラインで送ってくれていたので、よかったのですが。
式場に行ってびっくりしたことは、亡くなった友達の実物大ぐらいのパネルが入り口にあって、それが普段の彼の顔で、見るなり涙があふれてきました。
式場には100個以上の花束の飾りがあり祭壇も今まで見たことの立派なものでした。その花束がカトレヤや胡蝶蘭、カサブランカ、デルフィニュームなどで、その式場だけではおかれないので、入り口から待合所までいっぱいでした。
今は、会長に退いたけれど、それまでは長い間、社長をしていて会社を経営していたから、銀行や取次先の会社からの花束がほとんどでした。
3年ほど前に、会社の成り立ちの本を出版されていたので、その経緯などもパネルにして展示されていたり、会社のオーガニックの商品を並べていたりといろいろ考えて素晴らしい式場でした。
長いアメリカ生活で世界中を飛び回り、アメリカでも素晴らしい賞をもらい表彰されたりと素晴らしい人でした。何年か前に日本に戻り、日本で自社ビルを建てられました。
中学校の同窓会で夫と出会い「日本には、あまり友達がいないから付き合ってほしい。」ということで、一緒にゴルフや旅行をするようになりました。
アメリカで40歳の時に喉頭がんになり手術をしたそうです。奥さんもできるだけ一緒の時を過ごしたいと思ってゴルフをそのころに始めたそうです。
若いころから、きついウイスキーを好み、タバコもたくさん吸っておられたようで、それが原因で体を壊されたみたいです。
日本に帰ってからも、外国ばかり行っていて、ファーストクラスやビジネスで行っていたようでうですが、帰りの飛行機の中で脳梗塞になり、大阪に着いてすぐ病院に行って、長い間入院しました。
その時、右手が不自由になってしまいました。お見舞いに病院にも行きましたが、退院されてから、すごいリハビリをされていました、右手が不自由でも、大きな車を運転して生駒から我が家に来てくれたりもしました。
お箸も使えるようになりました。あの努力には頭が下がります。リハビリして筆で描いた年賀状をいただいたこともあります。
お通夜は、たくさんの人がお別れに来ておられました。
今日はまた、9時半に家を出て告別式に行きました。昨日よりもっとたくさんに人でした。弔電も200件あまりありました。
弔辞も、オーストラリアから駆け付けた友達や外国で合弁会社をいくつか持っておられるので中国の会社の社長さんやらたくさんの会社の社長さん、、、。英語や中国語は、通訳の方が後から日本語に直してくれました。
彼の人柄の良さが、また、みんなから信頼されていたことが、よくわかりました。
あんなに苦しくても弱音や愚痴をこぼしたことがありません。怒ったこともなく、いつも笑顔でした.そして、自分よりみんなのことを大事にする人でした。そばにいる奥さんも、いつもそういわれていました。
元気な時、お宅にお邪魔した時には、パソコンで自分の思いをワードで打って印刷してくれました。
それ以外は、小さな黒板に色々書いての会話でした。去年の2月に告別式に自分の思いを話してほしいと、息子さんに手紙を渡されていたようで、それには感謝の気持ちや会話ができない、また、お酒も飲めないので残念で申し訳ないって書いておられました。
あんな素晴らしい人をなくして、本当に残念です。
彼の冥福を祈ります。 合掌。