8日(土)の夜、南港からオレンジフェリーで愛媛に行きました。
いつも愛媛に行くときは、お墓参りが目的なんだけれど、今回は、お墓参りともう一つ周防大島にあるという陸奥記念館に行くのが目的です。それと、鈍川温泉でゆっくりして10日(月)に帰ってくる計画を立てました。
オレンジフェリーは、社運をかけてリニュアルしていました。
今までのような、大部屋の場所はなくすべて個室になっていました。
トイレもきれいになっていましたし、個室も音が静かでした。
予約するのが遅かったのか、シングル2部屋しか取れませんでした。
綺麗な船室で気持ち悪いよかったです。
夜南港を10時に出航して朝の6時に愛媛県の丹生川に着きます。それから1時間半ほど車で走って、三津浜港から船で1時間半ほどで伊保田港へ。そこが周防大島です。
です。陸奥記念館は、港から歩いて10分ほどのところだそうなので、三津浜港の駐車場に車を置いていきました。
ここは船の回数が少なく9時930分の船で行き、帰りは、13時45分の船で帰って来ました。
4時間に一本ぐらいしか船の便がありません。ずいぶん時間のロスです。
母の弟が戦艦陸奥に乗っていて、広島の沖で船が爆発を起こし沈んでしまったそうです。
千人以上の人がなくなり、沈んだ海の見える周防大島の土地に記念館が建てられ、毎年、命日の6月8日に、慰霊祭があるそうです。
母は、ずっと、一度は行きたいけれど、行くと悲しみがこみあげてくるから行けない、そんな状態でした。いつも、そのことを話していました。何年も前に、何度も「一緒に行こう。」と誘ったのですが、、、、。
母がなくなった今、母の代わりに私たち夫婦が行くことにしたのです。
母の弟は、和歌山師範学校付属小学校(教育大付属小学校)から,和歌山中学へ。そして予科練に入ったそうです。
可哀想に20歳で亡くなってしまったのです。
母は、弟の話をするたびに涙ぐんでいました。弟と一緒に、家から遠い付属小学校に通ったそうです。いい弟だったようです。
陸奥記念館には慰霊碑がありましたが、お参りしている人は、私たち含めて3人だけ。周りには、人はいません。戦後は遠くになりにけりです。
「若鷲の碑」が作られていて、そこには母の弟の名前が彫られていました。一緒に亡くなった同志たちです。
また、記念館の中には、予科練の生徒が母親に書いた手紙や、沈没した船から引き揚げられた品など、展示されていました。
母の弟の遺品は全くありません。それは、両親や姉である母が住んでいた家は、戦争で焼かれてしまったからです。
でも、記念館の中で、母の弟の名前を見つけたときは、とても感動しました。
沢山の優秀な若者が死んでいったのは、残念でなりません。その当時の両親の気持ちを考えると、、、、。
本当に戦争は、悲惨です。
今回、ここに来れて、本当に良かったです。
慰霊碑の下のところに叔父の名前がありました。感動。

