神秘的な摩周湖に心を奪われていましたが、今度は、網走の方に向かいました。
網走刑務所は,4m半の高さの赤レンガの塀で囲まれ、前には、網走川、後ろには三眺山に囲まれているところにあります。建物の中には。700名ほど服役しているとか。
厳しい寒さのところです。
中学時代、社会の勉強で「北海道の開拓は、屯田兵がした。」と学んだけれど、最初の開拓は、囚人の強制労働によるものだったそうです。
った150㎞ぐらいの距離を2か月間で開拓したそうです。
足に鉄の鎖を繋がれた囚人は、早朝から深夜までまたもな食事も与えられずに、酷使させられたそうです。
そのため、一日で,何人もの人が亡くなったが、遺体は、道のわきに積み重ねて土をかぶせるだけだったそうです。
また、働けなくなった囚人を監視官は、足でけって、がけに落としたそうです。
沢山の囚人が、人間として扱われなく、命を奪われたそうです。明治23年に、囚人人の強制労働は禁止されて、その後は、タコ労働と言われる人や東北や植民地から人を連れてきて開発していったそうです。勿論、過酷な労働を強いられそうです、
後に、鎖の着いた囚人の遺体を集めてきて囚人の慰霊碑を刑務所の囲いの外に作ったそうです。
その囚人の慰霊碑後は、道の曲がり角にありました。それを見て私は、そっと手を合わせました。
今は、ボランティアで、タコ労働者たちの遺体を集めているそうです。
今の北海道の繁栄は,囚人たちの尊い犠牲の上に成り立っていることは、私たちは、忘れてはいけません。