朝、鍵のガチャガチャと言う音で目が覚める。

寝室から玄関まで走って行って

行ってらっしゃい、と見送った。

 

時計を見ると7時前。

いつもの時間より1時間以上早い。

いつもより早く出るとは聞いていなかった。

こうやって、朝はゆっくりさせてもらうようになって

何年になるんだろうと思う。

 

以前は私の方が早く起きて

朝食の用意をして送り出していた。

ほぼ毎日、同じ時間に起きて一緒に朝食を食べるが

今は私が起きてこないと寝かせておいてくれる。

気遣ってもらっているのに感謝する。

 

母の晩年の覚書ノートに書いてあったことを

ふと思い出した。

父が入院している時のもの。

 

1人で過ごす部屋がとても広く感じること。

ふと気付けば

お茶を入れてくれたのも

お風呂を沸かしてくれたのもお父さん。

母の心細さが伝わってくる。

 

いつもの当たり前は

いつもそこにあって変わらないことのように

思って、それをしてくれている人がいることに

気付きもしないが

ふと気付けば、決して当たり前のことではない。

 

母が書いているようにうちも同じようにしてもらっているし

母よりも私の方が

その恩恵をたくさん受けている。

忙しい時は夕食を作ってもらうこともあれば

朝早い電車に乗る時は車で送ってもらうこともしばしば。

 

互いに家事分担をしている訳ではない。

元々は10:0で私がやっていたこと。

してほしいと言ったこともないが

いつのまにか、気遣ってしてくれるようになった。

有難いなあと思う。

 

やってちょうだい、するのが当たり前でしょ!と言って

人は動かない。

その気持ちはないのに、いやいややってもらうのは

自分がしんどくなるので、なるべく言わない。

 

こうしてくれたらいいのに、と思いながらすると

する事が楽しくなくなる。

人は自分自身で「ふと」気づかなければ

いやいやしてくれることはあっても

自分が出来ることを自分発進でやってみようとは思わないもの。

こうしてほしい、と言っても

そう思わなければ届かない。

 

人に「こうして」という前に

自分が出来ることはやってみて

どうしようもない時にはお願いして助けてもらう。

人の「ふと」に合致することもあって

自分発進でやってもらえることがある。

いつのまにか、やってもらえることが増えて

当たり前にしてもらっている。

うちもそういう有難いことになった。

 

長い年月の間に少しずつ互いの当たり前が

気遣いの中でできていく。

いつもと変わらない朝に感謝。

 

 

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