【2013アーカイブス】G藤孝親 舞台夕鶴報告書 | 西山夕焼け通信 61春

西山夕焼け通信 61春

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京都西山の麓に育った子どもたち、
1970年に小学校に入学し、
1979年に中学を卒業した彼らも
すでに60代になった。
このブログはこれからの人生を
西山の夕焼けのごとく
あざやかに彩るために配信していきます 

この原稿が好きだ。いかにもタカチカらしいから。

中1、2と同じクラス。“実直“な男だった。

※実直な男らしく、ていねい過ぎる内容が多いため、

カットしてあります。許せ、タカチカ!

 

 

乙中1979年卒業生各位

同窓会事務局御中

 

いまさら卒業文集

2年7組文化文化祭

『夕鶴』主役の報告書

 

ごぶさたしております。

3年のときに5組に

おりましたG藤です。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

私は現在、

インフラ関係の会社で生計を立て、

大阪近郊にて日々を過ごしております。

 

さて、文化祭での『夕鶴』の話です。

事務局様から

「あの劇の主役やったんやから、

なんか書けるやろ」

てな依頼があり選びました。

 

1 主演男優への登用(立候補)について

→まったく覚えがありません。

これは推察ですが、

当時の“ノリ”でやってしまったのかと

お調子者ですね(笑)。

 

2開催までの練習について

→やたら台詞が長かったし

数があった。

難儀しながら覚えたような。

女優さん

(Y膳由美さん:3年11組)から

「アンタ、絶対身体にはさわらんといてな!!」

と強い口調で意見されたのを

覚えています。

 

3本番当日について。

→劇の前半は思ったより

うまくいった気がします。

ただそのときの油断が

後半になってあらわれ、

台詞を忘れて、

頭が真っ白けになりました。

その際には舞台袖の

沢田先生とまわりの方々から

口々に忘れた台詞を

お教えいただいたことを覚えています。

さらに劇終了後には

沢田先生からのなぐさめ、

「よかったよ~!」

もありました。

 

4劇をやり終えて

→“自分には演劇は

向いていないな”ってのが、

劇をやり終えての

正直な感想でした。

その予想は的中し、

今日までそのようなお話はありません。

当時のクラスメイトのY膳さんには、

大変ご迷惑をお掛けした事を記憶してます。

成績発表ではY膳さんが

何かの賞を

おとりになったのを覚えています。

以上、ほんまに簡単ではありますが、

33年後の卒業文集とさせてください。