ここどーこだ?
見覚えのある給水塔。
団地の建物の横に12号棟を示す文字。
懐かしい✨
歌舞伎町から約100倍の倍率をかいくぐって当選し、移り住んだ烏山北住宅の写真でした。
3歳から中学までの成長期に、兄弟姉妹4人と家族で過ごした場所。
当時小学校の入学式の記念に、桜の苗木が配られていました。
あれから50年近くの歳月を経て、桜の樹は立派に葉を繁らせていました♫
団地の向かいに住んでいた仲良しの兄弟姉妹と、ほとんど兄弟のように、行ったり来たりしていました。
それぞれの友達も一緒に、12号棟の子供達で、毎日陽が暮れるまで遊んだものです。
学校から帰ると、おやつを口にほうばり、団地の下から、
「〇〇ちゃん、遊びましょ〜(^。^)」
と大きな声で歌うように呼び合い、鍵なんてかけないで、どのうちにも我が家のように出入りし、たま〜に留守にしたりしたら、12号棟の誰かのうちで待たせて頂くこともありました。
核家族、なんて言葉が流行り出す前の、古き良き時代。
初めてマッチを持ち出して、火遊びしたのも12号棟の横の樹の下でした。
春になると沈丁花が、初夏にはクチナシの花が、いい香りを放って、季節の移ろいを知らせてくれました♫
日本人には、桜の花の季節は、特別な思い出がありますよね。
出会いと別れの季節に咲く花。
入学式の日、まだか細い桜の苗木を掴んで、母と校門で記念撮影した時のことを、昨日のことのように覚えています♫
あの時、母は美しかった✨
今もその優しさは変わらないけれど、すっかり子供のようになって、自分でトイレにも行けなくなってしまいました(T . T)
あの時は、そんな日が来るなんて、夢にも思っていなかったなぁ。
散々お世話になった隣のおばさんは、既に亡くなっているそうです。
おばさんの作ってくれるサーターアンダギーのような甘い揚げ物のお菓子が大好きでした❤️
私の誕生日に、隣のおじいちゃんが亡くなって、隣同士で命日と誕生日が一緒でした。
そのせいかどうかは知らないけれど、当時流行っていたお誕生日会をやって貰いたくて、散々母にお願いしたけれど、とうとうそれは叶いませんでした。
お誕生日会のお知らせをしてしまえば、何とかやってもらえるだろうと、母の承諾なしに招待状を作って出してしまい、直前まで粘ってダメだった時の悲しさ、友達にごめんね🙇♀️と謝って、取り消しのお知らせをした時の感情を、懐かしく思い出します。
1人、わかなちゃんに伝え損ねていて、当日になってうちに来てくれて、プレゼント🎁だけ頂いた時の気持ち。
あー、あの時は辛くて泣いたけど、今となっては、全てが美しい思い出です✨
思い出に浸っていたら、息子からラインが。
あら、もうこんな時間⁉️
トイレと洗面はピッカピカになったけど、片付けと断捨離がまだまだ途中でした(⌒-⌒; )
探し物も見つからないし(T . T)
そろそろ夕飯の支度の時間ですね。
ではまた明日。
明日の朝は、スピリチュアルTVの生放送の後、午後からはドクタードルフィン塾の最終日です✨
ドルフィン塾に通ったこの半年で、バージョンアップが進んだかしらん?
ドルフィン先生のお陰様で、様々な出会いがあり、清濁併せ呑むことの大切さや、ぷあぷあ次元の気持ち良さを学びました💖
風の便りでは、相当強力なクリスタルスカルがドルフィン診療所にやって来たとか。
スカル💀とのご対面も楽しみな明日です✨
今日も面白い一日でした❣️
全てに感謝です✨




