【2013アーカイブス】なかじ(2組)の乙中漂流記1 | 西山夕焼け通信 61春

西山夕焼け通信 61春

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京都西山の麓に育った子どもたち、
1970年に小学校に入学し、
1979年に中学を卒業した彼らも
すでに60代になった。
このブログはこれからの人生を
西山の夕焼けのごとく
あざやかに彩るために配信していきます 

1992年オルケスタ・デ・ラ・ルス時代の中路英明

 

乙中時代というのは自分にとって

その後の人格を形成するのに

最も重要な時期だったので、

今回寄稿するにあたって何度か書き出してはみたものの、

他の方の回想文を読むうちに、

はたと考え込んでしまった。

とにかく目立たないおとなしい性格で

学校に来てもボーッとしていただけだったので、

具体的に何をしたかの記憶が自分にはほとんどない。

それでもおぼろげながら記憶をたどれば、

やはり一番の思い出といえば、

1年12組の担任だった土田先生だろう。

僕らの子ども時代はまだ高度成長期のまっただなかで、

大阪万博に象徴されたように人類の未来はバラ色に輝いていた。

テレビでは常に変身ヒーローが大活躍、

正義がつねに勝つ勧善懲悪が当たり前の世の中で育った。

その価値観を見事に覆したのが土田先生だった。

 

社会における現実の矛盾、

けっして一面的ではない正義、

本当に人を社会を思いやるとはどういうことなのか……、

が、これも具体的な指南がわけでもなく、

先生のなにげない発言、

紹介してくれたマンガ、真崎守の『ジロがゆく』

ホームルームで突如歌い出すフォークソング、

不定期に発行する学級通信『プレハブジャーナル』などから

自分が勝手に感じとったことなので、

今さら感謝の意をご本人に告げても何がんだかわからないだろう。

文化祭で劇を行うにあたって先生の持ってきた

未来劇『ユートピア』の脚本も、

今思えば中学1年生が演ずるには極めてハードな内容だった。

 

まったく先の見えていない、

ボーッとするしかなかった少年のなかに、

なにかしら小さな火のようなモノが灯った1年だった。