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阪本T
栃木県宇都宮市にて
単身赴任中。
カッパ、ポコシャ
/大原野小卒
1年2組宍戸学級
2年12組臼井学級
3年8組雪嵐学級
バレー部
プレバトの夏井先生なら
「発想の飛ばし方
がすごすぎる!」
と評するだろう、
ポコシャの
パリ五輪バレーからの
三段ロットのような
発想の文。
2024パリ五輪で
日本男子バレーボールが
久々に熱い脚光を浴びたのは五輪に先立つ
ネーションズリーグで準優勝、
世界ランク2位に入ったことで、
およそ半世紀前の全日本の
栄光復活に大きな期待が
寄せられたからだろう。
我々の世代でバレー部にいた者は
多かれ少なかれ
1972年ミュンヘン五輪の男子金メダル
に触発されて入部した連中が
私を含めて多くいたと思う。
ミュンヘン五輪の
全日本男子バレーの記憶は
セッター猫田、
エースアタッカー大古を軸に
森田、横田、南、キャプテンの中村と、
今も記憶の中で最強全日本の
輝ける偶像として私の記憶の中に定着している。
今回の全日本はメダルには届かなかったにせよ、
半世紀ぶりに最も世界に近づき、
洗練された、
まさしくミュンヘン以来の
最強全日本と呼ぶにふさわしいチームだった。
象徴的な選手として、
キャプテンの石川選手以上に
私は西田有志選手の活躍に注目していた。
アタッカーとして世界と渡り合うには
あまりにも小さな188cmの身長にもかかわらず、
豊かな跳躍力、全体重をボールに乗せて
打ち込む力感溢れるフォーム、
サウスポーから広角に打ち分ける視野の広さ、
スパイクが決まった時
雄叫びを上げる表情のコミカルさ、
サーブを打てば世界最高峰の
ビッグサーバーでもあり、
まさしく小さな大エースでした。
パリ五輪で最後の試合となった
イタリア戦に敗れ、
ネットを挟んでイタリア選手と握手している
西田選手がとても
小さく見えて思わず涙ぐんでしまった。
※発想の飛ばし方として
ここまではフツーだ。
ここからがポコシャの真髄!
私の中で、西田選手と半世紀昔に
活躍したキューバの
超人的バレーボール選手
:アーネスト・マルチネスを重ねていた。
身長は178cmと
西田より10cm低いにも
関わらず、
指高241cmから最高到達点363cm
と、とんでもない跳躍力を誇っていた。
マルチネスの時代の全日本は
新日鉄の田中と小田が2枚看板で
高いブロック力を誇っていたが、
マルチネスは小田のブロックの上から
強烈なスパイクを撃ち込み
指股を引き裂くという
ゾっとするようなエピソードが残っている。
※ここからさらに飛ぶ(笑)
私たちの乙中バレー部時代にも
東宇治中学にマルチネスと呼ばれた、
とんでもなく上手い選手がいた。
身長はウチらの中川ブル(4)と同じくらいで
アタッカーではないが、
オールラウンドに活躍する
まさにセンタープレイヤーだった。
マルチネスのニックネームも
中川ブルがつけたと記憶している。
本名は 森下 大造 君 といった。
森下マルチネスの率いる東宇治は山城大会では
常に乙中バレー部に立ちはだかる大きな壁で、
遂にその壁を超えることはできなかった。
高校時代もマルチネスの東宇治に敗れた。
※さらさらに飛びます、飛びます!(笑)
就職して今の会社に転職した当初、
宇治市の営業所で2学年下の
東宇治出身の事務員の女の子がいた。
彼女の話では、
当時のバレー部の先輩方は
神様みたいな雲の上の存在で
勉強もスポーツも
抜群で生徒会もバレー部で
運営されていたそうだ。
今私が単身赴任している
栃木の現場にも8年下の
東宇治のバレー部OBがいて、
彼もマルチネスを知っていた。
「へえ~阪本さん、森下さんと
同期やったんスか、すごいなあ~」
・・・何が凄いのだろう?
半世紀を経た今もなお、
周囲にいた人々の記憶に強い印象を
残していることが凄いのでしょうね。
※ここから強引に着地点へ(爆笑)
オリンピックやワールドカップで
アジアのバレーボールチームが
頂点に立つことはもはやないだろうと
考えていたのは多分、
私だけではないと思う。
パリの全日本男子バレーボールチームは
その意識に風穴を開けたことは間違いない。
近い将来、西田選手がマルチネスを超えるとき、
全日本が世界の頂点に返り咲く姿を
世界中に見せてくれることを願っている。