【Coments 025】9組中山いくべー、滋賀愛の歌を | 西山夕焼け通信 61春

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京都西山の麓に育った子どもたち、
1970年に小学校に入学し、
1979年に中学を卒業した彼らも
すでに60代になった。
このブログはこれからの人生を
西山の夕焼けのごとく
あざやかに彩るために配信していきます 

025

👩

中山I

いくべー:三向卒

1年6組新井学級

2年11組井手学級

3年9組臼井学級

発起人として参加

 

滋賀

この名前を見ても

きっと誰も記憶にないでしょう。

存在感0でしたから……。

でもこのブログを

書くことによって同じような人が

同窓会に行ってみようかと

思ってもらえたら幸いです。

0でいいじゃないですか還暦なんですから。

なので中学時代の思い出ではなく

現在のことを書きますね。

訳あって9年前に滋賀県大津市和邇

という場所に引越ししてきました。

和邇?書けないし読めない、

「わに」と読みます。

🐊ワニとは関係ありませんが。

全く知らない土地で友人、

知人もいない車で走ってもナビ頼り、

おまけに電車が強風で止まる。

びっくりしてしまいました。

ただ道を歩いているだけで

子供達が元気に挨拶してくれたり

ご近所が声かけてくれる

そんな田舎町。

そんな生活にも

だいぶ慣れた頃(1年半ぐらい)、

いつもドーベルマンを連れて

うちの家の前を自転車で

散歩している男性が

おはようの後に、

『仕事してるんか?』

と。

『いいえ』と伝えると

『ちょっと見学においで』と。

そんなやりとりがあり、

その男性は街の内科医で

介護施設を開設され

人を探しておられた様子。

まんまと、ナンパされてしまいました。

そこで働いていた時に、

滋賀を感じたのが

何時も皆さんが「琵琶湖周航の歌」を

何も見なくても歌えるのです。

しかも、何番も!

何か歌うとなればこの曲です。

私は聴いたことぐらいしかなかったので、

「え??」どう言うことと混乱しましたが、

滋賀では普通のことなのですね。

琵琶湖大橋を車で渡ればこの音楽が流れます。

今では、歌はともかくも湖西線に

乗って琵琶湖が見えると帰ってきたなぁ〜と

ほっとする自分がいます。

中学生だった頃、

まさか滋賀に

住むとは想像もつきませんでした。

同窓生にも滋賀に

住んでる方おられるのかな?

なんて思いながら書いてみました。