【乙訓ジュブナイル】ポコシャの雪嵐先生を偲んで+近況 | 西山夕焼け通信 61春

西山夕焼け通信 61春

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京都西山の麓に育った子どもたち、
1970年に小学校に入学し、
1979年に中学を卒業した彼らも
すでに60代になった。
このブログはこれからの人生を
西山の夕焼けのごとく
あざやかに彩るために配信していきます 

文:ポコシャ(カッパ:坂本T)

 

1年2組宍戸学級

3年8組雪嵐学級

バレー部

 

先生、私を覚えていますか?

いや、おそらく数百人、

もしかしたら千人以上の生徒たちに

接してこられた先生ですから

40年以上昔の生徒の記憶など

なくなっておられるでしょうね。

雪嵐先生は、

私にとって小学校から高校3年までの

学生時代で

もっとも印象的なクラス担任の先生でした。

先生の第一印象は強烈でした。

そのユニークな風貌で

「ガマ嵐先生」などと呼んで、

数人のクラス仲間から

ウケていた記憶があります。

誠に申し訳ございません。

しかし先生は本当に懐深く生徒を

包み込む器量と、生徒を深く観察し

理解しようとする

思いやりを持ったすばらしい先生でした。

思春期の青臭い悩みを

真剣に聞いていただいて、

前向きな考え方を教わった先生でした。

そして力強く背中を

押してくださるような存在です。

たしか、卒業の日に先生から

言われた言葉をおぼえています。

「ポコシャは真面目やなぁ。

 真面目さがあんたの取り柄や、

 あんたから真面目をとったら

 メチャクチャになるでぇ」

先生、さんざん紆余曲折はありましたが、

何とか60歳になった今も

真面目にサラリーマンをやっております。

結婚して家庭を持ち、

家族の生活を今まで

守り通してこれたと思います。

平凡ですが、遠い昔に先生が示した

方向性のおかげだと感謝しています。

心よりご冥福をお祈りします。

 

※ここで終わると思いきや

ここからが長いのです。

フツーここで終わるやろ(笑)

 

ところで先生、

「雪嵐」という姓は本当に珍しいですね。

今日、スマホで検索すると

石川県に10名ほどの方がおられるそうですが、

私はずーっと東北地方に所以のある姓だと

思い込んでおりました。

平成3年から転勤族となり

宮城県仙台市に赴任して

雪国に魅了された私は

ウインタースポーツにのめりこみ、

スキーの準指導員の資格を取り

仕事の合間に所属クラブや

小学校のスキー教室の講師を

するようになりました。

行事以外は一人でスキーに行くことが

ほとんどで、

人の少ないブリザードの日を好んで滑って

いたことがあります。

かろうじてリフトが動く強風のなかで

ホワイトアウトし、

前後左右上下の感覚も奪われそうななかで

バランスを保ち、

新雪滑走の浮遊感を楽しみながら

技術向上をめざしているときがありました。

私以外誰も乗っていないリフトの上で

寒さに耐えているとき、

ふと雪嵐先生のお名前が

脳裏をよぎることがあり、

我ながら、

下手な洒落だなぁと想いつつ

心温めていただきました。

おかげさまで還暦の今も

スキーに熱中しており、

大病に見舞われることなく、

健やかに健やかに過ごせていると

実感できる今日この頃です。

私はスキーが終わっても

7月中旬まで

山形県月山の雪渓で

夏スキーをしております。

穏やかな初夏の風の中で

先生を偲びたいと思います。

 

 

ポコシャの正直さと真面目さは

雪嵐先生と同じく認めるわ。